23.指輪の真実
家族でお茶をすると言われて、訪れた石造りのガゼボにいたのは、アレックスだった。
先に通されていたのか、腰を下ろしていた彼がルーシーを見て、ぴょこっと立ち上がる。
「ああ、今日はアンタに用があって来た」
いつものように襟のつまった服の上からローブを羽織っている。
中性的で美しい彼はやはり男性にも女性にも見える。
残念ながら今日は、彼の白く美しい右頬は殴られたように赤く腫れあがっている。
もう片方の頬には、平手打ちでもされたのか小さくて赤い手形がついていた。
「いい。治癒魔法は流すな。あと100回は殴られる。えー、その、すまなかった」
ルーシーの視線を両頬に感じたのか、先回りして断られた。
そして、がばりと頭を下げた。
「ええと……。それはなにに対しての謝罪ですか?」
「意地悪した。ぶっちゃけ。呪いのせいもあって、アンタへの嫌悪感も酷かったせいもあるけど。わざと女のふりもしたし……、マークの恋人のふりもしたし……、態度もかーなーり冷たかった自覚はある。誘拐騒動の時に見せた姿も割と演技じゃない」
やはり以前、伯爵邸に来た時に、わざと義兄の恋人に見えるように振る舞ったのだろう。
思い返せば、手を繋いだり腕を組んだりはしていなかった。
ただ彼と義兄の距離は近かったし、いつも睨まれたり、煽るように微笑まれてはいた。
この口調が素なら、ルーシーに対する時は確かにそっけなくて少々いじわるだった。
彼の言う事が事実ならルーシーへの憎しみや嫌悪がある、ということだろう。
「お義兄様が……その……好きなのですか?」
「いやいやいや。そういう色恋的な感情は一切ない。でも、問題を起こした俺を拾ってくれた恩人で大事な親友で仕事のパートナーだから。アンタのことさぁ、婚約者がいるくせに義妹の立場を利用して、あいつをたぶらかそうとしている悪女に見えていたんだ」
「それなら、謝らなくていいです。私に婚約者がいたことも、義兄をそういう目で見ていたことも事実なので」
彼はルーシーにとっていた態度や言動を、義母と義兄に全て打ち明けたのだろう。
その結果が赤く腫れた両頬なら、ルーシーに何も言うことはない。
「髪紐……、あれはお義兄様からの贈り物ですか?」
「んん? これ? あー、俺のかわいい婚約者からのプレゼント」
そういえば義兄にアレックスを恋人だと紹介されたことは一度もない。
どうやら、アレックスの作為に自分の勘違いもプラスされていたらしい。
「お詫びに2ついいことを教えてやろう」
目の前で2本指を立てて誇らしげに宣言するが、腫れあがった頬のせいでどうにも締まらない。
「アイツは甘いものが好きだ」
その言葉にルーシーは目を見開いた。
てっきり義兄は甘いものが苦手だと思っていた。
一緒にお茶をするときにも紅茶に砂糖などは入れていなかった気がする。
これまで義兄にもらったどんな物よりも、甘い事実。
「本当だって。本人にも聞いてみろよ。あと、アイツが伯爵領を鉱山も含めて走り回っていたのは、アンタのためだ。アンタが出戻ってもいいように。そして、隙あらば婚約できるように」
「お義兄様が……」
義兄が忙しくしていたのは、伯爵家を継ぐためだと思っていたけど、ルーシーのためでもあったらしい。
アレックスに告げられた事実を、しばらく反芻した。
どうやらルーシーの想いは一方通行ではなかったようだ。
ずっと前から自分を気にかけていてくれた事実を知り、嬉しさでゆるゆると頬が緩む。
「なんだろうなー、呪いって。なんでアイツには効かなかったんだろう? あれ、相当強烈だったぜ?」
婚約してから改めて贈られた、左手に光る指輪には琥珀の石が輝いている。
小さな指輪についていた石は加工しなおして、普段使いのネックレスとして胸元で揺れている。
「あの、呪いってどんなかんじなのですか?」
自分ではそう思い込んでいたし、叔母の様子から本当に呪いにかかっていたのは事実なのだろうが、実感がない。
「んー……そうだな。これ、嗅いでみて」
そう言って、アレックスが取り出したのは赤くて艶々した可愛らしい小さな果実。
それを鼻に近づけてきた。
「うっっ」
匂いがあまりに臭くて、鼻を両手で覆った。
汗や体臭と汚物が混ざったような、ひどい匂いだった。
「ははっ。これ、ズーズの実。可愛いし、おいしそうなのに匂いだけが許しがたい。もちろん、実は毒もなくておいしい。呪いってこんなかんじー」
「私、こんなに臭かったのですか!?」
そう思うと泣けてくる。
婚約者はともかく、義兄にこんな匂いをさらしていたと思うと、次からどんな顔をして会ったらいいかわからない。
「違う違う、匂いじゃなくて。んー、外見も中身も能力も問題ないけど、なーんか生理的に嫌悪感があったっていうこと。理由もなく忌避したくなるというか……。イライラむかむかする憎らしい存在だったってこと」
「……そう。それなら、お父様や婚約者にあんな態度を取られても仕方ないですね」
「いやいやいや。それでも人間には理性があるんだからさー。あの2人はひどいよ。って、俺も人のこと言えないけど。ごめんね、ひどい態度を取って」
「はい、謝罪は受け取りました」
確かに彼の冷徹な態度に傷ついた。
でも、彼には彼なりの理由があるとわかったことで少し気持ちが軽くなった。
