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20.侵入者

 「しばらくのんびり過ごしていればいい」という義母の言葉に甘えて、その通りに過ごしていた。

 急に重い枷から解放されて気が抜けてしまって、なにもやる気がしない。


 お気に入りのガゼボの椅子に丸まって座って、陽に当たりながらうとうとする。

 まだ肌寒い季節だけど、ガゼボ内を適温にする魔道具のお陰で寒さを感じない。

 そっと、ふわふわした上掛けがかけられた。


 ああ、ずっとこのままでいられたらいいのに……。


 今日も今日とて、ルーシーは心地よいまどろみの中にいた。

 

 父はしばらく領地に行っていて不在だ。

 義兄もなにやら忙しそうにしている。

 義母とは以前のようにお茶をするようになったけど、大きくなったお腹を抱えてお茶会などに頻繁に出かけている。


 まどろんでいたけど、眠ることができずにベンチに身を起こす。

 胸元の鎖を引き出して、母の形見と小さな指輪を見比べる。


 いっそのこと、王宮の治癒魔法師にでもなろうか……。


 でも、伯爵家以外の世界を知らないルーシーには伝手も情報もない。

 下手に動いたら、義母や義兄に止められるだろう。


 そうかといって、伯爵家を無計画に出奔しても野垂れ死ぬのがオチだろうし。


 父に話をしてみようか……。


 父は清々しいくらい変わらない。

 婚約破棄についても、義兄との婚約についても何も言わない。

 ルーシーに露ほども関心がないのだろう。

 でも、父だって自分がいないほうがいいと思っているはずだ。


 そう考えると少し肌寒い気がして上掛けを引き寄せる。

 かさっと葉擦れの音がしてそちらに目を向けると、ガゼボの先の茂みの傍に立つ叔母と目が合った。


「ルーシー」


 叔母の釣りあがった瞳が細められる。


 どこから入り込んだのだろうか?

 このガゼボは広大な伯爵家の敷地の中でも、門から離れているはずだ。

 悲鳴を飲み込んで、ただ近づいてくる叔母を見つめる。

 傍に控えている使用人を目で探した。


「ちょうどいいところにいた。ルーシー、そろそろ新しい縁談が来ているんだろう? どうせあんたの治癒魔法目当ての、ろくでもない話だろう。この家から出ないかい?」


「え? でも、そんな急に……」


「だって、伯爵家にいたってあんたは邪魔者だろう?」


 確かに自分でもそう思っていたけど、叔母から言われると胸が抉られたような気持ちになる。

 ルーシーの返事を待たずに、叔母はルーシーの腕を掴み、細腕とは思えない力で引く。

 そのまま引きずられそうになって、前によろける。

 叔母の本気を感じた。


「あたしに着いてきたら間違いないよ。さぁ、今のうちに! 早く!」


「あの、せめてお義母様に一言……」


「騒いだら人が来る。そうなったらもう二度とあたしに会えないし、この家から逃げることもできないよ!」


「私、私は逃げたいわけじゃないの……」


「ずいぶん可愛がられているみたいじゃないか。でも、あの女がなんかしてくれたか? 婚約者や公爵家にお前の治癒魔法を搾取されている時に。口先ではなんとでも言えるよ。でも、お前を救い出すためになにかしてくれたか?」


「婚約は王家の息がかかったもので、公爵家相手にどうにかできるわけがないでしょう? お義母様はいつも傍にいてくれた!」


 叔母の言葉にぼんやりしていた頭が覚醒する。

 捕まれた手を振り払った。


「ふーん。でも、ブルーノとの間に子供ができたし、これからあんたが邪魔になるかもよ? そうしたら、公爵家よりひどい家に嫁に出されるかもねぇ……」


「……それでも、それがお父様やお義母様の意思であれば従います」


「ねぇ、ルーシー。あたしはさ、この命を懸けてあんたに幸せになってほしいと思っているんだよ。亡くなった姉さんの分も。後からちゃんと伯爵家には連絡を入れるよ。しばらくのんびり旅行でもしないか? それから二人であんたの将来について考えようじゃないか」


 母の面影が残る叔母の言葉に、心がぐらりと揺れる。

 古めかしい伯爵邸、そして木製のガゼボ。

 そこにある思い出。


 義母や義兄にはルーシーより大事な人がいる。

 でも、今までしてくれたことをなかったことにして、黙って出ていくことはできない。


「叔母様、私、今は着いて行けません。叔母様には会えるように父を説得します」


 ルーシーのきっぱりとした拒絶の言葉に、叔母が豹変した。

 

「父親にも愛されないし、義母や義兄にも邪魔だと思われているお前に居場所なんてないんだよ! さぁ、行くよ!!」


 鬼気迫る表情でルーシーに掴みかかり、体ごと引きずろうとする。

 

「やめてください!」


 どうしてこれだけ邸の傍で騒いでいるのに、使用人も護衛も来ないのだろうか?

 屋敷の者の手引きなのだろうか?

 叔母が手を回したのだろうか?


