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17.事故の後

「二週間、と言ったよな?」


 久々に見る婚約者の姿に、現実に引き戻される。

 自身も溜まっていた休暇を消化して、公爵領で過ごすと言っていた。

 なのに、なぜ伯爵領へ姿を現したのだろうか?


 さすがにご自慢の騎士服ではなく、旅装に身を包んでいるが、彼の美しさは損なわれていない。


 義兄の事故の後にルーシーは丸一日眠り続け、その間に彼は無事目を覚ました。

 彼が伯爵邸に戻って来てからも、生活の時間をずらして顔を合わさないようにしている。


 義兄に事故の後遺症がでるかもしれないと気になって留まっていて、婚約者との約束である二週間はとっくに過ぎていた。


「大雨で……」


 伯爵領に被害が出ているから?

 帰り道が塞がっているから?

 続けられる言葉を探して、口ごもる。


 伯爵領に被害が出ているのは事実だが、ルーシーにできることはなにもないし、婚約者がここまで来ている時点で道も問題ないだろう。


「俺がなにも知らないとでも思っているのか? 麗しき家族愛か?」


 ルーシーは弾けるように顔を上げた。

 婚約者には、全てが筒抜けらしい。


「婚約者より優先すべきものねぇ……」


 石造りのガゼボより冷えた雰囲気の婚約者の言葉に、ルーシーは身を竦めた。


 婚約者は馬車から降りて早々、出迎えたルーシーに治癒魔法を求めた。

 公爵領から伯爵領への馬車旅で腰を痛めたらしい。

 そのため、玄関の前の石畳みの上で立ったまま婚約者に治癒魔法を施している。

 その間にも彼の口撃は止まない。


 案内するために控えていた侍従がオロオロした様子でこちらを伺っている。


「鉱山で事故があったことは聞いた。浅はかなお前が現場に駆け付けたこともな。父と義兄が心配で、か。お前が駆け付けたところでなんになる? 俺は災害や事故の現場にも出たことがあるが、貴族令嬢に出来ることなんてない。たとえ、治癒魔法があろうともな。なんの役にも立たないし、むしろお前の世話に人員を割かなければならない。迷惑だ」


「わかっています」


 近衛騎士である彼がそんな凄惨な現場を経験しているかは疑問だが、大人しく頷いた。


 彼を治癒する手は止めない。

 以前は、手と肌を直接触れ合わせないと上手く治癒魔法をのせた魔力が流せなかったが、最近は着衣でも大丈夫だ。

 婚約者に魔力を流す時に手袋を外すことはない。

 もう今ではよそ事を考えながらでも、ルーシーを嫌う彼に治癒魔法を流せる。


「ほう、なかなか腕を上げたじゃないか」


 痛みが取れたのか、体を捻ってこちらを見た婚約者が、ルーシーの手首を掴んだ。


「だがな、これからは俺を優先するんだ。自分の家族より」


 ルーシーが家族を気にかけ彼との約束を破ったことへの怒りなのか、ぎりぎりと手首を締めあげられ、ルーシーは痛みに悲鳴を上げそうになる。


 彼は悲鳴をあげることのないルーシーがおもしろくないのかさらに力を込めてくる。

 さらさらの黒髪が彩る美しい顔が歪み、黒い瞳がどろどろと煮えている。

 彼の鬼気迫る様子と軋む右手首に、ルーシーは降参し強く頷いた。

 きっと同じことが起きたら、同じ行動を自分はとるとわかっていながら。


 彼が離した右手首にはくっきりと青黒い痣ができているだろう。

 手袋の上から手首をさする。


 ――それは嫉妬なんて可愛い感情ではなく、自分に隷属する物が許可なく動いたことへの怒り。


 ルーシーが自分には治癒魔法がかけられないと知っていて与えた痛み。

 まるで自分の言う事を聞かないルーシーへの罰だと言うように。


「金儲けのことばかり考えているからだ」


「……」


「宝石は美しいものだが、自然を破壊してまで産出するものか? どうせ、欲をかいて堀つくしたせいで山が崩れたんだろう」


 ふいに彼のタイピンが目に入る。伯爵領で採れた一級品のブラックダイヤで作られたもの。


「……確かに、昔はそうだったかもしれませんが、今は違います。埋蔵量を計算して、鉱山の採掘環境も整えて、事故が起こらないように最善を尽くしています。今回は大雨という災害のせいで起こった事故です」


 義兄の事故が自業自得だと鼻で笑われている気がして、ルーシーは我慢ならなかった。


「それに求められるから産出しているのです。王家にも公爵家にも多数、献上しています。お礼の言葉はありませんけどね」


 義兄がどれだけ走り回り、泥にまみれ、伯爵家の事業を回しているのかこの人は知らないのだ。

 それなのに、自分は上っ面の綺麗な言葉で偽善を語っている。


「お前は黙って、俺に従っていればいいんだ!!」


 言い過ぎたと思った時には遅かった。

 振りかぶった手がばちんっとルーシーの頬に当たり、目の前に白い光が散る。

 細身とはいえ現役の騎士である彼に張り飛ばされて、簡単にルーシーは吹き飛んだ。

 

 突然の暴力に、呆然とする。

 張られた左頬がじんじんと痛む。

 なんとか自力で、芝の上で体を起こし彼の方を見た。


 こちらを見る彼の目はぎらぎらと興奮していた。

 まるで飢えた獣のような彼の様子に項の毛が逆立つ。

 まだ、足りないって顔してる……。

 逃げ場はないとわかっているけど座り込んだ体勢で後ずさる。

 

