11.決勝戦の後で
「ついに決勝戦か……」
婚約者は順当に勝ち進み、決勝を残すのみとなった。
対峙する相手は近衛騎士団ではなく、街の警らを担当する第三騎士団。
平民上がりの者も多いという。
きっと実力でここまで這い上がってきたのだろう。
体格的には互角。
しかし、試合が始まるとその実力差は明らかになった。
彼は連戦の疲れなのか、動きが鈍い。
相手は初戦から勝ち上がってきているので、もっと疲れているはずなのに動きが軽い。
彼をおちょくるように、剣先を交えて翻弄している。
兜をかぶっているのに、彼がいら立っているのが伝わってきた。
――この試合、どうなるのだろう?
ルーシーは両手を祈るように握りしめた。
彼に勝ってほしいのか、叩きのめされてほしいのかわからない。
完全に相手が試合の流れを作っていて、だんだんと試すような剣の中に、本気のものが混じってくる。
がきんっと重い音がした。
上段から繰り出された相手の剣を、間一髪で彼が止める。
彼が間合いを取るために後退した。
そこへ、ごっと相手の剣が横から入り、彼が吹き飛んだ。
相手も細身に見えるがどこにそんな力があるのだろうか?
重たく見える剣を捌く姿は、最後まで軽やかだった。
婚約者は吹き飛ばされて、地面に転がったまま動かない。
周りの悲鳴に我に返る。
審判が相手の勝利を宣言し、医師と治癒魔法師が彼の元に駆けつけるのが見える。
「ルーシー、大丈夫か? 本来なら挨拶をした方がいいのかもしれないが、帰るか?」
義兄に問われるが、どう答えたらいいのかわからない。
兜を取られた彼は気を失ったままのようだ。
勝利した相手は一礼して去り、その場で彼への手当てがなされている。
会場は想定外の事態に騒然としている。
皆、婚約者が勝つと信じて疑わなかったのだろう。
「マクファーレン伯爵令嬢様」
呆然としているルーシーに、声がかかる。
公爵家の使用人だ。
「奥様がお呼びです」
「なんの用だ」
「奥様がお呼びです」
「大丈夫です、お義兄様。行きます」
「俺も着いて行く」
「かまいません。お急ぎください」
呼び出された先は、闘技場の脇にある簡易的な救護場だった。
婚約者が青白い顔でベッドに横たわっている。
傍らには彼に手を添える治癒魔法師の姿。
腕組みする医師と、興奮した公爵夫人がその後ろに立っている。
「なにをしているの! それでも治癒魔法師なの! 呼吸が弱くなっているのよ、早くなんとかなさい!」
「奥様、落ち着いてください。治癒魔法師はリラックスすることが大事です。落ち着いて見守りましょう」
「うるさいわね! あんたも医者だっていうならなんとかしなさいよ――――っ!!」
彼の母である公爵夫人の金切り声が響き渡っている。
ルーシー達の気配に振り向いた彼女と目が合った。
「来るのが遅いわよ! いいわ、やってみなさい、早く!!」
ルーシーの腕を掴むと、医師の制止も振り切って治癒魔法師をどける。
一応、確認すると微弱だが呼吸も脈もある。
でも驚くほど、その体は冷たかった。
一瞬、邪な考えが浮かぶ。
手を抜けば……。
――治癒魔法師が治せなかったのだから、責めることはできないはず。
「早くなさいよっ!!!!」
彼女がルーシーの手首を掴み、彼の胸元にルーシーの手を置く。
なぜ、こんな力を与えられたのかわからない。
どうしてルーシーに嫌なことをする人のために、その力を使わないといけないかわからない。
でも義兄に協力してもらってここまで育て上げた力を、発揮しないわけにはいかない。
頭を振り払って邪心を祓った。
手に伝わる彼の鼓動はひどく弱々しい。
「なにをグズグズしているの!! 早く! 早く!」
彼の胸元に置いた手を一旦戻して、手袋を引き抜いた。
胸元は診察のためなのかはだけられている。
治癒魔法は皮膚接触の方が、効果がある。
着衣より皮膚。皮膚より唇。
「早くなさいっ!!! このグズが!!」
自分の胸元に右手を当てる。
自分の鼓動はいつもより早い。
ひとつ呼吸をした。吸って吐いて。
――心臓と呼吸器が回復しますように。
彼の症状や原因がわからないので、思いついたことをそのまま意識する。
それから、診察のためにはだけられた婚約者の胸元に手を当てた。
素肌に触れる感触にぞわっとする。
彼の意識がないからか、抵抗はいつもより少ない。
「アドルフが回復しなかったら、相手の騎士とお前達、全員の首を跳ねるわよ!!」
スムーズに入る魔力を一度に入れることはせず、少しずつ少しずつ送り込む。
なにも考えず、ただ無心に手を当て続ける。
素手で素肌に通すのがだめだったら?