「ふんっ。強情な。恩のあるあたしに逆らうなんてね。あの女に骨抜きにされたのか? 異性だけじゃなくて、全ての人間を対象にしたほうがよかったか……。でも、お前が虐げられたら、高く売れないからね……」


 叔母は一人でなにやらブツブツ呟くと、ルーシーを抱き寄せた。

 口元にハンカチが当てられる。

 甘ったるい花の香りに包まれた途端、意識がぷつりと途切れた。



 ◇◇



 ぼんやりと意識が戻る。

 埃と土の匂いが漂う。

 床からひんやりとした感覚が伝わる。


 よく周りが見えないと思ったら、どうやら外は夜の闇に包まれていて、この場所は明かりがついていないようだ。

 手足を動かしてみると、お腹の前で手首が縛られているだけで、足は動かせる。

 ルーシーの背後から話し声がした。


「どっか別の場所はなかったのかい?」


「仕方ないでしょう? あなたが騒いでいるから時間切れよ。使用人達を引きつけるのも大変だったんだから。それに私達の細腕じゃ、外まで連れ出す間に捕まるわよ」


「仕方ないだろ。あたしの言うことなら素直に聞くと思っていたのに……。まったく、あの女狐に洗脳されているね。にしても、伯爵家の敷地内ってのが、落ち着かないよ。捜索が始まっているみたいだし、本当に大丈夫なんだろうね?」


「この場所は大丈夫。私とマークしか知らない場所なの。昔、門番が使っていた小屋なのよ」


 顔は見えないけど、叔母と……ハスキーボイスの女性の声。

 ――恐らくアレックスの声。


 ルーシーの前に突然、「おはよう」とたった今想像した女性の顔が突き出される。

 氷のように青く澄んだ切れ長の瞳がルーシーを射る。


「あーら、眠り姫のお目覚めかしら?」


「叔母様……アレックス様……」


「もう起きちまったのかい? あんたにもらった薬、効能が薄いんじゃないの? 騒がれたらやっかいだからもう一度眠らせるか?」


「んー、迎えが来るのはちょっと時間がかかるし、自主的に黙っていてもらおうかな?」


 アレックスはルーシーに見せつけるように、手の中でパチンと折り畳みナイフを広げた。

 その表情は固くて冷たく、伯爵邸や領地で会った時も冷淡だと思ったが、今は殺意に近い感情が伝わってきた。


「騒いだら、容赦なく刺すから。顔以外ならいいんでしょ?」


「致命傷はやめてくれ。まぁ、顔と胸以外ならいいよ。とにかく引き渡すことが大事だ」


「引き渡すって……」


 不穏な言葉に身を震わせた。

 幼い頃に親身になってくれた叔母の豹変と、少しは気持ちが通じたと思っていたアレックスの裏切りに胸が黒く塗りつぶされる。


「大丈夫。ひどいことにはならないよ。嫁ぎ先が変わるだけだ。エイドリアン男爵のとこにね」


「ほんと目障りなのよね。義妹だからって周りをちょろちょろして、婚約者がいるのにマークをたぶらかして結婚しようだなんて」


「周りの男を垂らし込んでいくところは姉さんにそっくりだね」


 アレックスから、爪先で小突かれる。


「アレックス様、私の婚約はなくなりましたが、お二人の間に割り入ろうとは思っていません」


「シャリーン様はあなた達の婚約に乗り気みたいけど? それに、好きなんでしょう? マークのこと」


「……」


 ひゅっと胸の奥に嫌な風が吹き込む。嘘でも好きじゃないと言わなければ。

 口を開きかけて、やめる。

 彼女はルーシーの気持ちなどお見通しだろう。


「いるだけで不愉快なの。消えて」


「ちょうどいいじゃないか。養子様と婚約するつもりはないんだろう? エイドリアン男爵もいい男だよ。ちょっと見た目は醜いし、若い嫁が好きでサディスティックで……三年ごとに嫁が病で亡くなるなんて噂もあるけどね」


 叔母は陽気な調子で恐ろしいことを言う。


「私はそこまで要求してない。ただ、お前がマークの目の前に二度と現れなければいいと思っただけ。私のこと恨まないでよ」


「仕方ないだろ。一番、金払いがよかったんだよ」


 叔母はひひひっと下卑た笑いを漏らす。

 ルーシーは最悪の状況で、選択できる最善を描く。

 最近、色々なことがありすぎて、どんな状況でも冷静でいられる。


「……アレックス様、王宮の治癒魔法師の伝手はありませんか? 籍を抜いて、お義兄様にはかかわりません。伯爵家の敷居は二度と踏みません」


「叔母様もお金が必要なら、稼ぎます。治癒魔法師は高給取りです。一時の大金より、一生ずっとお金が送られてくる方がよくないですか?」


 周りが暗いせいで、二人の表情はよくわからない。

 でも、どうにかお互いに納得のいく着地点はないかと必死になって訴える。


「できないことはないわよ」


 アレックスがルーシーの前に跪いて、顎をつかんだ。

 ぎらぎらと憎しみに燃える青い瞳を見て、交渉に失敗したことがわかった。


「でもね、私達は、お前が落ちるとこまで堕ちてボロボロになって絶望するところが見たいの」


 その言葉に望みを砕かれる。

 掴んだ手を離されて、ごとっと顔が床に落ちる。


 これは罰なのか?

 自分には婚約者がいて、義兄に恋人がいると知りながら、甘やかな関係に酔いしれていた。

 もう少しだけ、もう少しだけと彼に甘え続けていた。

 それがどんなに彼女を傷つけているかも知らずに。


「ははっ。あんたとは気が合うね。本当に諦めの悪いこと。夜明け前には男爵様の使いが来る。男爵様のところに送り込まれて、初夜を迎えるんだよ。ふふっ、見学させてもらおうかね。姉さんに似たアンタが蹂躙されるところをね」


 叔母は醜悪な表情を浮かべて、ルーシーに最悪な未来を提示した。

 さすがに、それに抗う術は思いつかなかった。

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