13.訪問客
少しルーシーは疲れていた。
横柄さに磨きのかかる婚約者。
義母と楽しくお茶をすることもなく、義兄に治癒魔法をかけることもない。
でも、これが日常になるのだ。
義母離れ、義兄離れをしなければ。
琥珀の瞳を持つ優しい親子がいないことに慣れないといけない。
お気に入りの木製のガゼボでルーシーはうとうとしていた。
今日は父や、義兄と義兄のパートナーは仕事で不在だ。
義母も午後から茶会に出かけていて、邸にはルーシーしかいない。
「お嬢様、おくつろぎの所、申し訳ありません。先触れのない来客なのですが……」
そこには恐る恐るこちらを伺う侍女のタバサがいた。
婚約者以外の先触れなしの客は、優秀な家令の指示で門前払いを食らうだろう。
ルーシーに声をかけるということは、判断に困る客なのだろう。
「一体、誰が来たって言うの?」
「……それが、フォード男爵夫人なのですが。旦那様からは邸に入れないように言われているのですが……。その、一応お嬢様にお知らせしようかと……」
フォード男爵夫人は亡き母の妹だ。
男爵夫人と称しているが、正確には離縁しているので男爵夫人ではなく肩書はない。母の実家の伯爵家の籍にも戻っていないので、そう表現したのだろう。
いつもはハキハキしているタバサが煮え切らない態度なのも仕方ない。
父からなぜか出入り禁止にされているようだが、一時とはいえ、母を亡くした心細い時期にルーシーを気にかけてくれていた唯一の人だ。その姿を使用人達も覚えているのだろう。
「……ありがとう。邸から一番遠いガゼボに席を用意してもらえるかしら?」
父が邸に入れるなと指示しているということだから、ぎりぎり許される線を探る。
普段あまり使用しない石造りの簡素なガゼボはどこかうら寂しい。
対面に座る叔母は三年前に離縁している。苦労しているのか元々華奢だった体はかなりやせ細っている。
「ルーシー、元気そうでなによりだよ。もうすぐ結婚するそうじゃないか。いてもたってもいられなくてきちまったよ」
疲れた顔に笑顔を浮かべて、骨ばった手でルーシーの手をなでる。
母が亡くなった7歳の頃に少し一緒に過ごしただけなので、あまり顔を覚えていない。
叔母のこげ茶の髪の毛はところどころ、白いものが混じっている。
母やルーシーとは色味が違う。
でも、その顔立ちにはどこか母の面影があった。
「年々、姉さんに似てくるねぇ。どうだい、伯爵家での暮らしは? あの男は相変わらずなのかい? なかなかあんたに会わせてもらえなかったけど。まったく血の繋がった姪だっていうのにひどい話だよ。後妻や連れ子にいじめられてないかい?」
「お義母様にはよくしていただいています。……お義兄様にも」
「へぇ――……。そりゃよかった。艶々しているもんね。それに結婚相手は黒豹騎士様だって? 上手くやったもんだ」
婚約者について叔母にどこまで話していいのかわからず、ただ曖昧な微笑みを返す。
「だけどね、ルーシー。あの女には気をつけな」
「あの女……?」
「シャリーンとかいう後妻の女だよ!」
「え?」
「だって、そうじゃないか? 姉さんが死んで、再婚を頑な拒んでいたブルーノが簡単に娶って、さらに自分の血が入っていない子供を籍に入れて、跡取りにするなんて、おかしくないかい?」
「……」
目の前で力説する叔母の目には明らかに憎しみがあった。細身の体から発せられる激情にルーシーは慄いた。
叔母には感謝している。
母が亡くなって心細い時に寄り添い、母の形見まで渡してくれた。
でも、ルーシーは義母が大好きだ。
悪く言われると、気持ちがギシギシと軋む。
「あんたも父親もあの女に騙されているんだよ。あの甘ったるい容姿だ。結婚は三度目だし、前の結婚だって、死に分かれじゃない。きっと上手いこと男を渡り歩く女なんだよ。いいかい、あの女に気を許しちゃだめだよ」
叔母の目は興奮して爛々と輝いている。
落ちくぼんだ眼光とやせ細った体から発せられる迫力に気圧される。
「ルーシー、姉さんの指輪を見せてくれないかい?」
のろのろと胸元から鎖を引き出して、形見の指輪を見せる。
両方の手で上手く操作して、琥珀色に輝く指輪は胸元に隠した。なぜか、叔母には見せたくなかった。
「ああ、相変わらず綺麗だね。姉さんを思い出させるよ。ありがとう。姉さんを想って、今でも身に着けているのを見て安心したよ」
