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異世界聖女を取り戻すため、魔獣令嬢になりました  作者: 岫住胡乱


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第三話 聖女は

 暗闇と静寂。

 アドリアンとの逢瀬から自分の部屋に戻ってきた星来は、ぼんやりとしながら、二度と帰りたくない世界のことを考えていた。



「星来!そのピンクのピンは何!?色気づいている暇があったら勉強しなさい!あなたは医者にならないといけないんだから!」


 そう叫ぶ母親の声が、未だに耳元で聞こえる気がする。

 

 はい。分かりました。ごめんなさい。


 それ以外の返事は許されない。

あの家は星来を閉じ込める監獄のようだった。


 人は言いなりになるように躾けられると、自分で思考することをやめていく。

 自分でやりたいことも、物事を決めることも出来なくなり、他人の言いなりになる生き方になっていく。


 星来は父と母の奴隷だった。

今もそれは変わらないように思う。


 アドリアンや国民たちに言われるまま、幾度となく現れる魔獣を浄化する日々。

 それはただ与えられただけの役割で、実行するかどうかは自分の意思とは関係ない。

従っていれば、誰も悲しんだり苦しんだりしないから、言われた通りにする。



 ベッドの上で寝返りを繰り返す。

 室内は暗く、外から入り込んでくる月光だけが傍にいてくれる。

 しかし、不安は癒えない。


 暗い時間になると、何故か嫌な思い出がどんどん溢れてくる。

 しまいには、自分自身の中にある嫌な感情にも目が向いていく。



 幼馴染に結海茜という問題児がいた。

 やんちゃで成績は良くないが、不思議と要領が良く、地頭がいい。

そして、モデルみたいに綺麗で、愛嬌があって、運動神経も良くて。



 星来はそこまで考えて大きなため息をついた。

何度彼女になりたいと思っただろうか。


 面倒くさそうだという理由で、モデルスカウトの話を断った話を聞く度に。


 両親から要らないものをプレゼントされたと嘆かれる度に。


 知らない男子生徒から告白されたと聞く度に。


 欲しいものを全て持っていて、しかもそれを持っているのが、当たり前のことだという価値観の茜が、心底羨ましかった。


 何度も何度も、星来は自分と彼女を比べてきた。



「星来!これ可愛くない?」


 茜に誘われ、塾を休んでまで行ったショッピングモールで、可愛らしい髪留めを選びながら、いたずらっ子のように微笑む彼女。


 星来とは違う学校に進学した後も、いつも通り上手くやれているらしく、とても活き活きしているように見える。


「かわいいですね」

「っしょー?最近入れたカラーにも合いそうじゃない?」


 黒髪の中に銀のインナーカラーが輝いている。

 茜はいつも通り、完璧なメイクを施し、爪先まで美しい。


 茜の両親はきっと、そういう派手な格好をする娘に対しても咎めたりしないのだろう。


 羨ましくて仕方がない。


「これ星来に似合いそうじゃん」

「えっ」


 彼女に渡されたそれは、淡い緑色のバレッタだった。

 とても品のあるデザインになっていて、確かに今の地味な自分が付けても、清潔感があって良いように思えた。


 しかし、幼い頃に髪留めを購入したことで叱られ、目の前で捨てられたことがトラウマになっている星来は、誤魔化すように微笑みながら、バレッタを元の場所に戻す。


「いらないの?」

「ほら、怒られちゃうから」

「それじゃ、あたしが買ってやるよ!」

「だめ!」


 自分でも思ったより大きな声が出てしまった。


「ごめんなさい。……貰い物でも怒られちゃうから……」

「ちぇ……、そっか」


 星来は愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごした。

本当は欲しかったそれを、少しだけ眺めてからその場を離れた。


 その日の夜、塾を休んだことがバレてしまい、父からは叩かれ、母からは怒鳴られた。


 叩かれながら思ったのは、きっと今頃茜は何事もなかったかのように家族と談笑して、好きなことをしながら悠々と過ごしているんだろうな、ということだった。


 多少なりとも、嫉妬があった。

 星来は親に詰問され、茜と一緒に過ごしていたことを白状した。

 両親からの茜への印象は最悪なものになった。



 翌日はいつも通りの学校。

 机や椅子に、濡れた雑巾が投げ捨てるようにして置いてある。

 それを退けてみると、直接的で、卑猥で、攻撃的な言葉が一面に現れた。


「掃除してあげようと思ったんだけどさー」

「取れなくてごめんね?」


 女子生徒が複数人、笑いながら持っていた濡れ雑巾を星来の頭に乗せる。


「汚いから顔洗ってきたら?」


 周りの生徒達がそれを見て爆笑する。


「授業始まるよー」


 教室に入ってきた教師は、そんな状態の星来に見向きもしない。

 授業についてこれない上に、根暗で自分の意見もなく、愛想も良くない星来は、教師からも()()()()()として扱われていた。


 そうか、私には何処にも居場所がないんだ。

でも、どうやって逃げればいいのか分からない。

誰も逃げ方を教えてくれない。


 誰かに助けてほしかったのに、茜にこのことを相談するのは何だか嫌だった。


 プライドもそうだが、弱いところを見られるのが恥ずかしかったのかもしれない。


 星来はいじめを受けながらも反抗せず、ただ淡々と生きているだけの屍だった。





 親から色んなものを取り上げられ、趣味で持っている物はほとんどない。


 しかし、連絡手段として必要なスマートフォンに関しては、必要以上に使用しないことを条件に、持つことを許されていた。


 星来は密かに恋愛ゲームをダウンロードし、親から見つからないところで、隠れて遊ぶようになった。


 最初はただの息抜きで遊んでいたゲームだったが、作中に出てくるアドリアン王子が、主人公である自分にどこまでも優しくしてくれて、いつしか本当に彼のような人が現れればいいのにと願うようになっていった。


