第一話 消えていく
「また、行方不明者です」
ニュースキャスターが眉根を軽く顰めながら、厳しい口調でそう言う。
キャスターの近くに居るアナウンサーも、専門家らしい禿頭の男も、口元を引き締めたまま椅子に座っている。
「今回で、関連性があると思われる行方不明者としては、五十六人目となります。年齢は十六歳、身長は――」
淡々とした口調で行方不明者の特徴が挙げられていく中、アナウンサーは原稿へと視線を落とした。
「これらの事件には、何か共通点があるのでしょうか?」
そう言いながら、禿頭の男の方に向く。
「そうですね……。若い十代の女性が比較的多いという点は挙げられるでしょうが、その方を含めた世帯員全員が失踪しているケースもあります」
この事件を分析しているという専門家の彼は、出来るだけ自分の感情が声に乗らないようにしながら、慎重に話している。
「また、これら一連の事件に乗じた模倣犯も紛れている可能性がありますから、はっきりとした共通点が明確になっていない部分もあるんですよね。ただ……」
続きが気になったのか、少し女性アナウンサーの身体が前のめりになる。
「行方不明になられている女性方に関して言えば、学校や家庭で……なんとなく居づらさを抱えていたのではないかという話は出ております」
「居づらさが原因の家出……、または夜逃げといったようなことですか?」
「あくまで可能性のひとつですよ」
アナウンサーは同じ女性として何か思うところがあったり、不安があったのかもしれない。
もっと明確な答えが欲しかったのか、返答が曖昧だったことに少し残念そうな表情を浮かべている。
「そうですか。……被害者の方々が早く見つかることを願うばかりです。尚、この件について政府は――」
そんな、テレビの中の他人の声を聞きながら、結海茜は嗚咽を漏らして泣いている。
そんな彼女を遠くから見守りながら、その両親もまた目に涙を溜めていた。
茜の親友の清沢星来の消息が分からなくなったと、彼女の母親から連絡を貰ったのは、今から二時間程前のことだった。
茜にとって星来は、幼い頃から中学までずっと一緒に居た大切な存在だったが、そんな彼女が茜とは別の進学校に上がった後、同級生からいじめられていたなどとは想像もしていなかった。
「なんで気づいてあげられなかったんだろ……」
「茜。そんなに自分を責めても仕方ないわ」
まだ若い少女は、母親のように落ち着いていられるほど大人にはなれない。
自分を心配してくれているのは十分わかるが、それでも本心とは真逆に、優しい母を睨みつけてしまう。
「だって!あたしが気づいてたら星来は居なくなってなかったかもしんないじゃん!親が厳しすぎて、元々家にいんのが辛いっていつも言ってたのに、あたしがバカで一緒に居られなくなったから……」
こうなるんだったらもっと勉強しておくんだったと、茜は勉強を嫌う自分の頭を憎んでいる。
その様子を見た母は、ショックを受けたような表情で固まってしまった。
いつもは暖かな空気が漂う結海家のリビングは、今や夏とは思えないほど冷ややかな空気に包まれている。
「……ちょっとあたし星来ん家行ってくる!」
「何言ってるの!もう遅いのよ!」
「何もしないでいるのとか無理だから!」
茜がそう言って飛び出そうとするのを母が止めようとするが、父は静かに首を横に振った。
娘はこういう時、どんなに止めようとしても止まった例が無い。
とはいえ、失踪事件が連続している最中だ。勝手に出歩かせるわけにもいかないだろう。
「車で送るよ」
父は静かにそう言って、出掛ける準備を始める。
彼はいつも極めて冷静だったが、冷酷ではない。
茜はそんな優しい両親に甘えっぱなしだ。
そんな自覚がありつつも、思春期を引きずって何となく素直になれずにいる。
一人娘は何も言わないまま、泣き腫らした瞼を保冷剤で冷やしつつ、父親の支度が終わるのを待つことしか出来なかった。
目的地に到着した後、茜は父を車で待たせ、星来の家の呼び鈴を何度か鳴らした。
結構大きい家だ。
父親は医者で、母親は元看護師だと聞いている。
なかなか人が出てこない為、もう一度だけ鳴らすと、中から厳格そうな雰囲気の女性が現れた。
女性は、いかにも現代の若者といった浮ついた雰囲気を持っている茜の姿を見て、汚いものでも見たかのように表情が険しくなった。
茜は長い黒髪に黒い瞳を持っているが、その黒髪には銀色のインナーカラーが入っていて、メイク等も含め、見るからにイマドキの高校生といった様相だ。
星来に対して厳しいしつけをしているこの女性からすれば、茜は《娘を毒す存在》という認識しか無いのだろう。
「星来のお母さん、ですよね?あたしがあの子を見つけてくるから、手掛かりになりそうなことがあったら教えてほしいんだけど」
そう言うと、女性はあからさまに嫌そうな表情を作った。
茜は、直接会うのは今回が初めてだったが、聞いていた話だけで既に星来の母親のことを嫌いになっていた。