先ほどのぎらつきが嘘のように涙をにじませる彼女は、年齢よりくたびれただけの害のない婦人に見える。
鎖の先にきらめく薄紫の宝石のついた指輪をルーシーも眺めた。
今、ルーシーの心の拠り所になっているのは間違いなく義母と義兄だ。
ただ、消えてしまいたいと思う時はこの指輪を握りしめてしまう。
そうしたら、母があちらへ呼んでくれる気がして。
突然、ぎゅっと抱擁された。
細い体とは思えないくらいの力強さで、苦しくて身をよじる。
「また、会いにくるよ、ルーシー」
その言葉に、無言で頷いた。
血の繋がった叔母との久々の再会だというのに、ルーシーはひどく疲れた。
叔母が伯爵邸を後にしてからも、庭の片隅からルーシーは動けない。
胸元から隠していた琥珀の小さな指輪を取り出し、手の上で紫の指輪と並べる。
『あのね、ルーシーに隠し事をしたくないから言っておくわね。私とあなたのお父さんは契約結婚なの』
義母から突然の告白。
彼女が伯爵邸に来てから一週間後のことだった。
あの頃はまだ、客間でお茶をしていた。
『ルーシーは伯爵家の家政も理解しているし、きっと理解できると思うの。わからないことがあったら聞いてね』
7歳のルーシーに、そう前置きをして話し始めた。
父の望みは、伯爵夫人として家政の取り回しと他家との最低限の社交。白い結婚で、子供は作らないこと。
そして、義兄を伯爵家の籍に入れ、後を継がせること。
義母の望みは、義母と義兄の後ろ盾となること。
『我が父とはいえ……なかなかひどいですね』
『ふふっ、本当にね。でも、私一人でマークを守るのも限界だったから、ありがたい申し出だったの』
義母が見せてくれた契約書の写しには、父の几帳面な文字で署名されていた。
ルーシーに関することが一切、条件に入っていない。
ここまで徹底して無関心を貫くことに呆れを通り越して、感心してしまった。
『なんでこの話をしたかっていうとね、ルーシーに安心してほしくて。あなたのお父様は私を愛しているわけじゃない。今でもあなたのお母様を愛しているのよ。貴族としての体面を保つために、私に協力を願っただけ。だから、あなたからお父様を奪うわけではないし、お母様を忘れる必要もないのよ。私のことは、そうね……同居している親戚だと思ってくれたらいいわ』
とびきりチャーミングな笑顔で言い切った。
光が彼女の明るい茶色の髪の上を舞う。
『はい』
ルーシーの手に、小さな鍵を渡してくれた。
『ルーシーのお母様の部屋の合鍵。伯爵様に許可はもらっているわ。お母様が恋しくなるときは自由に入っていいのよ』
義母はにこにこして、きょとんとしているルーシーを見守ってくれた。
義母は言葉通り、屋敷の中では父の妻として振る舞わなかった。
頑なに父の部屋と続き間になっている夫人の部屋は使わなかった。
義兄やルーシーと同じ階にある日当たりのいい部屋を使用している。
屋敷に手を入れた時も、母の部屋だけは決して触らずそのままにしていた。
屋敷のそこかしこに飾られている母の肖像画も。
そんな誠実なお義母様がなにか企んでいるっていうの?
叔母も味方になってくれた人で、切迫した様子からなにか事情があることが伺えた。
自分によくしてくれた叔母の言うことだ。少し気にかかる。
お義母様が大好きなのに、裏切られていたらどうしよう?
そして、彼女を信じ切れない自分も嫌だった。
「ルーシー、どうしたんだ? 散歩か? 留守の間、変わりはなかったか?」
義兄に声をかけられて、あたりを見回すと、空はすっかり茜色に染まっている。
義兄の馬車が帰ってくる音すら耳に入らないくらい、回想にふけっていたらしい。
屋敷の方から香ばしい肉の焼ける匂いがする。
「はい」
叔母を勝手に邸内に入れたことと、彼女に告げられたことが頭によぎり、兄の顔が見られない。
義母とそっくりな甘さのある美しい顔を今は見たくなかった。
「ルーシー」
いつもより強い口調で名前を呼ばれて、肩が跳ねる。
「これ。仕事先でもらったから」
柔らかな顔立ちに似合わない無骨な手のひらに載るのは可愛い缶。
「たぶんクッキーかなにかだろう。甘いものは口に合わない。もう夕食の時間だ。屋敷に戻ろう」
ぼうっとしていると、ルーシーの手に缶を押し付けるように握らせる。
別に裏切られてもいいじゃない。
お義母様と彼になら。
手の中にあるクッキーの缶をにぎりしめて、義兄の後を追って屋敷への道を辿った。