 心の拠り所を見つけた星来は、学校で鞄の中身をぶち撒けられたり、教師に当てつけのように居残り補習をさせられたり、親から部屋に軟禁され、勉強させられても、前よりは少しだけ気分がマシになっていた。





「清沢さん、最近反応薄くない?」

「あんま調子のんじゃねーよ」


 教室の床に四つん這いにさせられて、何度も蹴飛ばされる。

たくさんの生徒に背中やらお尻やら頭やらを踏みつけられて、ぷつりと糸が切れた。


 彼女はアドリアンの存在も忘れ、もう死んでしまおうかと思い至った。

 この世界に自分を救ってくれる人はいないと理解してしまった。

それならもう、ここにいる必要なんてないのではないかと。


 気がつくと、授業はまだ終わっていないのに、星来は鞄だけを持って学校を飛び出していた。


 長い間走ったような気がする。

疲れを感じて立ち止まった。


 最期にアドリアンの顔を見たくなった彼女は、道の端に寄ってアプリを起動し、愛しい人に小さく声を掛ける。


「アドリアン、さようなら……」

『……セーラ。死んだらダメだ』

「えっ?」


 スマホの画面が白く光ったかと思うと、優しい腕に引かれ、抱きしめられる感覚があった。


「大丈夫。こっちでなら僕がセーラを守れるから」


 気がつくと、辺りは見知らぬ宮殿の一室に変化していた。

尚も抱きしめられる感覚は続いている。


 星来は何が起きたか理解が出来なかったが、自分を抱き締めているのが、他ならぬアドリアン・シュテルンバークだと気づいてたじろいだ。


 アドリアンはそれを知ってか知らずか、星来の手を握り、何かを確認するように少し撫でてから、小さく微笑む。


「やっぱり君だったんだね」

「え、えっと……、えっ」

「セーラ。君がここに来るのをずっと待っていたよ」


 よく分からない状況のまま、また彼に抱きしめられる。


「聖女……。やっと見つけた」


 聖女と呼ばれた星来は、きょとんとしながら、ただ好きな人の抱擁を受けるのだった。





 星来は聖樹に予言されていた聖女だという。

不定期に現れる魔獣を浄化し、王国に光を取り戻す存在。


 そして、聖女は王子と結婚する権利を得るという。


 それは、プレイしてきたゲームアプリの『恋する聖女と王子さま』と、そのまま同じ内容のストーリーラインだった。


 作中では複数の攻略対象者が現れ、中心には必ずアドリアン王子がいる。


 ルートによっては、王子との婚約破棄をして、他の攻略対象と結婚するというストーリーになるが、星来はそういったことを望みはせず、アドリアンとの仲を深められるよう、基本的に彼と一緒に行動するようにしていた。


 しかし、他の攻略対象者たちも聖女に近づきたいのか、諦めずに好意を示してきた。


 彼らはやがて星来の取り巻きとして、求愛を繰り返しつつも、困ったときには助けてくれ、魔獣と共に戦い、守ってくれる存在となっていった。


 元の世界では得ることが出来なかった幸福な日々。


 それでも生真面目な少女は、こんなことをしていていいのかと、罪悪感に苦しめられ、過去の出来事を悪夢として、何度も繰り返し見ている。


 カナチア学園に入学して一ヶ月。

 死のうとしたあの日から一ヶ月。



 現実に意識が戻る。

窓の外の空が、既に白んでいた。

今日も上手く眠ることは出来なかった。


 部屋は快適な温度であるにも関わらず、星来の額には嫌な脂汗が浮かんでいる。

あまり万全の体調とは言えない。


 豪奢なベッドから起き上がる。


 この部屋はアドリアン王子の部屋の次に、豪華な部屋だと教師から説明された。


 この学園は、貴族の階級に合わせて寮の個室のグレードが違うそうだが、星来にとっては、ただ広いばかりで寂しい場所だ。


 異世界に転移してきた今でも思う。

 茜が同じ高校に通っていたら、あの底抜けの明るさや、無神経な優しさのお陰で、いじめられずに済んだかもしれない。

 そんな都合のいいことを考えてしまい、嫌悪感が溢れる。


 正直な話、茜と違う高校に通うことになったあの時、問題児の面倒を、もう見なくていいのかもしれないと思ってしまったのだ。


 そのことが現実世界での自分の首を強く絞めるとも知らずに。


「また誰かのせいにしてる。そういうところ、お母さんにそっくりじゃない」


 星来はそう言って顔を覆った。

自分の中に、暴言を吐く母と、怒りですぐに手が出る父の嫌なところが滲み出てくるのが嫌で、早くあの頃のことを忘れたいと、少女は泣きながら祈り続けた。


 美しい家具に囲まれ、広々とした快適な部屋の中で、ただ一人、孤独を噛み締めながら、聖女はただ泣き続けた。

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