この人も、この人の夫も、過度な期待でずっと娘を支配してきたことを知っている。
星来が悩んでいた時に、寄り添おうともせず、ただ無心で勉強することだけを押し付けてきた非情な人たち。
当然信用出来ない。
星来の母親は眉根を寄せながら口を開く。
「いいですか?私があなたに星来がいなくなったことを連絡したのは、あなたならあの子の居場所が分かると思ったからです。あなたに何かをして欲しいなんて考えていません」
それを聞いた茜は、許されるのであれば目の前の女をぶん殴りたいくらいの怒りに駆られたが、なんとか拳を握り、ぐっと堪える。
「そんなんでいいの!?心配で居ても立ってもいられないとか無いわけ!?」
少女の精一杯の抗議に対し、女は呆れた様子で深い溜息を漏らす。
「あなたにとって私がどんな母親に見えているのかは分かりませんが、あの子を愛していたからこそ期待していたんです。辛くないわけが――」
「あっそ!失踪したのはすごく期待外れだっただろうね!」
それを聞いて激昂したのだろう。
星来の母は反射的に片手を振り上げ、茜の頬を引っ叩こうとした。
しかし、すんでのところで我に返り、静かに手を引っ込めた。
「……あんたのそういうのが、あの子を追い詰めたんだ」
女はもう何も言えなくなったようだ。
引いた手をもう片方の手で押さえ、動かないように固定してなんとかやり過ごそうとしているらしい。
しばらく沈黙が続き、星来の母も茜も、一歩たりとも動かなかったが、大きな溜息がその静寂を破る。
「……あの子、スマホを置いていったんです」
意外なことに、母親は懐に星来の持ち物だったスマートフォンを入れていた。
彼女が嫌な親なのは間違いない。それでも、彼女なりではあるが、娘を心配してスマホを持ち歩いていたのかもしれない。
「私にはロックを開けなかった。でも、あなたなら開けるかもしれない」
親なのに、星来の好きなものが分からない。
そう降伏しているようだった。
彼女は震える手で茜にスマホを押し付け、そっぽを向く。
素直に受け取り、親友が推しているゲームキャラの誕生日四桁を入力すると、あっさりとホーム画面に辿り着いた。
横目でちらりとその光景を見た母親は、自分がいかに娘を理解していなかったかを痛烈に思い知らされ、打ちのめされているようにも見える。
「多分あんたには見られたくないと思うんで、離れて」
年上相手に話しかけているとは思えないほどの酷い態度で、茜は星来の母親を牽制する。
それに対して何も言えないまま、女性は家の中へと逃げるように入ってしまった。
色々とショックが重なったのだろう。咽び泣く声が聞こえてきた。
それに対して同情するでもなく、茜は淡々と他人の家の、緑が生い茂る美しい庭で、親友のスマホの中にある連絡アプリの内容を見た。
クラスのグループチャットを覗くと、そこには大量の、星来への悪口が書かれていた。
行方不明になってくれて精々したといった内容に共感する、おぞましい連中のやり取りが今でも行われている。
茜は拳をぷるぷる震わせながら立ちつくした。
吐きそうな気分だ。
星来は親の影響で、確かに流行りものに疎いところがあったし、外見も地味だったが、優しくて本当にいい子なのだ。
どうしてこの人たちは、自分たちのいじめが原因で姿を消したかもしれないということを考えないのだろう。
会話をしている連中は、星来と同じ進学校に通っているはずだが、実際は勉強がまるで出来ない自分なんかよりも、ずっと馬鹿な人たちだと感じ、同時に頭に血が上った。
言い返してやりたい。
そう思ってチャットを打とうとしたが、止める。
星来が帰ってきたら、ここで自分が言い返すことにより、今後何か困らせてしまうかもしれない。
何とか無理矢理思いとどまって、連絡アプリを閉じる。
その時、裏でタスクが起動しているアプリの画面をうっかり開いてしまった。
話に聞いていた星来の推しだという、やたら顔のいい王子様キャラが現れる。
「こいつが、星来が言ってたアドリアン王子か……」
『そう。僕のこと知ってるんだ?』
突然画面の中のイラストから声を掛けられたことに驚いて、スマホを取り落としそうになる。
「な、なに!?声に反応するAI?」
『えーあい?そういうのは知らないけど、セーラのことならよく知ってるよ』
画面の中の王子の言葉に、茜は眉を顰めた。
「それ、どういう意味!?」
『セーラに会いたいんだよね?』
「そりゃそうだよ!居場所を知ってるなら教えて!」
金髪碧眼の典型的な、イメージ通りの王子様。
彼は優しげに、こちらに微笑を向けてきた。
『じゃあ、こちらに来ればいい』
空間が歪む。
「まあ、会えるかは君次第ってところだろうけど」
そんな意味不明な、且つ不穏な言葉が耳元で聞こえてきたのを最後に、目の前が真っ白に光る。
茜は訳が分からないまま、意識を手放した。
白い光が消えた後、そこには誰もいない。
ただ、画面が暗くなったスマホが、庭先の芝生の上に落ちているだけだった。




