22.呪いの解ける時
「この指輪、やっぱ呪いがかかっているね」
アレックスは、恋人の腕に収まる義妹に目もくれない。
先ほどまで叔母と話していた人と同一人物なのだろうか?
「やはりか」
「へー、すごいね、こんな小さな石を媒体にできるんだ! 見てもいい?」
義兄とアレックスはなんでもないことのように会話を続ける。
彼女の目は爛々と輝いているけど見つめる先は、ルーシーの胸元で揺れる母の形見の指輪だ。
こくこくと頷くと、鎖ごと首から外して彼に渡す。
彼女は指輪を手に取り真剣な目で検分している。
「よいしょっと」
アレックスはどこから取り出したのか地面に大きな紙を広げると、指輪の石に人差し指を添えてなにか呪文のようなものを唱えた。
そして、紙に向かって人差し指をはじく。
すると紙一面に、魔法陣のような術式が広がった。
「へー、これはこれは、すごいな……」
それを這いつくばるようにして、調べている。
「あのお義兄様……」
後ろから抱きしめている腕がどうがんばっても外れないので、そのまま会話を試みる。
義母の方を見ると騎士に拘束された叔母と、なにやら激しく言い争っている。
自分が望んでいた父の妻の座を、ぽっと出の女に奪われたことが相当悔しいのだろう。
「ああ、彼は魔法師で呪術についても趣味で研究している」
「彼? 男性なのですか? え、お義兄様の恋人ではなかったのですか?」
地面に這いつくばって指輪と、紙に描き出された魔法陣に夢中になっているアレックスに目を向ける。
腰まであるサラサラの金髪が広がる様に見惚れる。
確かに女性にしては背が高いと思ったけど、美しく中性的な外見や声をしているので、男性だと言われなければわからない。
いつも襟のつまった服にローブを羽織っていたので、喉仏も確認できなかった。
「は? やめてくれよ。こんな変人。女だったとしてもお断りだよ」
「はー、すごい。すごい技術の無駄使いだ。呪術の内容が実にくだらない」
こちらの困惑をよそに、解析し終わったのか、アレックスが晴れ晴れとした顔を上げる。
「それはどんな?」
「異性から嫌われる呪いだ。この指輪を持つ人物はもれなく異性から嫌われる呪いがかかっている。しかも呪いの原動力は持ち主の魔力だ」
「え?」
確かにルーシーは、それなりの容姿と所作に、希少な治癒魔法を持っている。
それなのに身近にいる異性はもちろん、すれ違う男性からも嫌悪を示されていた。
――でもそれが、本当に呪いのせいだったって言うの?
「でも、その指輪はお母様の形見だって……」
まさか、母がそんな指輪を残したなんて思いたくない。
すがるように叔母の方を見ると、ルーシーを見て醜く顔を歪めた。
「ははっ。そんなウソ信じ込んで後生大事に呪いを握りしめていたなんて滑稽な話だね!」
「……なんで」
そんな酷い嘘を?
