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5 婚約パーティーの二日前:最後の授業日

「何をしている」


 リヴォルトの突き刺すような鋭い眼光が、わたしたち三人を射抜いた。


 相変わらず攻撃的で敵意に満ちている。これがジュリアンヌの兄とは思えない。でも、短く切ったブロンドの髪と白い肌、整った顔立ちはやっぱり、彼女を思わせる。


「その無様な格好は一体何だ。侯爵家ともあろう人間が!」


 わざとらしく、彼は声を張り上げた。侯爵家、と聞いてわたしたちに注目が集まる。

 リヴォルトの後方にいる数人の取り巻きがニヤついている。

 まずいことになったわ。わたしやロメオのお父様やお母様……ううん、それだけではない。たくさんの人たちに恥をかかせてしまう。わたしたちのせいで。


 それに、ジュリアンヌも同じ格好をしていると知られてしまったら、彼がどんな反応をするか分からない。多分、バレるのは時間の問題。

 もう戻るしかないわ。あの腐敗男にも遭遇しないようにしなければ。もっと前の時間。豚の丸焼きを見かける前。印象に残ったものを思い出すのよ。


 頭の中を探る。すぐに出てこない。

 リヴォルトが近づいてきた。不振な様子で、顔を伏せたジュリアンヌを見ている。

 気づかれた。もういいわ、腐敗男からは走って逃げれば何とかなる。

豚の丸焼きを思い浮かべてすぐ、視界が歪んで黒いモヤモヤが出てきた。


「ねえ、わたくし、あのお料理を食べてみたいわ」


 隣から、ジュリアンヌの声が聞こえた。

 気づけば、戻っていた。自分の息が荒くなっているのを感じる。

 それもそうだわ。一気に七日前まで戻ってすぐに能力を使ったんだもの。

 両隣にあったはずの肩が、わたしを追い越した。


「ロザリア?」

「どうしたんだい?」


 二人がこちらへ振り向いた。


「う、ううん……何でもないわ」

「でも、苦しそうよ。ちょっと休む?」

「そうした方がいい」

「え、ええ……」


 大丈夫、と言おうとしたけれど、やめた。ダメかもしれない。


「そ、そうね……わたし、ちょっと休んでくるわ。ここで待っていて。絶対に動いちゃダメよ」

「ロザリア、どちらへ行くの?」

「ごめんなさい、すぐ戻ってくるわ。お願いだから一人にして。絶対にそこから勝手に動かないで!」


 言い放ってから、速足で二人から離れた。もしかしたらまたぶざまな姿を見せてしまうかもしれない。それだけは二度とごめんだわ。


 路地に入ってしゃがみ込んだ。深い呼吸を繰り返す。

 出来るだけ早く戻らなければ。近くにあの男がいるはず。

 突然、異臭が鼻を突いた。嗅ぎ覚えがある。腐ったようなこの臭いは……。


「くっそ! なぜだ! なぜ死ねない……」


 あの男だわ。とても辛そう。今度は怒りに拳を壁に叩きつけている。

 絶句した。どうしてこんなところにいるの。だって、時間を巻き戻す前は大通りにいたじゃない。七日前は別の路地にいたわ。


「あ、あんた……」


 男と目が合った。わたしの存在に気付いた。

 近づいてくる。やっと見つけた、と言わんばかりに。

 咄嗟に逃げ出した。


「おい! 待ってくれ!」


 男の声が遠のいていく。病気のせいか、まともに走れていなかった。追い付かれることはないわ。早くロメオとジュリアンヌを見つけて一刻も早くここから離れなければ。

