24.家族のカタチ
ルーシーが落ち着いたのを見計らって、義兄は近くの侍従に指示を出した。
使用人達の手により、あっという間に湯気の立つティーポットやおいしそうな茶菓子が目の前のテーブルに用意された。
家令がやってきて、義兄になにか耳打ちしている。
「まだ、義父さんと母さんが来るのに時間がかかるみたいだから、先に始めててもいいって」
義兄の言葉に、遠慮なく紅茶に手をつける。
冷えた体に温かい紅茶が染みる。
「あのー、アレックス様のほっぺたって……」
「あいつがルーシーにしたことを聞いた。ごめん。ルーシーがあいつを恋人だって思い込んでも、俺を頼ってくれなくても仕方ないってわかった」
ルーシーの隣に腰掛けて、しょんぼり肩を落とす。
全てが終わって気持ちが通じ合ってから、義兄も色々な表情を見せてくれるようになった。
それが嬉しくて、自然と笑みが浮かぶ。
「それは……。でも、アレックス様のせいだけではなくて、私の勘違いもありますし、婚約者がいましたから」
「うん……。なんか困ったことがあったら、もう一人で悩んだり抱え込まないで、俺を頼ってほしい」
ルーシーの手に大きな手が重ねられる。
「はい。さっきも言いましたけど、これからお義兄様がうんざりするくらい甘えますし、頼りますから、大丈夫です」
「のぞむところだよ」
ルーシーの手をとって、手の甲に口づける。
「あいつに8年も奪われたんだ。楽しい時期を。これから取り返していこう」
「……はい」
彼と婚約できて、気持ちを隠さなくてよくなった上に、それ以上の幸せがあるのかと眩暈がする。
コツコツと靴音が響いた。
石畳の道をしかめっ面の父にエスコートされた義母がゆっくりと歩いてきた。
靴の踵が低いせいか、隣にいる厳つい父のせいか、いつもより小さく見える。
「そのままでいい」
立ち上がろうとしたルーシーと義兄を制止して、父と義母が対面のベンチに腰掛けた。
伯爵邸にある中で一番立派な石造りのガゼボは、10人入っても収まりそうだが、体格のいい父がいると途端に手狭に感じられる。
晩餐は四人で囲むことが増えたけど、こうして全員揃ってお茶の時間を過ごすことは初めてかもしれない。
ルーシーは静かに紅茶を口に含む。
「結局のところ、あなたの不手際ということでしょう?」
義母に言い切られて、父は大きな体を縮こまらせている。
「ルーシーに誤解されたままだったら、たまらないわ。私たちは本当に契約結婚なのよ。ほら、これが証書よ」
それは10歳の頃、彼女がルーシーに見せてくれた証書だった。少し黄ばんでいるのが年月を感じさせる。
義母の流麗な文字と父の角ばった文字が仲良く並んで署名されている。
義兄が横から証書の文言をまじまじと見ている。
「なのに、愛してしまったとか言いだして、挙句の果てに無理やり手を出してきて。契約違反なんですけど!」
白い結婚、子は設けないという条項を指さして興奮したように義母が叫ぶ。
「……すまない。シャリーン、興奮すると子に障る」
それでも義母とお腹の子を案じる父は、真実、彼女とお腹に宿った子を愛しているのだろう。
義兄の手がルーシーの背中をなでる。
「あやうくルーシーが家を出て、王宮の治癒魔法師になっちゃうとこだったじゃない!!」
ルーシーが義兄に話したこれまでの全てを義母は聞いてしまったらしい。
「……すまない」
「私じゃなくて、ルーシーに謝って!」
「ルーシー……すまなかった」
父はちらりとルーシーに視線を向けると、ぼそぼそと謝罪を口にした。
「私はなんとも思っていません。謝罪は必要ないです。憎んでいる相手に無理に謝る必要はありません」
「憎いわけがないだろう! ただ、見るのは辛かった。彼女の面影を色濃く残すルーシーを」
「奥様とルーシーは別物でしょう! 何年ほおっておいたのよ!」
「……今となってはわかってる。でも、そうこうするうちにどう接していいかわからなくなって……」
「あんな怖い目で見ていたら憎まれているって、誰でも誤解するわよ……」