「姉さんはなんでもいいものを与えられていた。長女に生まれたからって……。その筆頭が夫だ。ようやく死んでくれて、娘はうまく懐柔できたのに、あの男はなびかないし……」
叔母はもう身の内に巣くう感情を取り繕うこともせずに、忌々しそうにルーシーを睨みつけている。
「ははははは。あんたこの指輪のせいで、実の父親にも婚約者にも義理の兄にも、蛇のように嫌われていただろう? いい気味だよ。久々に見たけど、姉さんに忌々しいくらい似ているね。美しい容姿もなんでも信じてしまうところも」
まるで呪詛のように響く叔母の言葉に、頭がガンガンと打ち付けられたように痛む。
すかさず義兄が頭を撫でて、あたたかい魔力が流れてくる。
「なにもかも上手くいかない。腹いせに年頃になったあんたを攫って、どっかに高値で売りはらおうと思っていたんだよ。ふふふ。元々は侍女と私以外に懐かない予定だったんだけどね……」
醜悪な笑みを浮かべる叔母に身を竦めると、ぎりぎりと歯を噛み締める音が背後からした。
「アレックス、その指輪、壊せる?」
「ちょっと、待て待て……。これ壊すの保留にしない? 絶対後悔させないから」
こちらのやり取りも気にせずに、再び地面に敷いた紙の解読をしていたアレックスが、義兄の提案を却下した。
「安心して。呪いは、身に着けていなかったら発動しないから」
ルーシーの首から外した指輪のぶら下がる鎖をゆらして、アレックスが説明する。
「ああ、ごめん。ずっとお母さんの形見だと思って大事にしていた指輪か……。無神経だったな」
義兄に言われてはじめて、母の形見だと思っていたのに、驚くほど指輪への執着がないことに気づく。
「大丈夫。もう、なくても大丈夫です。でも、もう一個の指輪は返してほしいです」
「もう一個の指輪? ああ、こっちの小さいのか。ああ、再結晶の試作版の石ねー」
アレックスは器用に鎖の留め金を外すと、琥珀の石の填った小さな指輪をこちらに放り投げた。
「指輪に加工したのか……。なんで石が内側に……?」
それをキャッチした義兄が指輪をかざして検分している。
「婚約者の色じゃないから……。でも、身につけていたくて……」
「ひゅー。奥ゆかしい事」
なにかを察したアレックスからからかわれて、真っ赤になる。
情けない顔を義兄に見られないことだけが、この体勢でいることの唯一の恩恵だ。
「お前なんかを愛する男はあらわれない!」
突然、叔母の叫び声が響き渡った。
かつては穏やかに微笑んでいた顔に浮かぶ憎悪の表情から目が離せない。
「ルーシー、君は愛されるに値する存在だ」
それと同時に耳元で義兄がささやいた。
背後を見上げると、義母とお揃いの琥珀の瞳がはちみつのような甘さを孕んでいる。
「誰の言葉を信じるかは自由だ。呪いに耳を貸すな」
ルーシーの耳をなでるので、そこからじわじわと熱が広がり、頰が赤らんでいく。
「少なくとも俺はルーシーを愛してる」
義兄の体温と言葉に、ルーシーの中のなにかが溶けていく。
黒く染まって固く踏みしめられていたしこりのようななにか。
胸にあたたかいものが広がる。
お互いに治癒魔法を循環させたときのような。
父は無関心で、元婚約者は横柄だった。
ルーシーを好いてくれる異性はいなかった。
でも、義兄だけはずっとルーシーの味方だった。
義兄の言葉がじわじわ沁み込んでくる。
「もー、いくら我慢していたからって人前でいちゃつくなよ。はいはい。そこのオバさんはわかってますかー。呪いって破られると自分に返ってくるんですよー」
「は? でも、あたしはなんともないけど?」
「用済みになってこの媒体になっている石を砕いたら、返ってくるよ。異性から嫌われる呪い。まー、もともと、異性に嫌われているあんたにはかんけーないかぁ。シャリーン様、早く地下牢にこの女を放り込んでもらえませんかね? この指輪の出どころとか知りたいんで」
領地で会った時や今日攫われた時と口調が全然違うアレックスにルーシーは戸惑う。
本来の彼はだいぶ砕けていて、少々口が悪いようだ。
「アレックス、自白剤を使うことを許可する」
ルーシーの背後から義兄の声がする。
「え? 俺の開発した服用すると、なんでもかんでもしゃべった後に、三日三晩腹を下すやつ?」
それを聞いた叔母の顔が蒼白になる。
「えー、そんな権限あんのぉ?」
