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08.治癒魔法の実践

 義兄との距離は自然と縮まった。


 以前はルーシーを寄せ付けないような固い雰囲気をまとっていたのに、顔を合わせれば話すし、治癒魔法の実践相手にもなってくれる。


 今日もルーシーの部屋まで、治癒魔法に関する文献を持ってきてくれた。学生時代の伝手などを当たって、他国の書籍なども取り寄せてくれている。


「そういえば、治癒魔法は美容には効かないですか? シミとか皺とかには……」


 異国の文字の書かれた分厚い本を手でなぞる。

 大陸の公用語なので、きっとルーシーでも読めるだろう。

 家庭教師から語学を習っている時には、なんの役に立つのだろうと疑問だったが、ついに出番が来た。


「あのなぁ、何回も言うけど治癒魔法は気休めだ。万能じゃない。そんなになんでもかんでもできたら、王族に囲われるだろう……」


 すぐに部屋を出ていくつもりだったのか、背を返そうとした義兄の足が止まる。

 ルーシーは最近、彼に気軽に質問してしまう。


 義兄は呆れながらも、きちんと回答してくれるし、恐らくルーシーを嫌ってない。

 他の人に対するような柔らかい態度ではないけど、家族として気遣ってくれる。


「あの、治癒魔法は怪我やなんらかの症状にしか効かないのですよね?」


「ああ、文献にはそう記されている」


 義兄は窓際の壁にもたれて腕組みをして、ルーシーに向き合った。

 

「では、お義兄様がいつも、私が治癒魔法の使い過ぎで魔力枯渇を起こした時に遠隔でかけているのは?」


「……あのな、治癒魔法は原理が解明されていない。発動方法も原理も曖昧だ。他の属性の魔法より能力を発現する個体が少ないせいもあって、研究が進まない分野なんだろう。効果があることはわかっている。でもどのように発動し、どのくらい効くのか、長期的に見て副作用が術者や被施術者に出るのかもわからない。結果や経験談が残っている。その程度のものだ」

 

 慎重に言葉を選んでいるのか、いつもより話し方がゆっくりだ。

 義兄の話したことは基礎的なことで書籍にも載っているので、知っている。


「わかっていることは、術者がリラックスして、なにを対象とするか意識することで治癒魔法をかけることができることだけ。あとは、怪我や症状など具体的であるものが対象となること。治癒魔法の力が魔力量に単純に比例するわけではないということ。他の属性の魔法より、魔力を使うこと。これくらいだ」


「それなのになぜ、お義兄様は遠隔で施したり、疲労回復や魔力枯渇に対応したりできるのですか?」


「わからない。ただ、色々やってみただけだ。幸いなことに母さんやアレックスが実験台になってくれたからな。ああ、アレックスは幼馴染の腐れ縁だ。ルーシーは会ったことなかったか。今は領地で一緒に仕事している」


 過去を思い出したのか、義兄の顔にふっと笑みが浮かんだ。


「話がそれたけど……いつもルーシーが倒れそうな時は、心身の回復を意識して、力を抜いて、治癒魔法をのせた魔力を飛ばしている。効果があったなら、よかった。それすらも自分にはわからない」


「意識する……」


「ルーシーはいつもどんな手順で治癒魔法を使っているんだ?」


「えーと……、手袋を脱いで、患部に手を当てて、そこが治りますように、と祈ります。魔力を流しながら、ずっと治りますように、と祈っています」


「なるほど……祈りか、ルーシーらしいな」


 義兄の顔に微笑みが浮かぶ。

 最近、ルーシーの前でもずいぶん表情が柔らかくなった。


「意識するでも祈るでも、とにかく目的をはっきりさせれば問題ないと思う。ただ、術をかける前に一回だけでいい。魔力を流し始めたら、むしろ頭は空っぽにして治癒してやろうって力まずにリラックスしたほうがいい。怪我を治すのも魔力枯渇をどうにかするのも疲労回復するのも、一回意識するだけだ」


「怪我とか以外の曖昧な効果を出すことが、私にもできるでしょうか? 」


「はぁ。本当にルーシーは熱心だな……」


「あの、やってみてもいいですか?」


「……わかったよ」


 言い出したら聞かないルーシーに慣れてきたのか、ため息をつきつつ部屋に備え付けられたソファーに座る。

 

「ルーシーの思うようにやってみな」


「頭に触れますね。疲労回復と一回意識する……」


「今まで通り、祈る、でいいよ。慣れたやり方はあまり変えないほうがいい」


「えーと、お義兄様の疲労が回復しますように……」


 ルーシーは義兄の背後に周り、頭にそっと手を添えた。

 クセのある明るい茶色の髪は、見た目より柔らかい。

 その感触に一瞬、胸が跳ねた。

 ふわりと爽やかな香りがする。

 

「治癒魔法をのせた魔力を流す……力を抜く」


 いつもどうやっていただろうか?

