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09. 眠れない夜と優しさと

 公爵邸へ招待されて地獄のような時間を味わい、義兄から治癒魔法を習い始めて三ヵ月ほど経った。

 婚約者はさすがにやりすぎたと思ったのか、少しルーシーへの当たりが弱くなった。

 彼から手紙が来るたび怯えたが、再び公爵家へ招集されることもない。


 伯爵家の庭の一番立派な石造りのガゼボは夏の盛りだと言うのに、ヒンヤリとした空気が流れていた。

 それはガゼボ内を適温にする魔道具のお陰ではなく目の前にいる婚約者のせい。

 義母や義兄とのお茶の時間との落差にため息をつく。


 「ふん、まぁまぁか」


 義兄との治癒魔法の練習のせいか、ルーシーは婚約者相手の治癒のコツを掴みつつあった。

 婚約者は無意識なのか意識的なのかわからないが、ルーシーの治癒魔法をのせた魔力を拒んでいる。

 しかし繊細に見えて実は大雑把な婚約者には隙がある。

 

 かつては横柄な婚約者の態度に焦って、はじめに勢いよく魔力を注いでいた。

 やり方を変えて、はじめは婚約者が張り巡らしているガードを探るようにゆっくり静かに魔力を注入する方法に変えた。   

 ガードの穴を見つけたら、その穴に応じた量をゆっくり流し込む。治癒の終わりもルーシーの方が決めるようにした。


 婚約者はそんなルーシーの試行錯誤に気づくことはなかった。彼から文句を言われることもなくなったので、上手くいっているのだろう。

 ルーシーが魔力枯渇で倒れることもなくなった。


 ここしばらくは義兄から治癒魔法をかけてもらっていない。

 それがどこか寂しく感じられた。

 でも結婚したら、それが当たり前になるのだ。

 ルーシーは気持ちを引き締めた。


「あの、最近、お怪我が多いようですが……」


「何が言いたい?」


 ルーシーの治癒魔法の腕が上がるのに比例して、婚約者の怪我が増えてきた。

 本来は婚約者の交流のお茶会は月に一度なのだが、前触れもなくやってきて、治癒魔法だけを求めてお茶も飲まずに帰る事も多い。


「騎士団で治癒魔法師の手が足りていないのですか?」


「ふんっ。なにも知らない者が邪推するな。お前は黙って治していればいいんだ」


「かしこまりました」


 別に婚約者の身を案じているわけではないが、もやもやした気持ちで彼を見送った。


「ルーシーががんばっているところ悪いけど、よくない傾向ね……」


 玄関でぼんやりと物思いにふけっていると、いつの間にか隣に義母がいた。


「お義母様、彼についてなにかご存じですか?」


 彼女は茶会や夜会にせっせと顔を出しているため、人脈が豊富だ。ルーシーの知らない情報もたくさん知っている。


「元々ね、器用で天才肌なタイプらしいのよ」


「はい。そんなかんじがしますね」


 彼は生まれつき、外見も能力も環境も全て持って生まれてきたような人間だ。

 いつも自信に溢れている。


「よくある話だけど、努力や鍛錬は嫌いなの。それなのに格好つけたがる。近衛騎士で王族を警護するのが仕事なのに、仕事の合間に城下で見回りしては、関係のないもめ事に突っ込んでいくそうよ」


「だから……」


 いくら騎士団の隊長だからといって、職務外で負った傷を王宮の治癒魔法師に治してもらうことはできない。だから、ルーシーを頼っているのだろう。


「彼に助けられた貴族令嬢とか市井の民は、彼を褒めたたえているわ。多少無茶してもルーシーに治してもらえるしね」


「でも、それはなんだかよろしくない気がします……」


「そうね。彼の熱狂的なファンの貴族令嬢が襲われたって嘘ついたり、本来、城下を警備する騎士隊の職務の邪魔になったり、他の騎士にまでその行為を強要する声が出てたり、じわじわと弊害が増えているのよね……」


「……すみません」


 ルーシーが婚約者の機嫌をとるために安易な方法を選んだせいで、たくさんの人の迷惑がかかっている。

 その事実に肩を落とす。

 どうしてやることなること、上手くいかないのだろう?


