18.公爵邸への再訪
「来週、うちへ来い。晩餐会だから、正装してこいよ」
義兄にけり倒された婚約者はピンピンとしている。
一度、蹴り飛ばされたぐらいでは、横柄な態度までは治らないらしい。
本来なら故意であれ、事故であれ、伯爵家の敷地で公爵家の嫡男が倒れたとあっては大事のはずだ。
しかし義兄に治癒魔法をかけられ、手厚く看護された彼は文句を言う事もなく、王都へと帰って行った。
詳細が気になったが、「ちゃんと話し合いで納得してくれたよ」と綺麗に微笑む義兄と「あの子がきっちりケリをつけたのは確認しているから、ルーシーはなにも心配しなくていいのよ」と言う義母にそれ以上聞くことはできなかった。
王都に戻ってからは、これまでより頻度は落ちたが週に一度はルーシーの治癒魔法を求めてやってくる。
そんな婚約者からの言葉にざっと血の気が引いていった。
伯爵領で彼にギリギリと締め上げられた右手首を見つめる。
――もしかして、なにもかも覚えていて報復されるのかしら?
自分自身に治癒魔法は使えない。同質の魔力は作用しないからだ。
ルーシーの心の軋みも、きっと自分自身にはどうにもできないだろう。
それでも、義兄に咎が行くより、自分が泥をかぶる方がいいかと腹をくくった。
◇◇
「見た目だけは立派だこと」
鏡に映る自分自身を見て、ため息をつく。
婚約者のご所望通り、公爵家の晩餐会に出席するのに失礼のない正装姿。
白を基調としたドレスには、金の刺繍が華やかに入っている。
それを彩るようにまっすぐな紫色の髪が流れている。
公爵家のコレクションの磁器のように白く滑らかな肌。大粒のアメジストのような瞳は憂いで曇っている。
今日のアクセサリーは琥珀に輝くイエローダイヤモンドだ。婚約者の色ではないところに、用意してくれたシャリーンや侍女の気持ちが出ている。
当日を迎えると、逆にルーシーはほっとした。
婚約者からの予告以来、前回の顛末を思い出しては苦しくなった。
物を食べても戻してしまう。夜は特にひどくて、夢見が悪くうなされた。
それを義母や義兄に気づかれないようにことさら明るく振る舞った。そのせいで、ひどく疲れた。
用意を整えて、気持ちも決まっているはずなのに、踏み出す足が重い。
「ルーシー」
今は聞きたくなかった甘くて高めの声がする。
振り返ると御者の格好をした義兄がいる。
髪をわざとくしゃくしゃにして、顔も少し汚しているけど、その美しさは全然隠せていない。
「どうしたのですか? お義兄様! その格好……」
「堂々と着いて行くわけにはいかないからな。でも、前回みたいなことがあったら、たまらない。母さんには言ってあるよ」
「……でも」
「大丈夫。本物の御者もいるから。それに前回みたいなことは起こらない。念のためだ。な」
高い背をかがめて、ルーシーに視線を合わせてくる。
幼子に言い聞かせるような口調に、思わずうなずいてしまった。
甘えてはいけないってわかっているのに。
そのまま、エスコートされて一人で馬車に乗る。
どうやら義兄は御者と一緒に御者席に座るようだ。
ドレスの隠しポケットから、鎖とそれに連なった指輪を取り出す。
母の形見の指輪ではなく、内側に琥珀色が輝く指輪を眺めて、両手で包み込む。
「行きたくない……」
誰も相槌を打ってくれる者のいない馬車に、本音がむなしく響く。
今日、身に着けているイエローダイヤモンドは伯爵領で産出される珍しい石でカットも色も一級品だ。でも少し色が薄い。
小さな指輪の石のように、少し茶色も混じる濃い色ならよかったのに。
現実には無理だけど、思うくらいなら許してほしい。
義兄がついていてくれる。
車内からは姿が見えない御者席の方を見る。
それはルーシーに安心感を与えてくれた。
前回とは違い婚約者に、玄関で迎え入れられる。
そのままエスコートを受けて連れて行かれた先で、ルーシーは目を瞬いた。
真っ白なクロスに磨き上げられた銀食器が並ぶ。
ゆらゆらと蝋燭がゆらめき、公爵家の豪奢な室内を照らしていた。
本当に晩餐会だったようで、ルーシーは拍子抜けした。
しかし、さすが公爵家。席の配置はおかしかった。
上座から現役公爵である彼の父、母、祖父母、叔父と並んでいるところまではいい。
婚約者の左右には前回もいた彼と同じ年代の従妹と寄子の男爵令嬢が座っている。
ルーシーは彼とは対面に座り、彼の叔父と彼の弟に挟まれている。
静かに晩餐会は始まり、高位貴族らしくなく会話が賑やかに交わされている。
ルーシーには一つもわからない内輪の話で、相槌を打つこともなく、豪華な食事に集中した。
婚約者と両隣の令嬢達は親し気に会話を交わしている。
令嬢達は明らかに熱のこもった視線で彼を見ているし、時折、ルーシーを見て優越感に満ちた嫌な笑いを向けてきた。
――これはどうとればいいのだろうか?
婚約者はルーシーに嫉妬してほしいのだろうか?