「伯爵邸で起こった、この家が被害を被っている事件だ。それにあの女に関しては容赦するなと父からも言われている」
「いやったー!」
「ルーシー、助けて。ルーシー、血の繋がった叔母なのよ! ルーシー、なんとかしなさいよ……」
叔母が涙目でこちらを見てくる。
「血の繋がりってなんなのでしょうね……」
自分に無関心な父そして、姉とその娘を心底憎む叔母。
血の繋がらない義母や義兄がくれたものの方がよほど大きい。
「私は……」
裏切られてショックだったし、憎しみを向けられ騙されていたことを許せない。
すぐには気持ちが整理できそうになかった。
でも、今彼女に言うべき言葉がなにも出てこない。
「その指輪の出どころとか、後ろにいるやつとか、全部吐いたら 鉱山で回収したあやしい魔道具の実験体にしろ」
「ああ、明らかに悪意を持って仕掛けてあるけど、どんな内容かわかんないやつねー。適任だネ! ルーシーの大事な叔母さんだから、ちゃんと寝食のお世話はしますよー。安心してね!」
ルーシーが言葉に詰まっているうちに義兄とアレックスの間で、どんどん話が進んでいってしまう。
アレックスの綺麗で不穏な微笑みに叔母は黙った。
「ハイハイ。ついでに色々、治験につかっちゃおうかしらね? さぁ、行くわよ」
義母は、ルーシーの背後にいる義兄に呆れたような視線を送ると踵を返した。
義母に先導された騎士達に引きずられた叔母がなにか叫んでいるが、義兄に耳をふさがれて聞こえなくなった。
その後ろからアレックスが大きな紙と指輪を手にスキップして、続いている。
「婚約を断ったのって、俺が嫌だからじゃないよね?」
彼らの姿を見送ると義兄がやっとルーシーを解放してくれて、真正面から向き合った。
「アレックス様を女性の恋人だと思っていたので……」
「なるほど」
「義兄様も指輪の呪いのせいで、私が嫌いだったのですか?」
「ルーシーを嫌いだったことは一度もない。義父さんと母さんに万が一、ルーシーが破談になったら婚約者に名乗り出ていいと許可はもらっている。でも、ルーシーには婚約者がいたし、母さんから二人きりになったり、口説くことは禁止されていた。治癒魔法を使うときだけは例外で……。でも、いざ話すとなると緊張してぶっきらぼうになってしまうし……」
義兄の白い頬が染まり、次の瞬間には元の色に戻る。
「治癒魔法を習う前は、私とお義母様が一緒にいると睨まれていたので、お義母様を害さないように見張っているのだと思っていました」
「なんでそうなるんだ……。牽制してくる母と睨み合っていただけだよ。怖がらせてごめんね」
「いつもかけてくれる治癒魔法から優しさは伝わっていましたよ」
それに、最近はどんどん表情や態度も甘みを増していた気がするが、気のせいではなかったみたいだ。
「そういえば、治癒魔法って毒にも効くのですか?」
義兄の治癒魔法の応用範囲には驚かされてばかりだったが、まさか解毒までできるとは思っていなかった。
義兄に魔力を注がれていなかったら、ルーシーは命を落としていたかもしれない。
「さぁ? どうなんだろうね」
「え? じゃぁ、解毒できるって確証はなかったということですか? なんでそんな危険なことを……」
「なにも考えてなかったけど、治癒魔法が効かなかったら、毒をもらって一緒に死んだ方がマシだろ」
「……」
ルーシーが想像するより彼の想いは深いのかもしれない。
今も泥と埃にまみれて、無残な姿になっているであろうルーシーを愛おしい者を見るような目で見ている。
「そういえばさ、ルーシーの婚約破棄の後にアレックスから聞いたんだけど……。崩落事故の時、治癒魔法を流してくれたんだって? ここから」
ルーシーの顎を上げて、唇を指でなぞる。
いつもはあたたかい雰囲気の琥珀の瞳が細められて、漂う色気に言葉を失う。
義兄の形のよい唇に目が引き寄せられる。
「さっき治癒魔法を唇から流したけど、おあいこかな? ルーシー、責任とって結婚してくれる?」
その言葉に頷いて目を閉じた。
そっと重なる唇。
魔力を流していないはずなのに、あたたかいものが胸に広がる。
義兄が抱きしめてくれて、ルーシーもそれに応えるように彼の背に腕を回した。
すがりついていた母の面影とはさよならしよう。
これからは見るだけであたたかい気持ちになる琥珀だけでいい。
ルーシーははじめて、なんの後ろめたい気持ちもなく義兄の抱擁に身をまかせた。