「ルーシーが悪いわけじゃないのよ。問題はあの男が自分の行動がもたらすことがどんな結果を招くのか自覚してないことよ。私にもどうするのが正解かわからないわ」

 

 いつも朗らかな義母が額に皺寄せている。

 それを見て、ルーシーの気持ちも深く深く沈んでいく。

 二人は無言で婚約者の出て行った玄関の扉を見つめた。



 ◇◇


 

 ルーシーは婚約者と会った日の夜は寝つきが悪かった。

 婚約者が負う怪我の増加と義母から聞いた彼の話に、もやもやした気持ちが胸に広がる。


 今夜も眠れなくて伯爵邸の廊下を、足音を忍ばせてさまよう。


 ルーシーの部屋のある三階と二階をつなぐ階段の踊り場の窓から、階下を見下ろした。

 昼間はここから見えるお気に入りの木製のガゼボも闇に紛れて見えない。


 胸元からそっと鎖を取り出した。

 母の形見の指輪の横で揺れる一回り小さな指輪を手のひらにのせて、左手でつつく。


 義兄からもらった琥珀色の再結晶宝石で作った小指用のシンプルな指輪だ。

 人前でも付けられるように、宝石は内側に入れてもらった。

 それでも婚約者や父に見つかって取り上げられるのが怖くて、つけることもできずに母の形見の指輪と共に鎖にぶら下がっている。


 いずれお気に入りのガゼボも、義母も義兄もいない場所にいかなければならない。

 ルーシーに優しくしてくれる人のいない場所に行く。


 行きたくない。

 ここにいたい。

 

 でも、貴族令嬢が政略結婚をするのなんて当たり前のことだ。

 ここまでお金や手間をかけ育ててもらったのだ。

 家の役に立ってこそ、生きる価値がある。


 そんなの、わかっている。


 だけど、公爵家やあの家に紐づく者達のことを思い浮かべるとどこかへ逃げたくなる。

 もう二度とあそこには行きたくない。


 でも、報いたい。

 唯一ルーシーに親身になってくれる二人に。


 ルーシーが願うのは、二人が背負って暮らしていく伯爵家の安穏だけだ。

 正直なところ、貴族令嬢の義務も伯爵家も父のこともどうでもいい。


 だからルーシーは婚約者に少しでも気に入られるようにあがくし、大人しく結婚する。


「ルーシー、眠れないのか?」


 今、帰宅したのか旅装姿の義兄が階段を上がってきた。

 指輪を見られるのが気まずくて、胸元にさっとしまう。


「……少し」


 義兄が差し出した手を取ると、そっと手を引いてルーシーの自室まで連れて行ってくれる。

 まるで小さな妹に兄がするように。


 義兄がベッドの上掛けをめくるので、大人しく布団に潜り込む。

 子供のようにしっかり布団でくるまれる。ルーシーの額に義兄の少しざらついた手が添えられた。


「はい、練習。いつもと逆な」

 

 大きな手を通して流れ込んでくるあたたかい魔力に、沈んでいた心が包まれる。


 治癒魔法は体にしか作用しないはず……。

 体の怪我とか症状とかにしか効果はない、とされている。

 疲労回復や安眠効果といった曖昧な効果はない、はずだ。

 なのに、義兄の治癒魔法はルーシーのどんな苦しみも消し去ってくれる。


 婚約者がお義兄様みたいな人ならよかったのに……。

 弱った心から本音がこぼれる。


 優しくされると、ありえない幸せな未来を描いてしまいそうになる。

 眠りにつく前は理性があまり仕事をしない。

 だめだ、だめだ。そんなこと考えちゃだめだ。


 なんでお義兄様の魔力はいつも静かであたたかいのかしら?

 これなら嫌われているって思っていた頃の方がましかもしれない。

 優しさを知ってしまったら、離れがたくなる。


 結婚して会えなくなったら。

 いつかお義兄様の横に別の人が立つ姿を見たら。

 苦しくて苦しくて仕方なくなるだろう。


 義兄のかさついた手のひらに向かって、魔力を額から返す。

 自分の気持ちが魔力から漏れているかもしれない。

 自分の中であふれそうになっている、この想いが。


 もう、この手なしではきっと……。


 でも結婚したら、彼から治癒魔法をかけてもらえることはない。


 手のひらと額を起点にして、くるくると二人の魔力が巡る。


 結婚して辛くなったら、どんどん治癒魔法を使おう。

 がめつい公爵家の人達のことだ。

 なんでもないことで治癒魔法をせびるだろう。

 一緒に暮らすようになったら、婚約者の弟の要求もきっとエスカレートしていく。


 どんどん魔力を使って、空っぽになるくらい使ってしまえば、きっと楽になれる。

 そうしたら、なにも感じなくなるだろう。

 この家から出たら、なにも見たくないし、なにも感じたくない。

 それでいい。


 胸元の母の形見の指輪をぎゅっと握りしめた。

 ルーシーが儚くなっても、伯爵家に迷惑はかからない。


 ああ、でも、そうなったら義母は悲しむかな……?

 じゃあ、生きなければ。

 義母も義兄もいない場所で。

 この手のあたたかさのない場所で。


「もう、優しくしないで……」


 こぼれた一粒の涙をぬぐってくれた感触を最後に、ルーシーは眠りに落ちた。

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