12.義兄離れ、義母離れ
「あの、お義兄様」
四か月ほど前にもこんな風に緊張して義兄に声をかけた気がする。
出かける予定がないのかラフな格好をしている義兄に話しかけた。
「治癒魔法の実践を止めていいですか?」
「ああ、かまわないがどうした? 体調が悪いのか?」
「いえ、だいぶコツも掴めてきましたし、倒れることもなくなりましたから」
「そうか、ならいい。無理するなよ」
距離がだいぶ近くなった義兄は、ルーシーの頭をそっとなでる。
頭のなで方まで親子でそっくりだ。思わず小さな笑いがこぼれる。
「わかっています」
そう答えると、余計なことを話してしまう前に立ち去った。
義兄は最近、伯爵邸に綺麗な金髪の女性を連れてきた。
アレックスという名の魔法師で、仕事のパートナーだという。
義母とも親し気に話しているので昔からの知り合いなのかもしれない。
いつもは無造作な髪で誤魔化しているが、整った顔立ちをしている義兄は、夜会でも貴族令嬢によく声をかけられていた。そつなく対応しているが、誰かに興味を示したこともないし、次期伯爵だというのに婚約者もいない。
心のどこかで、彼に一番近い女性は自分だなんてうぬぼれていた。
でも、義兄にもきちんと大事な女性がいたのだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、離れた距離から鋭い目で見ている女性と目が合う。
上背のある義兄ほどではないが、すらりとした長身で、腰まである金色の髪が揺れている。
ハーフアップに結われている髪は、いつも琥珀の宝石が飾りについた茶色の皮紐でまとめられている。
魔法師らしく詰襟のシャツにローブを羽織っている簡素な格好だが、ドレスで着飾った令嬢より美しい。
彼女はいつも切れ長の青い瞳でルーシーをじっと見ている。
婚約者がいるくせに、義兄にほのかな想いを抱いていることに気づかれたのかもしれない。
彼女は、義兄といつも行動を共にしている。
義兄が以前話していた、腐れ縁の幼馴染で仕事の相棒。
仕事で伯爵領に出かける時は帯同しているし、伯爵邸に帰ってくる時も一緒だ。
父からの許可も出ているのか、一番いい客間の一室は彼女に充てられている。彼女一人でもふらりと伯爵邸に姿を現して、部屋を使っているようだ。
まだ婚約はしていないが、公私ともに義兄のパートナーなのだろう。
「ルーシー、今日は一緒にお茶しない?」
物思いから返ると、彼女の姿はなくて、傍に義母がいた。
首をかしげると、さらりと明るい茶色の髪が揺れる。
大きな琥珀色の瞳にはルーシーを心配する色があった。
「ごめんなさい、読みたい本があって……」
ルーシーは本をぎゅっと胸元で抱きしめた。
嘘ではない。
この本も他国から義兄が取り寄せてくれた珍しい本だ。
最近では治癒魔法の本だけではなく、ルーシーが興味をもちそうな本まで添えてくれる。
「そう? 気が変わったら、参加してね。今日は仕事がないみたいだから、マークとアレックスもいるわよ」
ずきずきと胸が痛んだ。
そう、最近はルーシーのお気に入りのガゼボでお茶することはほとんどない。
それは暑さのためだけではなく、義兄のパートナーが日焼けするのが嫌なようで、お茶をするのはもっぱら室内になったからだ。
義母と義兄と義兄のパートナーが楽しく談笑している姿。
これからは、きっとこれが伯爵家の日常になる。
いずれルーシーはこの家を出ていくのだから。
彼女が現れてから、義母も義兄もルーシーに対する態度は変わらない。
それが余計に辛い。
三人とお茶をするのを断ったにも関わらず、一人部屋で読書をするルーシーの元にお茶やお菓子が差し入れられた。
ルーシー好みの紅茶や菓子が私室の小さなティーテーブルに賑やかに並んでいる。
これはルーシーのために?
それとも三人のお茶会にも同じものが出されている?
彼女もルーシーと好みが同じなの?
頭に浮かぶ考えを振り払う。
恐れていた日が近くなっただけ。
自分は嫁ぎ、義兄は伴侶を迎える。
実際にそれを目の前に叩きつけられると、胸の奥をかきむしりたいような気持ちになる。
ルーシーは机につっぷした。
人生はままならない。
「お嬢様……」
遠慮がちにタバサが声をかけてくる。
「どうしたの?」
「婚約者様が見えています」
「また?」
最近では、三日と空けずに婚約者が前触れもなしにやってくる。
もちろん、ルーシーに会うためではなく治癒魔法が目当てだ。
その背景にあるものを義母から聞いたため複雑な気持ちだが、婚約者を咎めても言いくるめられてしまう。
彼は仕事中なのか、私的な巡回をしている最中なのか騎士服でやってくることが多い。
いつも急いでいるので、玄関先で立ったまま治癒魔法を流す。
血や怪我にも慣れてきた。
侍女や侍従が手当てをするのを見るうちに、簡易的な手当ならできるようにもなった。
しかし、怪我の度合いがひどくなっているのが気になる。
剣術大会で、王宮の治癒魔法師の治癒魔法が効いていなかったことも気になる。
「あの、騎士団では治癒魔法は受けていないのですか? 時間が経つと治りが遅くなったり、傷跡が残ったりするみたいなので……」
「隊長である俺がしょっちゅう怪我をしていたら、どういう目で見られるかわからないのか? くだらない質問はするな」
手当てや治癒魔法に対するお礼はなく、終わるとさっさと出ていく。
剣術大会では命を救ったというのにお礼の言葉はなかった。
気を失っていたので、彼には伝わっていない可能性が高いけど。
もちろん公爵家から礼状も届いていない。
ルーシーはため息をついた。
彼の耳にルーシーの言葉は届かない。
色々な意味で、このままではよくない。
他国の文献に同じ治癒魔法師の魔力を流し続けると耐性ができるという説や、自然治癒力を阻害するので治癒魔法は気軽に使ってはいけないという説も読んだ。
でも話を聞いてくれない相手をどう説得すればよいのか、ルーシーにはわからなかった。




