21.救出劇
叔母がなぜこれほどの憎しみをルーシーに向けるのかはわからない。
でも、アレックスの思いはわかる気がした。
床からの冷気にぶるっと身を震わせる。
――気持ちはわかる。それでも。
ルーシーがこのまま、サディスティックな男爵の所へ送り込まれたらどうなるだろう?
きっと義母と義兄はルーシーが見つかるまで捜しまわるし、真相を知ったら叔母や男爵を八つ裂きにしそうだ。
壁にもたれて腕を組み、こちらを見据えているアレックス。
義兄は彼女のことも許さないだろう。きっと結ばれることはなくなる。
ルーシーは諦めるのが得意だ。
でも、このまま連れ去られるのは良くない。
アレックスはちゃんと明るい場所で義兄と結ばれるべきだ。
それが義兄の幸せでもある。
ここはまだ伯爵家の敷地内で、ルーシーも知らない門番の使っていた小屋だという。
木製の小屋は年季が入っていて、入り口の扉も古びている。
窓の外で捜索のためなのか、明かりがちらちらとしているのが見えた。
そちらに叔母が気をとられた瞬間、ルーシーは体の前面で結ばれている両手を地面について、上半身をねじり体を起こした。
少しふらっとしたけど、足を踏みしめ扉へと向かう。
「このっ!!」
気づいた叔母の気配が背後に迫る。
「開いて!」祈る気持ちで、右肩から扉にぶつかった。
あっさりと扉が開いたが、段差があったようで足が空をきる。
少し先の地面にルーシーは体を打ち付けた。
地面に転がるルーシーに叔母が馬乗りになる。
その顔にはなんの表情もなかった。
「大人しそうな顔をして、諦めの悪い娘だね……」
ふと叔母と目が合う。
ルーシーの首筋に手を添わすと鎖を引き出した。
母の形見の指輪を手に取りじっと見つめる。
「忌々しい色だ」
吐き捨てるように言うと、懐から小瓶を取り出し、無理やりルーシーの口の中に押し込む。
流れてくる粘度の高い液体にむせる。
息が出来なくて、吐き出すと、叔母が舌打ちをした。
「高い薬なんだ。吐き出すんじゃないよ」
ルーシーの顔を横に向けると、鼻をつまんだ。
苦しくなり呼吸をしようと口を開くと、甘くてとろりとした液体が注ぎ込まれた。
液体が喉を通っていって胃に落ちると、全身に悪寒が走った。
「大丈夫。ただの媚薬さ。ちょっとばかり気持ちよくなっちゃうね。男爵様もあんまり抵抗する女はお好みじゃないそうだからね……。さぁ、大人しくお迎えを待つんだよ」
ルーシーが薬を飲み込んだのを見届けると、叔母は体から降りた。
ルーシーは苦しくて体を丸めた。
心臓がバクバクして、呼吸が苦しくなる。
呼吸ができなくて、空気を求めて口をぱくぱくする。
体の前面で拘束されていた両手を、無意識のうちに喉元に当てて、魔力を注ぎ込んでいた。
もちろん効果はなく、少しも楽にならない。
「そうそうその顔。姉さんに似た美しい顔が歪むところがたまらないね。ん……なんか間違えたか? 媚薬だって聞いたんだけど……」
地面をのたうち回るルーシーの上から、叔母ののんきな声が聞える。
「なにするんだよっ!」
叔母の叫び声が聞こえたと思ったら、体をそっと起こされる。
「ルーシー、すまない」
耳元で聞き慣れた声が聞える。
いつも辛い時や困った時に聞こえる声。
ルーシーが焦がれてやまない男性にしては少し高い声。
暴れるルーシーの顔を挟み込むように大きな手で固定される。
唇に柔らかいものが当てられた。
そこから馴染みのある魔力が流し込まれる。
注がれたあたたかく清涼感のある魔力のおかげで、ぼんやりとしていた頭がすっきりした。
義兄の唇が離れると、呼吸ができるようになっていた。
暴れ回るように乱れていた心音も落ち着いている。
「大丈夫か? ルーシー」
義兄が泣き出しそうな表情でルーシーを覗き込んでいる。
薄い茶色の髪が月の光を浴びて反射している。
夜のような黒じゃなくて、チョコレートのような甘い色。
「わたし……? おばさまに……?」
義兄に抱き込まれて、顎に手を添えられている状況に混乱しながらも頬が染まる。
助け起こされてなんとか立ち上がる。
体がおかしくなったのは一瞬なのに、まだ全身が震えていて力が入らない。
「たぶん、毒を飲まされた」
あの一瞬で心臓と呼吸器がおかしくなったので、即効性のある毒だったのだろう。
なんとか立ち上がったけど、ふらつくルーシーを背後から義兄が支えてくれる。
治癒魔法は毒にも効くのだろうか?
義兄の治癒魔法の応用範囲はどこまでなんだろう?
「最近、おかしな動きをしていたから、わざと不在を装っておびき寄せた。助けるのが遅くなって、ごめん」
「……いえ。私も油断していたから……」
前回、家族の不在時に招き入れてしまった自分の甘さが原因なので義兄を責めることはできない。
「でも、アレックス様が……アレックス様は?」
「はい、はーい。ここですよっと」
物陰から現れたアレックスの左上できらりと刃が光る。
身を竦めて、思わず目をつむる。
さくっという音と共に、手首が自由になった。
はらはらと手首を拘束していた縄が散って行く。
「え?」
アレックスは凪いだ瞳をして、折り畳みナイフをパチンと閉じて、懐にしまった。
義兄はアレックスの存在に注意を払っておらず、ルーシーを背後から支えた体勢のままだ。
体をねじって見上げると、ルーシーの前方にいる叔母を鋭い目で見ている。
「放しなよ! なんで血が繋がっているのに、姪に会いに来てはいけないんだ!」
叔母は伯爵家の騎士に拘束されているというのに、叫ぶ元気があるようだ。
細腕なのに力があるのか、騎士が二人がかりで抑え込んでいる。
「血が繋がっているけど害悪だから、出入り禁止になっているんでしょう? あの人の説明が足りないからこんなことになったのね……」
そこには出かけたと思っていた義母がいた。
いつものふんわりとした雰囲気が嘘のように険しい表情をしている。
ルーシーはいつのまにか長身の義兄に包まれるようにして、背後から抱きしめられていた。
「あー、焦った焦った。伯爵家の人ってなんでみんな身のこなしが軽いの?」
抱きしめる義兄の腕から抜けようともがいていると、横からアレックスに声をかけられる。
顔を青ざめさせて必死にもがくのに、ゆるく抱きしめられている腕から逃れることができない。
「ルーシー、大丈夫だ。アレックスは敵じゃない。こっちの味方だから、怖がらなくていいよ」
そうではなくて、義兄の恋人の前でルーシーが抱きしめられていることが問題なのだ。
義兄はルーシーの無事に気を取られて、そんな簡単なことにも頭が回らないのだろうか?
先ほどのアレックスの憎しみのこもった表情は、演技だとはとても思えなかった。
でも呆れたようにこちらを見るアレックスには刺々しい雰囲気はない。
兄妹が無事を喜びあっている姿に見えているのかしら?
義兄もその恋人も気にしてないならいいかと体から力を抜いて身を任せることにした。




