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おそらく、私には異性から嫌われる呪いがかかっている  作者: 紺青


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03.お義母様

 しかし、ルーシーの呪いは異性限定だ。

 異性には嫌われるけどその分、同性からは過剰にかわいがられる。


「ルーシーは今日もかわいいわねぇ。体調は大丈夫? はぁ。私に破談にする力があればいいのに! 毎回、倒れるまで治癒魔法を使わせるなんて、信じられない」


 伯爵邸の庭にある小ぢんまりとした木製のガゼボで、ピンクの薔薇が描かれたティーセットを前に座る義母の方がよっぽど瑞々しい魅力を放っている。


 小柄で華奢な体に淡いピンク色のデイドレスに包まれている。

 小さな輪郭の顔に収まる大きな瞳と鮮やかな赤い唇。

 紡ぎ出される言葉や態度は若々しく、生命力に溢れている。


 ルーシーはどちらかというと美人と評される部類だが、義母であるシャリーンはずいぶん年上なのにかわいいという言葉がよく似合う。義兄と揃いの柔らかい雰囲気に見える茶色の髪と琥珀の瞳がうらやましい。

 

 子供が娘一人という状況に対して親戚や派閥の貴族がいくら口うるさく言っても、亡くなった母を深く愛していた父は、後妻を娶ることも養子をとることもしなかった。

 しかし、ルーシーの婚約が10歳で決まると、なんの前触れもなくシャリーンを連れてきた。後妻として。


『まぁ、なんてかわいいの!』

 初対面でぎゅっと抱きしめられてから、ルーシーは彼女のことが大好きだ。

 我ながら安いものだと思う。

 でも、誰からも顧みられることのなかったルーシーにはその言葉と抱擁が染みたのだ。


 父とシャリーンが再婚してから彼女に用事がない限り、ルーシーのお気に入りの木製の素朴なガゼボで毎日のように二人でお茶をしている。


「ふふふっ。ルーシーはすこーしだけ甘い紅茶が好きでしょう? この紅茶はね、茶葉にはちみつの風味がついているものだからほんのり甘いのよ。どうかしら?」


 秘密を打ち明けられるように微笑みかけられて、頬が染まる。

 父や他の人がいる前では完璧な淑女である彼女が、二人きりになると砕けた態度になるのが好きだ。


 ――そうなの? すごい!

 本当はルーシーも彼女のように気安い言葉で会話をしたいけど、染み付いたマナーのお陰で口からは出ない。


 目の前のティーカップに注がれた紅茶はいつもと変わらないように見える。カップを手に持ち、注意して匂いを嗅ぐと確かにはちみつの香りがする。

 そっと口に含むと、ほんのりとはちみつの甘みが広がった。ルーシーの頬が緩む。

 父の無関心も婚約者の横柄な態度も義兄の険しい表情も、全てが溶けていくようだ。


「おいしいです」


 普段はりつけている穏やかな笑みではなく、ルーシーは心からの笑顔で応えた。

 ルーシー自身に興味を持ってもらえていることがなにより嬉しい。


「ふふっ、よかったー。ルーシーの好きな苺でミニタルトも作ってもらったのよ。紅茶にも合うと思うわ」


 勧められるままに、まるでルビーのように艶々と輝く苺のタルトを頬張った。

 甘酸っぱい苺にまろやかなカスタードが絡み、サクサクした香ばしい生地が砕ける。

 

 ルーシーは紅茶やタルトを味わいながら、ガゼボから辺りを見渡す。

 薔薇の赤とそれを取り巻く瑞々しい緑。その向こうに広がる青空。

 婚約者と過ごした時と同じようにお茶をしているのに、相手次第でこんなに心持ちが変わるなんて。


 ルーシーは運がいい。

 シャリーンが義母になったのだから。

 

 血を繋ぐことが義務である貴族は、政略結婚が当たり前。

 そこから生まれるのはドロドロした愛憎劇。

 人との交流がないルーシーですら、他家の醜聞を知っている。


 婚姻して子供を設けたら、お互い愛人を持つだとか。

 政略結婚した妻が亡くなったら、愛人を後妻として連れ込んだとか。


 貴族の令息、令嬢の幸せは生まれた家庭次第だ。

 ルーシーは義母が来てからも、虐げられるどころか彼女の実子である義兄より可愛がられている。

 