 婚約者の左後方に、いつの間に現れたのか義兄が佇んでいた。

 義兄は前足を踏み込むと体を捻って、沈み込むように体を落として回転した。

 

 義兄の長い足が後ろから伸びてきた。

 その踵が、婚約者の横顔に当たる。

 どかっと重い音とともに婚約者の頭が吹き飛ぶ。

 さきほどのルーシーより大きく吹き飛ばされ、芝生の上に転がった。


 一回転して、婚約者を蹴り飛ばした義兄はケロリとした顔で体勢を崩すことなく立っている。


「え? あの、お義兄様?」


 唐突な展開にルーシーはあっけにとられた。

 義兄は転がった婚約者を検分すると、ルーシーの前にひざまづいた。

 久々に近くで見る顔には傷一つなくてほっとする。


「大丈夫。ちょっと脳震盪を起こしているだけだ」


「え? でも、こんなことをして……」


「ごめん、我慢できなかった。後で治癒魔法をかけて回復させるから、大丈夫。脈も息もある」


「でも、彼、公爵家の跡取りで王妃様の甥で……」


 義兄にけり倒された婚約者より、公爵家の嫡男である彼を害した義兄の行く末が気になる。


「大丈夫。強風でガゼボの屋根が飛んできたって言うよ。なにが起こったか本人にはわかんないよ」


 義兄の何一つ反省していない様子にルーシーの気も抜ける。


「お義兄様そんなに動いて大丈夫ですか? あんな大怪我したのに……」


 義兄に飛び蹴りをくらって倒れている婚約者より、義兄の体が心配になる自分は重症なのかもしれない。

 先ほど婚約者に強く締め上げられた手首を義兄の手に握られる。

 断りもなく、義兄の魔力が注がれる。


「私は大丈夫です。魔力を使っては体に障ります!」


 久々に注がれる魔力の甘さに酔いしれながらも、理性はだめだと止める。

 ルーシーは初めて義兄の魔力を拒んだ。

 魔力の流れがピタリと止まる。

 思ったより間近にある義兄の顔を見ると、大きな琥珀の瞳は真剣な色を湛えていた。


「ねぇ、ルーシー。俺、頭も打っていたし、記憶もおぼろげなんだけど。助かる怪我じゃなかったよね?」


 いつもより一段低い声が耳にやけに響く。

 どくどくと自分の鼓動が脈打つ音が聞こえる。


「俺に治癒魔法、使ったよね?」


 ルーシーは、目を見開いた。

 動悸が激しくなって、血の気がひいていく。

 口を開くが、はくはくと浅い息が漏れるだけで言葉にならない。


 もしかして唇から魔力を流したことを覚えているのだろうか?

 自分の恋人の前で、そんなことをされたことを怒っているの?


 いくら恋人から許可をもらったからといって、本人の許可なしに口づけをしてしまった。

 義兄は口づけや体を繋げる方法での治癒魔法は絶対にしないと言っていたのに。

 そんなことをされてまで命を繋ぐことを、きっと望んでいなかっただろう。


「ごめんなさい……。ごめんなさい、お義兄様」


 泣く資格などないのに、涙がにじんでくる。

 義兄の手をふりほどこうとするのに、ゆるく握っているだけの手は外れない。


「違う。責めているわけじゃない。ただ、その……お礼が言いたかっただけなんだ。ありがとう、ルーシー」


 恐る恐る彼の顔を見ると、一瞬、彼の頬が染まった。

 顔を伏せてお礼を言われる。


 恐らく、ルーシーが治癒魔法を使ったことはバレている。

 でも、唇越しに魔力を流したことは知らないのかもしれない。


「お礼を言われるようなことはなにもしていません」


 自分からは何も明かすまいと、小さく首を横に振る。


「うん、そういうことにしておこうか。不思議なことに怪我も打ち身も骨折も、すっかり治っているし、体調も戻った。だから、ルーシーの怪我を治すくらいできる。お願いだから治させて?」


 そう言うと、再び手首に魔力が注がれる。

 今度は大人しく彼の魔力を受け入れ、少し彼に魔力を戻した。

 久々に感じるあたたかな魔力の循環。

 義兄がルーシーの手袋を引き抜くと、できていたであろう暴力の跡はすっかり消えていた。


「あの、彼……」


 さすがに庭に転がる婚約者が気になり、治癒魔法をかけようかと立ち上がると、義兄に引き寄せられる。


「こいつは後回し。ルーシー、頬がひどく腫れている。暴力までふるうなんて、騎士の風上にもおけない」


 抱きしめられるようにすっぽりと義兄の体に包まれて、こんな時なのに鼓動が跳ねる。

 ルーシーの顔は腫れていない頬も真っ赤に染まっているだろう。


「唇から入れてあげようか、魔力?」


 はちみつのような甘さをはらんだ義兄の瞳と目が合う。

 ルーシーの唇に彼の指先が触れる。

 明らかに兄妹の距離じゃない。

 婚約者が意識を失っているとはいえ、常識的な義兄の言葉とは思えない。

 それに、義兄にだって恋人がいる。


「冗談だよ」


 ふっと微笑むと、唇から頬に移動した義兄の手から魔力が流れた。

 痛みを忘れるほどの状況に眩暈がする。

 義兄の体温と香りに包まれて、互いの魔力を循環させていると、なにもかもがどうでもよくなる。

 心地よいまどろみのような時間にただ身をゆだねた。


「死にかけるとね、ルーシー。なにが大事かってわかるんだよ」


 義兄の言葉の真意はわからない。

 でも、自分の一生のうちで今が一番幸せな瞬間だということはわかった。

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