3 婚約パーティー中止の二日前‐中止から五日後
今日も街は賑わっていた。多くの平民でごったがえしている。
とりあえずいつもの酒場で軽く飲んで、食べて、おしゃべりをして、お店を出た。
次はどこに行こうか、なんて話しながら大通りを歩いていく。
いろんな露店が並んでいる。お肉やお野菜を売っているお店。スープや焼いたお肉を提供しているお店。どうするか迷ってしまう。この迷っている時間も、わたしは好きだ。
「ねえ、わたくし、あのお料理を食べてみたいわ」
ジュリアンヌが指さしたのは、巨大な豚の丸焼きが置いてあるお店だった。
お店の人がその場で切りさばいて提供している。
「ねっ、いいでしょ?」
「ええ、もちろん」
「ああ」
数人の行列ができていたので、その最後尾に並んだ。その間、料理人の包丁さばきを見ていたから全然飽きなかった。
「すまない。二人ともちょっと待っててくれないか」
突然、ロメオが駆け出した。わたしたちから離れて路地へ入っていく。
「待って、ロメオ」
「あぁちょっとっ」
ジュリアンヌが彼の背中を追いかけたのでわたしも続いた。
路地に入ると、ロメオがしゃがみ込んで倒れている誰かに話しかけていた。ボロボロの服を着ている。多分男の人。浮浪者かしら。
ロメオはその人の腕を自分の肩に回して立たせ、支えていた。
数歩前まで来て、わたしは足を止めて顔をしかめた。
酷い異臭。即座に手の甲で鼻を抑えた。腐ったような臭い。多分あの男の人だわ。何日も水浴びをしていないから。ううん、でもそんな臭いとは違うような気がする。
ジュリアンヌもそれを感じ取ったようで、足を止めた。
フードの下から、男の人の薄く痩せた頬が出ていた。足取りもおぼつかない。とても息が乱れている。あの様子だと自分でうまく歩けないんだわ。飢餓かしら。何かの病気の可能性もあるのに、こんな人を助けるなんて。
男の人がバランスを崩した。ロメオもよろけた。
「あの、大丈夫ですか?」
足を止めていたはずのジュリアンヌが男の人の元へ駆け寄って、もう片方の腕を持というとした。
「俺に構うな!」
怒鳴りながら、触れられる寸前でジュリアンヌの手を振り払った。勢い余ってロメオの肩から身体が離れて、地面に倒れ込んだ。
そのとき、彼の被っているフードがめくれて、顔が露わになった。
ボサボサの髪。顔の至る所に泥がついていて汚れている。そして頬に深い傷跡があった。
再び彼を起こそうと、ロメオが彼に手を伸ばした。
「構うなつってんだろ!! 俺は死にてんだよ!」
「えっ」と、三人同時に声を上げた。
フー、フー、と苦しそうに激しく呼吸をしてから、男は続けた。
「やっと死ぬ方法を見つけたんだよ……フー、フー……俺は……フー、フー……やっと死ねるんだっ……この苦しみを乗り越えれば……フー、フー……待ちに待った死が待ってるんだよ! だから俺に構うんじゃねぇ!!」
絶句したまま、苦痛に顔を歪めたその人を見下ろしていた。苦しそうな呼吸音だけがこの場に響き渡る。
「ねえ、そんな人もういいじゃない。行きましょうよ」
二人の二の腕を掴んで強引にその人から離した。
「あ、ああ……」
「で、でも……」
「何を気にする必要があるのよ。放っておけばいいじゃない。あの人どうかしてるわ」
二人の視線はまだあの人に向けられていた。とても心配そう。
これじゃあわたしが薄情みたいじゃない。罪悪感がないわけではない。あれだけ苦しんでいるのだから。でも、本人がああ言っているのだから、関わるべきではないわ。
前を見て、ただひたすら歩いた。二度と振り向くことはないまま、わたしたちは路地を後にした。
しばらくは三人とも無言だった。
ああ、せっかく遊びにきたのに。もう最後なのに、全部台無し……と思ったけれど、あまり長続きはしなかった。
「ねえ、食べるんでしょ。豚の丸焼き」
二人は顔を上げると、それを見た。
「いらないの?」
「もちろん、いります」
「ロメオは?」
「食べようか」
「じゃあ行くわよ」
微笑みかけると、二人に笑顔が戻った。
なんだかんだ最後まで楽しむことができた。三人笑って、別れることができた。
その翌日は卒業式と卒業パーティーだった。
ロメオは黒のタキシード姿で出席した。とても似合っていた。けれど、肝心の本人は顔色が悪かった。無理をしているような、そんな感じだった。明日は婚約パーティーなのに、大丈夫かしら。