 それに彼女はルーシーを猫かわいがりしたけど、対等の関係でいてくれた。


『ルーシー、すごいわ。伯爵夫人が行う家政の取り回しをほとんどあなたがしていたのね!』


 ルーシーは母が亡くなった後から自分への関心を失った父に、なんとか振り向いて欲しかった。

 褒められたくて家令と侍女長が行っていた家政の取り回しを習い、義母が来る頃にはほとんどルーシーが行っていた。


 それでも父がルーシーに関心を向けることも、褒めることもなかった。

 多忙で社交シーズン以外は、めったに邸に姿を現さない父は、家政の取り回しをルーシーが行っていると気付いてもいないだろう。

 父から関心を向けられることはないとわかっていた。ただ、惰性で続けていただけだ。


 義母はルーシーに教えを請うた。もちろん、家令や侍女長にも話を聞いていたけど、今ルーシーがしている仕事のやり方を尊重して引き継いでくれた。


 父に褒められるためにしていて、本当は重荷となっていた責務を、自然な形で請け負ってくれた。

 家政からルーシーを締め出すのではなく、助言がほしいとか計算をしてほしいとか声をかけてくれたので疎外感はなかった。


 完全に義母が屋敷を把握するようになってから、屋敷は息を吹き返したように蘇った。

 邸の修繕の必要なところに手が入り、古びたカーテンや壁紙や装飾品なども一掃された。もちろんルーシーの好みや意向も聞いた上で。


『ルーシー、よくがんばったわ。あなたのできることは全てしていたのよ。私がすごく見えるなら、それはあなたより人生経験を積んでいるというだけのことよ』


 子供のルーシーに出来たことなんて最低限の現状維持で、大きなお金を動かすこともできないし、古びていく屋敷をなんとかしたくともどうすればよいのかわからなかった。

 

 自分の力不足を感じて肩を落とすと、言葉にしないのに義母は気づいてくれた。

 ルーシーの頭を優しくなでて言われた言葉は、大事に胸の奥にしまわれている。


 いつの頃からか、父より義母に褒められたくてがんばる自分がいた。

 彼女のような気品や優雅さを身に着けるために、マナーや作法を身に着けた。

 誇らしい娘であるために、唯一の取柄である治癒魔法を磨いた。


 しかし、あまり疲れを見せない義母がため息をついた時に治癒魔術を施そうとして断られた。

『私に魔力をつかわなくて大丈夫。それよりルーシーが一緒にお茶してくれるほうが100倍うれしいな』


 義母といる日々は、他の辛いことを全て吹き飛ばしてくれた。


 でも、これは束の間の幸せ。

 結婚したら、美しいけどいつも不機嫌で横柄な婚約者との暮らしが待っている。

 婚家で冷遇されないといいけど、期待はできない。

 次期公爵である夫の不興をかっている妻の立場などきっと弱い。

 愛して欲しいなどと贅沢なことは言わないが、せめてお互い親しみくらい持てないだろうか……。


「どうしたの? 魔力を使い過ぎたの? まだ体調が戻らない? ダメ元で抗議しようかしらね……」


 ルーシーのわずかな感情の揺れを察知した義母から不穏な言葉が漏れる。

 その時、目の端に険しい顔をした義兄が入った。

 このガゼボは屋敷の傍に建っている。邸の窓ガラス越しにこちらを見つめる義兄の不機嫌な表情までよく見えた。


「大丈夫です! 公爵家に抗議は……」


「……そう? 本当にあの若造。黒豹騎士だとか持ち上げられて、なんか勘違いしちゃってるのかしらね?」


 いつだってルーシーを慮ってくれる義母に素直に気持ちを明かして、甘えたくなる。

 病気がちだった母には抱かなかった感情。

 でも、そんなことはできない。


 義兄はいつもルーシーを見張っている。

 彼は昔からそうだ。

 なにかもの言いたげに自分の母親に可愛がられるルーシーを見ている。

 彼がこの家に来たのは12歳の頃だから、母親を取られた気分になっているのかもしれない。


 ちゃんとわかっている。

 シャリーンはルーシーの本当の母ではない。

 もちろん義兄から取る気もない。


 彼は伯爵家の後継ぎとして、日々努力している。

 彼は義母の連れ子で、伯爵である父とは血が繋がっていないけど、養子となり後継者だと発表された。

 親戚から多少の反発はあったものの、義母が伯爵家の遠縁であることと彼の優秀さもあって、周りからも概ね認められている。


 きっと大切な母親を害さないか、ルーシーが伯爵家に泥を塗るような行為をしないか、見張っているに違いない。

 じっとこちらを睨みつけている義兄の視線にルーシーの気持ちはますます沈んだ。


「お義母様、ごめんなさい。やはりラムゼイ伯爵家のお茶会には行けません。公爵家の敵対派閥ですので控えるように、とのことです。せっかくお義母様のお友達からのお誘いなのに……」


「今回もあの男にダメって言われたのね。残念だけど、あなたのせいじゃないの。落ち込まないで」

 

 母が亡くなるまでもほとんど屋敷を出たことはなかったが、婚約してからは全然出かけることができなくなった。

 貴族派のお茶会や夜会への出席は禁止。敵対派閥の家から招待されることもない。

 そんなルーシーを気遣って義母はなにかと声をかけてくれる。

 しかし、婚約者の許可がでたことはない。


 他家へ行くことを禁止されたので、街へ買い物に出かけたことがある。

 しかし、たまたま婚約者とかち合ってしまって『ふらふら出歩くな!』と叱責された。

 それ以来、ルーシーは自主的に屋敷にこもっている。

 家の外に出るのは、オフシーズンに伯爵領へ短い休暇に出向く時だけだ。


「いいこと、ルーシー。あなたは私の大事な娘なの。結婚して嫌なことがあったら帰ってきなさい」


 隣に座る義母は両手でルーシーの手を包む。その傷一つない白く滑らかな手を眺める。

 そんなことはできない。

 その言葉が嬉しくても、ルーシーは返事を返すことはできなかった。

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