 あの角を超えてれば、大通りには二人がいる。勝手に移動していなければいいのだけれど。

大通りへ出ると、なぜか人だかりができていた。騒ぎを聞きつけて集まっている感じ。


 ロメオとジュリアンヌがいない。まさか……。

 人込みの中に飛び込んだ。かき分けて進んでいく。


「ジュリアンヌ。なぜお前がこのような格好をしている」


 嫌な予感が、的中してしまった。

 顔を怒りで染めたリヴォルトが、ジュリアンヌに詰め寄っていた。

 彼の後ろには数人の取り巻きがいた。


「ごめんなさい。お兄様……」

「リヴォルト。僕が誘ったんだ。すまない」

「屈辱だ……」


 リヴォルトが小さく呟いた。背中がわなわなと震えている。

 彼はロメオの方へ一気に振り向くと、言い放った。


「屈辱だ! 我が妹にこのようなたちの悪い趣味を強制しおって! よくもカヴァレット家の名を汚してくれたな!」

「ち、違うのお兄様! これはわたくし自らの意思です! 決して彼に強制されたものでは……!」

「お前は黙っていろ!」


 ジュリアンヌの言葉を遮ると、リヴォルトは腰につけた剣を引き抜いた。光る剣先をロメオに向ける。取り巻きたちも彼に続く。ロメオを取り囲み、抜刀。

 その中の一人。一際大きな男が、大剣を引き抜いた。

 見覚えがある。禿頭で眉毛のないギロリとした目。鎖帷子と外套を身に付けた、リヴォルトの護衛。他の貴族の男たちがみんな細剣を使っているのに、彼だけが太く、重そうな剣を持っていた。


「やりすぎよお兄様! こんなことやめて!」

「黙っていろと言っただろ!!」


 ジュリアンヌの必死の訴えが、リヴォルトの怒声にかき消された。

 そうよ。いくらなんでもやりすぎだわ。顔を合わせればいつもこう。どうしてカヴァレット家の人間はこうも好戦的なの。これでは関係改善なんて無理よ。


「流石の貴様もこの人数には対応しきれまい。ドメニコもいるのだからな」


 舐め回すように、リヴォルトはロメオを見ている。じりじりと距離を詰めていく。対して、ロメオは微動だにしない。


「ダメよ……」


 震える声が、口から出た。

 彼らを止めなければ。どうやって? うまく声が出せない。身体が思うように動かない。


「覚悟しろ! ロメオ・モンタローネ!」


 唸りを上げて、刃が一斉にロメオへ襲い掛かった。

 すると、彼は拳を強く握りしめ、「はあ!」と声を上げ、身体に力を入れた。


「ダメよ! ロメオ!!」


 ドメニコの斬撃。直撃する寸前、ロメオはドメニコの手首を掴んだ。全ての攻撃を交わすと同時に、その巨体を背負い投げ、地面に叩きつけた。リヴォルトの表情から一切の余裕が消え去った。

 ロメオは大剣を奪い取り、軽々と振り上げた。瞬間、一本の細剣が真っ二つに折れた。刃が飛んで金属音と共に落下し、地面を滑った。何人かが怯んだ。恐れと共に、数発の斬撃がロメオに飛び込んできた。身軽にかわし、次々と細剣を破壊。そしてカウンター。速い。大剣がまるで空気みたい。


「驚いたな。細いのにすげぇパワーだ」

「いやいや、ロメオ・モンタローネは腕っぷしが半端ないってんで有名だよ」

「噂は本当だったんだな」


 歓声と驚嘆の声が聞こえてくる。

 彼らの言う通り、ロメオは人間離れした身体能力を持っている。小さい頃からそうだった。身体に力を入れることで、素手で木を引き抜くことができるようになるし、ジャンプをすれば屋根の上に乗れるようになる。