パーティーの途中、ジュリアンヌと目が合った。春の花を思わせる、鮮やかな青と白のドレスを身に付けていた。彼女自身の美しさはドレスに負けてしまうことはなく、むしろ引き立てていた。嫉妬してしまうくらい。
わたしとロメオは彼女と一度も会話をすることはなく、お互いに目を合わせて微笑み合った。とても似合っている、とただ一言だけでも伝えたかった。それすらできないのがもどかしかった。
更に翌日。わたしたちの婚約パーティーの日がやってきた。どれだけこの日を待ちわびていたか。いつもの起床時間より二時間も早く目が覚めてしまった。
多忙な朝だった。祈りと礼拝をしてから、クリームや油を使って髪と全身を整えてから、軽めの朝食を取った。家庭教師と一緒にマナーや立ち振る舞いの最終確認をしていたとき、誰かが部屋をノックした。
「私だ」
入ってきたのはお父様だった。表情が硬い。何だか気後れした様子だわ。
「その……あれだ、ロザリア……今日のパーティーについてなのだがねぇ……」
とても言いづらそうにしている。この感じ。きっと悪い知らせだわ。
「お父様、ハッキリ言って」
「あ、ああ……その、実はだな……今日のパーティーは、中止になった」
「えっ?」
「ロメオが、その、体調を崩したらしい。とても出席はできないそうだ」
「彼の具合は大丈夫なの? 病気とかにかかったわけではないのよね?」
「あ、ああ……そうだとは思うが、体調を崩した、としか聞いていない故、すまないがハッキリとしたことは、言えない」
「そう、よね……」
わたしは視線を落とした。肩から力が抜けていく。
一昨日の卒業パーティーの日、確かに彼は具合が悪そうだった。悪化してしまったのかしら。多少体調が悪いくらいであれば、ロメオなら出てくるはず。一昨日みたいに。
しかも、今日はこの国の有力貴族を巻き込んだイベント。それを中止にした。つまり、そうせざるを得ないほど、ということ。
ただの不調であればいいのだけれど。もしも感染症とかだったら……いいえ、それが今流行しているという話は聞いてないわ。
「あっ……」
一つだけあった。
腐敗病。
日が経つごとに身体が腐敗し、死に至る病気。
ただ、流行しているといっても、ごく少数の人間だわ。詳しいことは分からないけれど、感染力は非常に弱くて、感染者に会ったとしても、滅多にうつることはないそう。
でも心配だわ。他の感染症という可能性もある。
いても立ってもいられない。
「お父様。わたしロメオのお見舞いに行きたいわ。いいでしょ?」
「あ、ああ、そうだな」
身支度を整え、馬車ですぐにモンタローネ家の宮殿へ向かった。
しかし、彼に会うことはできなかった。理由は教えてくれなかった。
仕方なく引き返すこととなった。そのとき一瞬、異臭がして手の甲で鼻を抑えた。
何かが腐ったような臭い。以前にも嗅いだことがある。あの男の臭いだ。まさかと思って周囲を見渡したけれど、いなかった。
近くに死骸でもあったのかしら。
座席の背もたれに身体を預け、ため息を一つついた。
その五日後、ロメオが亡くなった。
推察通り感染症だった。しかも、ないと思っていた腐敗病だったそう。
実感が湧かない。彼は本当に死んでしまったのかしら。だって、お父様からそのように聞いただけで遺体を見たわけではないもの。
なのに、身体から力が抜けて、涙が溢れてきた。
いったい、どこで。
そのとき、あの男の顔が思い浮かんだ。数日前に、ロメオが助けようとしていた変人。
あの人、頬に泥がついて汚れていた。よく思い返してみれば、あれは泥じゃなくて肌が腐敗しているようにも見えた。もう一度確かめて見なければ分からない。
でも多分、感染源はあの男だわ。それ以外考えられないもの。
ならばジュリアンヌも感染しているはず。あれだけ接触していたのだから。
でもそんな話は流れて来ない。亡くなったことを隠しきることはさすがにできないわ。じゃあ、彼女は大丈夫ということ? もしもそうなら、なぜロメオは死んでしまったのかしら。
いいえ、考えても仕方ないわ。時間を巻き戻して、あの男との接触を避けるの。もしあの男が感染源でなければ、もっと前の日に戻るの。ただ、戻れる日にちと、短期間で能力を発動できる回数には限りがある。なるべく少ない回数で、短い時間で感染源を特定して、避ける。
ロメオはわたしが必ず守る。
さあ、もう一度会いに行くのよ。彼の元へ。