と考えた途端自分の呼吸が浅くなる。
散乱する思考を振り払い、自分の好きなものを思い浮かべる。
木製のガゼボ、ほんのり甘い紅茶、琥珀の指輪。
魔力がスムーズに流れていく。
「アドルフッ! アドルフ――――――!!!!」
手に伝わる鼓動が力強くなり、虫の息だった呼吸が蘇る。
だんだんと彼の頬に赤みがさしてきた。
「大した腕前ね」
ふと顔を上げると王妃殿下の顔がすぐ傍にあって、あわてて顔を伏せる。
「ごめんなさいね。集中を切らしてしまったかしら? 治癒魔法を行使する女性を初めて見たものだから。もう、大丈夫そうに見えるけど、どうなのかしら?」
「申し訳ありません。医術の心得がないので……」
それを聞いた医師が、ルーシーに代わり彼を見てくれる。
「なんと! 素晴らしい。手の施しようがないと思っていましたが。脈拍も呼吸も安定しています。これで目を覚ませば大丈夫でしょう」
「甥の事、救ってくれて、ありがとう。これは王族の言葉じゃなくて叔母としての言葉よ。受け取って」
「お言葉、ありがたく頂戴します」
「アドルフは得難い婚約者を持ったようね。私が強引に推し進めてしまった婚約だけど、よかったわ」
柔らかく微笑む王妃殿下は、公爵家や婚約者からルーシーがどんな扱いを受けているのか知らないのだろう。ルーシーはなにも言えず。頭を下げ続けた。
「アドルフも無事だったし、表彰のセレモニーを行わなくてはね。本当にありがとう。失礼するわ」
軽やかに退室する王妃殿下を見送ると、ルーシーの正面に公爵夫人が立っていた。
彼女の息子の命を救ったというのに、頬を赤らめ眉間には深く皺が刻まれている。
「ちょっと殿下に、褒められたからって調子に乗るんじゃないわよ! そもそも、なんですぐに駆け付けなかったの? そうやって恩を売るつもり? 婚約者としての自覚はあるの?」
「そんなつもりはございません。申し訳ありません。それに治癒魔法師の方が控えていたので……」
「言い訳するんじゃないわよ!」
上背のある彼女がルーシーの肩を両手で揺さぶる。
横で医師や治癒魔法師が息をのんで見守っている。
しかし、身分的な問題か彼女を止められる人はこの場にいない。
「……息子さんの命を救ったのに、その言い草ですか?」
義兄のいつもよりワントーン低い声が差し込まれる。
「部外者は黙ってなさい! ……アンタ、伯爵家の後継ぎか? まがい物の?」
その言葉に頭の線が切れた音がした。
「お義兄様はまがいものなんかじゃありません! 血は遠いですが伯爵家の血は流れていますし、父と共に立派に伯爵領を治めています!」
いつも従順なルーシーの反抗に驚いたのか、公爵夫人が一瞬、目をむいた。
次の瞬間、ルーシーの頬に彼女の手入れされた親指と中指のネイルが食い込む。
「伯爵家ごときが公爵家に反抗するんじゃないよ。こっちが本気になったら、すぐに潰すこともできるんだからね!」
伯爵家を盾に取られたら、黙らざるを得ない。
悔しさで涙がにじむ。
義兄の教えてくれた治癒魔法のお陰で、彼は助かったというのに……。
爪先が頬にぎりぎり食い込み、肌が引きちぎれそうに痛む。
「出過ぎたまねをしました」
義兄が横で頭を下げる。
「ふんっ。今後はわきまえなさい」
彼女の気が済んだのかようやく、解放された。
あとにはなんとも言えない気持ちだけが残った。
◇◇
「ごめん、ルーシー……却ってひどいことになった」
労いの言葉もなく放り出された二人。
帰りの馬車で隣に座る義兄は、謝罪の言葉を繰り返した。
「我慢できなかったのは一緒ですよ。それにお義兄様がいてくださって心強かったです」
「治していいか?」
ルーシーの返事を待たずに、両頬に義兄の手のひらが添えられる。
大きくて少しかさついた手が宝物をそっと包み込むように触れた。
その感触にほっとして、体に入っていた力が抜ける。
ルーシーは気づいたら目を閉じていた。
流れ込んでくる治癒魔法ののった魔力に身をゆだねる。
「気持ちいい……。今日の嫌な気持ちとか全部、溶けていくみたい……」
あたたかくて、頬と手のひらが触れている部分が溶けあっていくような感覚。
心地よくてずっと浸っていたくなる。
義兄の手の上から自分の手のひらを重ねる。
自分の魔力も少し流す。
呼吸を吸って吐くような、当たり前のリズム。
馴染む体温と二人の呼吸。
どうして、こんなにぴったりなのに。
こんなに心地いいのに。
離さなくちゃいけないのだろう。
「もう、大丈夫」そう言わなくちゃ。
治癒の終わりのタイミングは傷口の治りを目視するか、治癒魔法をかけられている者の体感。
だけど、あとちょっとだけ。そう、あと少しだけ。
終わりを切り出せなくて目を開けると、同じ高さに義兄の琥珀の瞳がある。
その眼はじっとルーシーを見ていた。
優しくて甘い顔立ちも真剣な表情だと、締まって見える。
どんな表情も覚えておきたい。
切ない気持ちで見つめ返す。
彼の気持ちは義妹への同情だってわかっているけど。
その家族としての気持ちにすら、すがりたい。
結局、馬車が家に着くまで、二人の手が離れることはなかった。