「呪いって本当にあるんだなー。かなり印象が補正されてたって、今ならわかる。なんであんな悪女に見えていたんだろう? もう嫌悪感もないし、ルーシーちゃんて一途で健気だし、けっこー好みのタイプなんだけど?」
「アレックス」
ルーシーの近くまでにじり寄っていたアレックスの頭を、義兄が片手で掴んで引きはがした。
「もう俺の婚約者だ! ルーシーにまとわりつくな!」
「俺にだって、婚約者はいるんだから心配すんなよー」
「存在自体が不愉快なんだよ。ルーシーにとって。これから家族水入らずでお茶するんだから、謝罪が済んだなら帰れ!」
ついにはルーシーの前に立ちはだかった義兄が彼を追い払うように威嚇する。
「あ! 最後に1つだけ、アレックス様に聞いていいですか?」
「1つだけと言わず、いくつでもいーよぉ」
義兄の歯ぎしりの音が聞こえるけど、次はいつ会えるかわからないので、ルーシーは義兄の後ろから飛び出した。
「あの指輪の出どころはわかったのですか?」
義兄の大きなため息が聞こえる。
義兄も義母に指輪や叔母の話を聞いても、はぐらかされてしまう。
まだ解明されていないのか、ルーシーの耳に入れたくないのか、わからない。
でも、どんな内容であれ真実が知りたかった。
その答えをアレックスなら知っていて、教えてくれる気がした。
「あの女……ルーシーちゃんの叔母の嫁ぎ先の男爵家。金貸しをしていた関係で、色々な人間が出入りしていたらしい。貴族も商人も、異国の者もね」
胸元で揺れる琥珀のネックレスを触る。
呪いのかかっていた指輪は、母の形見ではないと頭では理解しているけど、そこに存在していた指輪がないのにまだ慣れない。
「惹かれ合うんだろうね、お腹が真っ黒な人同士ってさ。呪術を扱う異国の術者に頼んで作ってもらったらしいよ」
「……そんなことが本当にできるんですね」
「相当の対価が必要だけどね」
「その対価って、何だったんですか?」
「……」
今まで軽い調子だったアレックスの口が止まる。
「アレックス! もう帰れ」
義兄の険しい声に、嫌な予感に体が震えてくる。
「ルーシーちゃんにも知る権利があるだろう。命だよ。君のお母さんの」
――お母様の命?
一瞬、息が止まる。
喉元を見えない手に締め上げられるような感覚。
体から温度が抜けていく。
「叔母様はそこまで……?」
姉である母を憎んでいたのだろうか?
呪いの指輪の対価にして、さらにその娘に呪いの指輪を持たせるくらい?
「本当は呪いの指輪を作ることが本命じゃなかったんだよ。彼女はただ、自分の姉が不幸になるところが見たかっただけだ。弱って苦しんでいるところを見て、楽しんでいただけだ。ルーシーちゃんのお母さんが亡くなるまでは伯爵家に頻繁に出入りしていただろう? 産後の弱っている時に、怪しい薬やら術者やらを紹介していたうちの一つで、たまたま彼女の望む結果が得られたっていうことみたいだ」
一人の女の雑な企みのせいで、母は弱って亡くなり、自分はこれまで苦しんだというのだろうか?
そこまで血の繋がった姉妹を憎むことなんて、あるんだろうか?
自分は母を死に追いやった女を慕い、母の死を対価にした呪いの指輪を握りしめて生きていたのか?
「……知らない方がよかった?」
「いえ、驚いてしまってすぐには消化できないですけど。教えてくださって、ありがとうございます」
珍しく弱々しい態度のアレックスに、我に返る。
知りたいと言ったのは自分だ。
ぐるぐるとお腹の奥で感情や思考がうごめいている。
「俺に聞いてくれれば、なんでも答える。冷静になって考えたら、あの女の事殺したいくらい憎くなると思う。でも、あの女には生きながら死にたくなるような地獄を見せる。だから、できたら忘れて、思いっきり幸せになっちゃったほうがいいよ」
確かに、叔母は全ての不幸の元凶だ。
ルーシーの思考の先まで読んで、アレックスは最後は軽い口調で締めくくる。
「じゃ、そろそろお暇するけど、これからもマークの仕事のパートナーだから、よろしくねー」
金色の髪をなびかせて、軽い足取りで去って行くアレックスを見送った。
「ルーシー……ごめん」
それは何への謝罪だろう?
ルーシーに真実を隠していたことなのか?
アレックスが真実を話すことを止められなかったことなのか?
「私を見くびらないでください」
右上にある端正な顔を睨みつける。
「確かに、ショックでした。でも、これからはどんなことでも話して下さい。私はお義兄様の口から聞きたい」
まだ、感情も気持ちも整理できない。
体から抜けた体温も戻らない。
それでも、自分だけ真実を知らずにただ守られていたくはない。
ちゃんと真実の苦みを消化して、背負って生きていきたい。
「……うん」
「だって、どれだけショックを受けても、泣いても、これからはお義兄様が全部受け止めてくれるんでしょう?」
次の瞬間、抱きしめられていつもの体温と香りに包まれる。
アレックスから聞かされた真相に体が冷えたのか、いつもより熱を感じられる。
「だから、大丈夫です」
「うん」
いつもなら、アレックスの話から、ぐるぐると自分を責めるような思考に巻き込まれていただろう。
でも、今は真実を知っても、それを抱えてもきちんと立っていられる。
自分を責めるだけではなくて、事実を少しずつかみ砕いて咀嚼していけばいいと思える。
ずっと自分を支え続けてくれた義兄のおかげで。
しばらくの間、ルーシーは彼のあたたかい抱擁に浸った。




