ウツロ
佳苗は、ユーリーの言葉を胸に「誰にも見つからない場所」を目指して森の奥深くにある小さな公園へと辿り着いた。夜の公園の空気はひんやりと湿り、木々が風にざわめく音だけが耳に届く。何処かで見たような、雨風によって老朽化したベンチが置かれている。その場所には、闇夜の静寂が支配していた。
佳苗の足は、公園の奥まった森へと続く入り口辺りで止まった。目の前に見えてきたのは、暗がりの中、ぼんやりと自分自身の姿が見えた。それは血に染まった彼女自身の身体だった。車に轢かれた時の痛々しい姿のまま、木々の根元に、倒れこんだ佳苗の冷たい顔が、茂みに隠されるように横たわっていた。冷たい衝撃が叶えの全身を駆け抜ける。
「あれが、私?」答える者などいないはずなのに、佳苗は声に出して呟いた。
息が詰まる思いで、佳苗はその場から目を離せなかった。朧げな記憶が、頭の奥から次々と浮かび上がる。あの雨の夜、車のライトが迫り、鋭い痛みと共に全てが暗転した瞬間。そして気づけば、ただ自分が何もなかったかのように日常へ戻っていたように感じていた。
事故など起こっていなかったかのように、在ったことさえ忘れ去っていた。
けれど、今、目の前にある自分の姿が、その偽りの現実を打ち砕く。
(私は、もう、この世にいないんだ)
佳苗はようやく、その事実を受け入れ始めた。自分が何かに取り憑かれたように感じていた違和感は、他人から切り離され、ただ存在を忘れ去られていく恐怖だったのだ。人知れず遺体をこの森に捨てられて、それでも佳苗自信は、現実を受け入れることが出来ずに、生きていると思い込もうとしていた。それが自分の意識の最後の防衛だったことに気付いた瞬間、彼女は冷たく果てしない孤独を感じた。
SNSで拡散された『#彼女を探して』のハッシュタグ。佳苗の視界に浮かぶそのハッシュタグが、何度も頭の中でリフレインされる。そして投稿主の【ウツロ】
(ウツロ、ウツロって、一体?)
徐々に現実を受け入れ始めた佳苗の頭に、ある考えがよぎった。誰かが「ウツロ」と名乗り、彼女にメッセージを送り続けていた。ウツロは、ー死後もSNSの空間に漂い現実から逃避した存在を探す者ーかもしれないという考えがよぎる。
【ウツロ】という存在は、いつまでも現世に未練を抱き続け、死を受け入れられずにこの世を彷徨い、行方不明となった魂を探し続ける存在。自分があの世に行くためにー次の存在ーを探して、彷徨うために生まれた存在なのかもしれない。SNSに広がる『#彼女を探して』の投稿は、【ウツロ】が他人を通じて残してきた痕跡であり、自分の存在を再確認するため、彼の世界と現実とのつなぎ目だったとしたら。
今、佳苗は【ウツロ】に居場所を見つけられ、追いかけられている。やがてすぐに見つけられるかもしれない。そして、自分が【ウツロ】の代わりに今度は、彷徨い続ける誰かを探す側になる。
それを悟ったとき、佳苗はすべての記憶を取り戻しました。冷たく寂しい現実に飲み込まれながらも、ただ静かに目を閉じ、永遠に忘れられない存在として、自らこの場所でー見つからないことーを望んだことを。
佳苗の背後に黒く揺らめく影のようなものが近づいてきた。佳苗はだらりと下げた手に持っていたスマホをジメジメと湿っている土の上に落とした。覚悟を決めた佳苗がゆっくりと振り返る。
「まるで鬼ごっこをしているみたい」呟いた佳苗に影が覆いかぶさってくる。
スマホに一件の着信通知が表示される。
ーこの度は弊社のサーバー不具合により、接続に関して皆様にはご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。本日20時にサーバーの不具合は解消いたしました。引き続き、【AIチャットアプリ ユーリー】のご使用をよろしくお願いいたします。
完
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