 婚約者の艶やかな黒髪を思い出して、鳥肌が立つ。

 頭痛を治せと言われたら、頭痛が治りますようにとひたすら祈っていた。

 ずっとそのイメージを持って、息を詰めて早く治れと念じるように魔力を送り込んでいた。


 なるべくなにも考えない。

 体の力を抜く。ちゃんと呼吸する。

 いつもより魔力消費は少ない気がする。

 こんなやり方で本当に効くのだろうか?


「ルーシー、大丈夫だ。ちゃんと効いている。なるほど、心地いいものだな……」


「本当ですか?」


 やはり座学だけではだめなようだ。

 経験者の言葉と実践に勝るものはない。


「ルーシーはなんでそこまでがんばる? 婚約者のためか?」


「私には治癒魔法しかないから。婚約者のことは好きではないですけど、この先ずっと一緒にいるのなら、相手から嫌われたくはないです」


「あいつにはなんでルーシーの良さがわからないのかな……」


 彼に顔を見られていなくてよかった。

 ルーシーの心は義兄の一言一言に揺さぶられる。

 顔が強張ったり、緩んで赤くなったり忙しい。


「やばい。ルーシー、眠りそうだ……。ねてたら、じじゅうをよんで……」


 ソファに座る義兄の体が横に傾いていくのを見て、慌てて彼の前にまわる。

 幸いなことにソファの端に座っていたため、長身の義兄が横に倒れても大丈夫だった。

 お行儀よく、座った姿勢のまま、横に倒れ込んでいる。

 

 冷え性のルーシーのために部屋に備え付けられているふかふかの上掛けを義兄にかける。

 花柄のビロード張りのソファと、ピンクのふかふかの上掛けが彼に似合っていない。

 アンバランスな様子がおかしくて笑いがこぼれる。


 床に子供のように座り込んだまま、ルーシーは義兄から目を離せなかった。


 長身なのに、ルーシーと話すときは背をかがめてくれるので、普段はあまり大きく感じない。

 でも、こうして無防備にソファで寝ていると、彼の体格の良さがわかる。

 ふわふわの上掛けをかけてもわかる筋肉質な上半身。

 ソファから無造作に投げ出された長い脚。

 

 安心しきっている眠る顔は少し幼い。

 癖をそのままにして整えられていない明るい茶色の髪。

 長いまつげが頬に影をおとす。

 日に焼けにくいという白い肌は、ルーシーよりは健康的な色をしていて張りがあって、いつも険しく結ばれている唇はゆるく弧を描いている。

 琥珀色の瞳が見えないのは残念だけど、まじまじと義兄を観察できる機会はあまりない。

 

「お義兄様、忙しいのに……」


 目の下に隈が鎮座している。

 ただでさえ、仕事や父からの引継ぎで、伯爵領と王都を行ったり来たりして忙しくしているのに。

 煩わせてはいけないと思うけど、甘えてしまう。


「せめて、少しでも楽になったら……」


 どうやらルーシーの疲労回復の祈りを込めた治癒魔法は義兄に効いたようだ。

 さすがに眠る義兄に触れることはできないので、遠隔で治癒魔法を行うことにする。


「ええと、疲労回復と一回意識……じゃなくて祈って、力を抜いて魔力を流す」


 義兄がいつもルーシーにかけてくれるように、手のひらを彼に向ってかざす。

 たしかに手で触れている時より微弱だが、魔力がゆるゆると流れていく感覚がある。


 お義兄様が少しでも楽になりますように。

 気を抜くと思いを込めてしまいそうになる。

 それに気付くたびに、その思いを手離して、できるだけ頭をからっぽに保つ。


「もう少しだけ」


 お義兄様の言いつけ通り、侍従を呼ばなければ。

 そう思いながらも、ルーシーはその場からなかなか動くことができなかった。 

 遠隔の治癒魔法の訓練だと言い訳をして。

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