それとも公爵家はお飾りの妻としてルーシーを求めていて、世継ぎは自分の手の者に生ませるのだという意思表明だろうか?
前回のように治癒魔法を限界まで使わされ、罵倒されるよりは全然マシだけど。
右隣に座る彼の弟は、会話に混じることなく大人しく食事をしている。
味気ないけど、嫌なことをされないなら、それはそれでいい。
ルーシーも淡々と食事を進めた。
「すまない。それじゃ、先に失礼するよ」
食事が終わり、談話室へ移動する際に、彼の叔父が別れの言葉を告げた。
それを聞いてほっとする。
まだ座っているルーシーの手に、年季の入った手が重ねられた。
驚いて見上げると、彼の叔父の顔が思ったより近くにあった。
「もうすぐ嫁いでくるんだろう? また、治癒魔法を頼むよ」
「ええ」と答えたくなくて、間近に迫る日に焼けて皺の刻まれた顔を見る。
「大怪我をしたら、体を繋げて治すんだろう?」
耳元で低く囁かれた言葉に、ぞわっと全身に鳥肌がたつ。
「楽しみにしているよ」
ぽんぽんとルーシーの手を叩くと、婚約者の弟の方へと向かって行った。
後には、彼の放つ体臭と酒の匂いが残っている。
あまりの気持ち悪さに呆然としてしまう。
叔父が姿を消し、皆がぞろぞろと移動を始めてもルーシーは立ち上がることができなかった。
「すみません。気分が悪いので、私も帰ります」
ルーシーの告げる声は思いのほか、広い晩餐室に響いた。
ツカツカと足音を立てて婚約者がこちらへとやってくる。
「お前はなにもできることはないんだから、空気くらい読め。まったく」
婚約者以外の公爵家の面々はルーシーを気にすることなく楽しそうに話しながら、移動していった。
「帰ります」
「あのなぁ、いちいちこんなことで嫉妬をしていては結婚した後どうするんだ。履いて捨てるほど女が寄ってくる。その度に不機嫌になってこちらの気をひこうとしても無駄だ」
「帰ります」
婚約者は大きなため息を吐くと、仕方なくといった素振りでエスコートのために腕を差し出した。
「お前にはなんの取柄もないけど、治癒魔法だけは上達しているようだから、この分なら金は稼げそうだな」
玄関までの道すがら、婚約者はとんでもない爆弾を落としてきた。
さすがにルーシーの足が止まる。
「王宮に所属する治癒魔法師以外は、金銭のやり取りは禁じられています」
「ただでお前を公爵家に置いてやる義理はない。自分の食い扶持は自分で稼ぐんだ。治癒魔法じゃなかったら、体を使ってもいい」
婚約者の視線がルーシーの体を上から下まで舐めるように這っていった。
喉の奥がしぼられたように、呼吸が入らなくなる。
その後、どんな会話を交わして、どうやって馬車までたどり着いたのか覚えていない。
御者席にはいつもの老齢の御者が腰かけている。
義兄の姿がないことに、ほっとした。
帰り際の気持ちの悪いやりとりが残っていて、今は義兄の顔を見たくない気分だった。
伯爵家に着くまでに一人になって自分の気持ちを整理したい。
「どうだった? ルーシー?」
馬車の暗がりの向かいの席に、平然と座る義兄の姿に息を飲んだ。
「……普通の晩餐会でした。今回は治癒魔法も暴言もありませんでした」
「ふぅん……?」
「だから、大丈夫です」
考えるのも浸るのも帰ってから。
そう自分に言い聞かせるけど、どうしても思い出してしまう。
彼の叔父の酒と体臭の匂いと寄せられた体。
婚約者の冷えた視線と無体な要求。
愛されなくても、捨て置かれてもいい。
どれだけ他の女を連れ込んでもかまわない。
むしろ、ルーシーなどいないものとして扱ってくれた方がいい。
――物のように、治癒魔法や体を酷使され朽ちていくのはさすがに辛い。
腕にまた鳥肌が立ち、自分を抱きしめるようにして腕をさする。
行きたくない。
でも、逃れる術はない。
ほとんど王命のような婚約。
貴族令嬢だから。
伯爵家と父のため。
なにより、義母と義兄がこれからも伯爵家で安穏と暮らしていくために。
恐ろしい未来が暗示されていても、受け入れるしかない。
大丈夫。
ルーシーの特技は治癒魔法と諦めること。
そこになにも感じなくなる事、も追加できるかもしれない。
「ルーシー、顔色が悪い」
暗がりからじっと見つめる琥珀の瞳。
義兄の手が伸びてきて、額の髪をかきわけ、添えられる。
ふわりとミントのような爽やかな香りがした。
「熱はないな……」
「大丈夫です。ちょっと疲れただけで……」
「ちょっと魔力を循環させよう」
ルーシーの隣に移動してきた義兄がルーシーと手を繋ぐ。
治癒魔法に疲労回復の効果はないとされている。
でも、義兄はどんな症状でも治してしまう。
いつものように義兄から流れてくる魔力はあたたかい。
あたたかいのにすっきりする。
余計に辛くなるだけなのに。
それでも、この手をふりほどくことはできなかった。