 だからこうなると毎回心配になる。ロメオが相手の人を殺してしまわないか。

 気付けば取り巻きたちが倒れていた。脇腹や足を抱えて唸っている。よかった。誰も死んでいないみたい。


「貴様ああああああああああああああああああ!」


 ロメオの後方から、リヴォルトの襲撃。

 剣が振り下ろされる。直前でロメオが身体を反転させ、反撃。二つの斬撃がぶつかった。

 リヴォルトの剣が破壊された。ロメオの太い刃が、リヴォルトの胸を貫いた。


「ぐふっ」


 リヴォルトが吹き飛ばされ、転がった。

 わたしは口元を手で押さえた。


「いやあああああああああああああああああああああああああ!! お兄様!!」


 真っ青な顔でジュリアンヌが駆け寄る。血を流したリヴォルトの元へ。

 彼の胸元はパックリと開いていた。洋服がみるみると赤く染まっていく。

 やってしまった。恐れていたことが起こってしまった。


「リ、リヴォルト……」


 ロメオの手から、大剣が落ちた。顔面蒼白で立ち尽くしている。


「いやよ! いやよお兄様死なないで!!」

「くっそ……妹に屈辱を与えるだけでは足りず、この命も奪うか……許さないぞ、モンタローネ」


 泣き叫ぶ妹に抱かれたリヴォルトが、絞り出すように口にした。途切れそうな弱い声音には強い恨みが込められていた。

 死の間際で周囲に訴えかけている。自分たちは被害者だと。

 逃げるように、とっさに過去の豚の丸焼きの記憶を引き出した。

 目の前の地獄絵図が薄れ、視界から全てが消えた。


「ねえ、わたくし、あのお料理を食べてみたいわ」


 戻ってきてすぐ、空気を大きく吸い込んで吐き出した。心臓が暴れている。

 両隣に歩く二人の肩がまたわたしを追い越した。こちらに振り向いて、立ち止まった。


「ロザリア?」

「どうしたんだい?」

「……いいえ、何でもないわ。行きましょう」

「……」


 歩き出そうとした。けれど二人の反応がない。

 なぜか口を開けて、わたしを見たまま固まっている。

 いいえ、違うわ。二人ともわたしを見ているのではない。

 すぐさま後方へ振り向いた。

 背筋が凍った。

 真後ろに、あの男がいた。


「やっと見つけた」


 腐敗男が言った。その言葉も、フードの下にある冷たい視線も確かにわたしに向けられていた。


「何か用ですか」


 尋ねたのは、ロメオだった。

 わたしは二人の腕を掴んだ。


「走って!!」

「おい、待ってくれ!」


 男の声。待つわけがないじゃない。


「ロザリア、後で説明してくれ」


 わたしに歩幅を合わせながら、ロメオが言った。

 返事をする余裕なんてない。足を動かすだけでせいいっぱいなんだから。


「ロザリア、苦しそうよ。大丈夫なの?」


 わたしの顔を覗き込むジュリアンヌに、少しイラついた。

 心配する相手が違う。わたしじゃなくて、ロメオの身を守らなければいけないのに。

 彼女に問に答えず、顔すら見ないで進み続ける。

 十字路に踏み入れた直後。


「危ない!!」


 ロメオが声を張り上げた。

 同時に、横から馬の唸り声が聞こえた。

 振り向くと、馬が二本足で立っていた。前足の蹄を暴れさせている。

 鉄でコーティングされたそれが、迫ってくる。

 直撃すると思った。誰かがわたしの背中を押した。前方に転倒し、地面を転がった。


「いやああああああああああああああああああああああああ! ロメオ!! ロメオ!!」


 ジュリアンヌが発狂している。

 後方で、ロメオが倒れていた。頭から血が流れている。絶え間なく。真っ赤な海が広がっていく。


「ロメオ! ロメオしっかりして!!」


 ジュリアンヌがロメオを抱きかかえ、揺さぶっている。

 ピクリとも動かない。

 その横には、馬車に繋がった馬が立っていた。


「そんな……こんな、こと……」


 拳を握りしめた。

 わたしのせいだわ。彼がわたしをかばったんだわ。

 せっかく生き返ったのに、死なせてしまった。

 今すぐ戻るのよ。彼のいない世界なんて、耐えられない。しかも、それがわたしのせいだなんて。すぐになかったことにしなければ、どうにかなってしまいそう。

 さっきまでの記憶を思い出す。時間にして数十秒。この十字路に入る直前のこと。

 視界が遠のいていく。途切れる寸前、フードを被ったあの男が見えた。呆然と立ち尽くしているような気がした。


 気づけば、わたしは走っていた。

 既に息切れしていて、苦しい。

 その場で立ち止まった。前かがみで激しい呼吸を繰り返す。


「やっぱり苦しいのね。大丈夫?」


 ジュリアンヌがわたしの背中をさする。

 わたしたちの前を、大きな何かが通過したのが分かった。

 身体を起こして顔を上げると、わたしたちは十字路にいて、交差する横道の一歩前にいた。

 通り過ぎたのは、あの馬車ということ。


「危なかった。馬車にぶつかるかと思ったよ」


 そんなことよりも、今気にするべきはあの男の存在。

 わたしは後方へ振り向いた。


「えっ……」


 さっきまで追ってきていたはずの男が、いなくなっていた。


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