「面目ない……」
やはり父の方が向ける気持ちは大きくて、義母に頭が上がらないようだ。
父よりルーシーを慮ってくれる義母の気持ちが嬉しい。
だからこそ、ルーシーも父に告げなければいけないことがある。
相変わらず目の合わない父をまっすぐに見据える。
「私に対する態度はこれまで通りでお願いします。急に父親ぶられても困るので。ただ、一つだけ約束してください」
「……わかった。約束とはなんだ?」
「お父様の気持ちはわかりません。お母様に向けていた愛情の深さも。でも、お義母様と生まれてくる子供のことも愛していると言うのなら、屋敷のお母様の面影を整理してください。捨てろとは言いません。でも、お義母様が未だ、夫婦の寝室を使っていないことも、お母様の肖像画が溢れていることも気になります。生まれてくる子がそれを見て、どんな気持ちになるかを考えて、整理してほしいのです」
顔を伏せている父の表情はわからない。
それでも、義母と生まれてくる子のためにと言葉を続ける。
「生まれてくる子には、ちゃんと愛情をわかるように示してあげてください」
ルーシーの言葉に、父はテーブルに肘をついて顔を埋めた。
しばらく言葉にならないうめき声をあげる父を、義母は呆れた顔で見ている。
「それに、あの女の説明も家令や侍女長だけでなく、他の使用人達にも徹底すべきでしょう?」
ティーカップに砂糖を入れて、スプーンをくるくる回しながら義母がさらに追い打ちをかける。
「いや、まさか今更、現れると思っていなくて……。ああ、それについても、すまない」
「お義母様、叔母様の件については私の甘さが招いたことです」
「ルーシーは悪くないわ。ルーシーにもちゃんと、彼女があなたの妻の座を狙って悪辣なことをしたってことは伝えておくべきだったわね」
「悪辣なこと?」
「奥様の葬儀に現れたとき、あの手この手でこの人の寝所に潜り込もうとしたらしいわよ。この唐変木のどこがよかったのかしら?」
「金と爵位かしらね?」と義母は首を傾げている。
叔母は父に本気で惚れ込んでいたのかもしれない。
ただ、姉のものならなんでも良く見えて、欲しかっただけかもしれないけど。
ルーシーは自分の人を見る目のなさに、肩を落とした。
叔母にルーシーは本当に利用されていただけらしい。幼い頃から。
父はただただ項垂れている。
「さぁ、ルーシー他に気にかかっていることはない? このバカ息子と結婚して本当の娘になってくれる? どうしても嫌だったら、ルーシーが好きな相手を婿に迎えましょう! そして未来永劫、私と楽しく暮らすのよ!」
ルーシーの方へ両手を広げて歌うように宣言する。
義母はルーシーが遠慮していたことや隠していたことに、かなりショックを受けていたようだ。
なんでこんなにまっすぐで愛情深い人を疑ったりしたんだろう?
「待ってくれよ。母さん、結婚を許可してくれたんじゃなかったのか? ルーシーは誰にも渡さない!」
義兄が横からむぎゅっと抱きしめてくる。
ミントの爽やかな香りに包まれて、幸せを感じる。
「あら、ルーシー、口の端にお菓子のクズがついているわ」
義母が反対側から回ってきて、すごい力で義兄を引きはがして、ルーシーの頬にそっとハンカチを寄せる。
「菓子のクズなんてついてない! ルーシーがそんな粗相をするはずがないだろ? そうやって気をひこうとしないでくれ!」
「ふんっ! ず――っと、初恋を拗らせてルーシーにそっけない態度を取っていたあなたに言われたくないわ。今更、割り込んできても遅いのよ!」
父は驚いたような表情で言い合う二人を見ている。
この状況がなんだかおかしく思えて、笑いがこみ上げてきた。
頬を熱い雫が伝う。
「……ルーシー。ずっと我慢させて、ごめんなさい……。もうなにがあっても大丈夫だから」
義母が頬に寄せたハンカチでそれを拭ってくれた。
まだ、歪でぎこちないけど。きっとこれが自分が望んでいたもの。
婚約者とのお茶会では冷たく感じた石造りのガゼボも好きになれそうな気がした。




