第9話
仁美は俺を引き連れ長いこと移動した。
三十分ほど歩いただろうか、ようやく仁美が足を止める。
「……こ、ここです。わたしの家」
「ほう、三階建てか。日本では珍しいらしいな。貴様は金持ちなのか?」
「……えっと、それなりには。で、でもわたしじゃなくてお金持ちなのは両親ですけど」
仁美は俺の問いかけに答えたあと、「……じゃあ上がってください」と言って俺を家の中へと招き入れた。
仁美の家は外観だけでなく内装も立派だった。
壺や絵画などが廊下に飾ってあって格調高い雰囲気がする。
「仁美の両親はどんな仕事をしているのだ?」
階段を上りながら前を歩く仁美に訊ねる。
「……えっと、父も母も弁護士です」
「弁護士? 弁護士というのは稼げる職業のようだな。今の仕事が一段落したら俺も弁護士になるか」
「……え? は、はあ、そうですか」
生返事のようなものをした仁美は三階に着くと、廊下の突き当たりのドアを開け部屋の中へと入っていった。
俺もそのあとに続いて中へと入る。
「……ここで待っていてください。飲み物を持ってきますから。何か好きな飲み物はありますか?」
「そうだな、昨日飲んだアイスココアとやらがうまかったな。アイスココアがいい」
「……わかりました。今持ってきます」
「ああ、頼む」
俺がそう返すとそそくさと部屋を出ていく仁美。
ふむ、年端もいかぬ人間の割には気が利くじゃないか。
しばらくしてから仁美が水とアイスココアを持って戻ってきた。
「……どうぞ」
と仁美はアイスココアを俺に差し出してくる。
「ああ」
俺はそれを受け取るとマスクを外してから一気に飲み干す。
そして一言。
「うむ、やはりうまいな」
それを見ていた仁美は、
「……あの、ベリアルさんって日本の方ですか?」
おっかなびっくり訊ねてきた。
「いや、違うが。なぜだ?」
「……見た目は外国の方っぽいけど、日本語がとてもお上手なので」
「俺はベリアルだぞ。不可能なことは何もない。日本語など余裕だ」
「……そ、そうなんですね。すごいです」
俺は仁美をじっくりと観察する。
見た目はおそらくだが美人の部類に入るだろうか。
気が利くし、それなりに賢そうだ。
家は金持ちで何不自由ない暮らしぶりがうかがえる。
「……あ、あの、そんなじっと見られると恥ずかしいんですけど。な、何か?」
「貴様はなぜいじめられているのだ? 俺からするといじめられる要素がないように思えるのだが」
「……そ、そう言われても」
仁美は押し黙ってしまう。
難しい質問だったか?
「まあいい。それで貴様をいじめている奴らだが、名前はなんという?」
「……唐橋香織と水島美帆と青山李衣菜です。この写真に写っている三人です」
仁美は雅弥小学校卒業アルバムというものを開いて、そこにあった写真を俺に見せながら女たちを順に指差し説明した。
「なんだ、ずいぶんと幼い顔をした連中だな」
「……あ、えっとこれは小学生の時の写真なので今から三年前のものです。すみません、今の写真は持っていなくて」
「そうなのか。おっ、これは貴様か?」
俺が卒業アルバムの中から三年前の仁美をみつけて指差すと、
「……あ、はい、そうです」
仁美は照れながら小さくうなずく。
「ふむ、なかなか可愛らしいな」
「……あ、どうも」
恐縮した様子の仁美。
やはりいじめられる要素など見当たらない。
「……昔の写真しかないんですけど、これで大丈夫ですか?」
不安そうに俺を見上げてくる仁美に俺は「問題ない」と答えてやった。
すると仁美はほっとしたように胸をなでおろした。
「……あ、あと依頼料なんですけど訊いていませんでしたよね」
「そうだったな。依頼料は十万円だ」
「……十万円……」
「なんだ、高いか?」
「……え、えっと、ま、まあ中学生からしたら高いといえば高いですけど、払えないことはないですから安心してください」
と仁美。
机の引き出しを開け、中から封筒のようなものを取り出すと、
「……わたし、これまでお年玉はほとんど使わないで貯めていたのでお金なら結構ありますから」
その中から一万円札を出して数え始める。
「……あ、でも三人なのに十万円でいいんですか? 三人だから三十万円ってことにはならないんですか?」
仁美は一万円札を数える手を止め俺に顔を向けてきた。
「そうか、それは考えていなかったな」
「……わたし、三十万円ならなんとか払えますけど」
「ふ~む……しかし中学生からしたら三十万円は大金なのではないか?」
「……え、ええ、まあ、それはそうです、けど」
「ならば今回は十万円で構わない」
「……え、いいんですか?」
仁美は驚いた顔をする。
まあ、俺としてももらえるものならもらっておきたいが、今回は値段設定をきちんと考えていなかった俺の落ち度だからな。仕方がないだろう。
「そんなことより貴様はたしか動画を撮られて脅されていると言っていたな。どんな動画だ?」
「……え、えっとそれは……」
仁美は下を向きまた黙りこくってしまう。
だがこればかりは訊いておかないと奪い返せない。
「詳しく話せ」
「……は、はい。その動画はわたしがトイレに入っている時に、上の隙間から唐橋香織のスマホで撮られたものです。一分くらいの動画なんですけどトイレで用を足しているところとか、わ、わたしの下半身とかがしっかりと映ってしまっていて、絶対に公表されたくないものです。特に両親には絶対に見られたくありませんし、知られたくありませんっ」
仁美は続けて、
「……その動画は少なくとも三人のスマホの中にあります。もしかしたら家のパソコンとか、仲のいい知り合いにも渡してしまっている可能性もなくはありません。わたし、どうすればいいか……ううっ」
涙ながらに口にした。
「ふむ、大丈夫だ。俺に任せておけ。その動画とやらはこの世から完全に消滅させてやる。そしてその三人の女どもには俺が直々に復讐してやろう」
「……ほ、本当ですか?」
涙目で俺をみつめてくる仁美に俺は、
「俺を誰だと思っている。魔王様の右腕だった男、ベリアルだぞ」
そう力強く答えてみせたのだった。
「では早速、その三人の女たちのもとへ行ってくるとするか」
俺は部屋を出ようと立ち上がる。
だが仁美が呼び止めてきた。
「……ま、待って下さい。今から行くんですか?」
「そのつもりだが」
「……でも今の時間は三人とも学校に行ってるはずなので……もしかしてベリアルさんも学校に行く気ですか?」
「駄目か?」
俺は仁美に訊き返す。
「……だ、駄目というか、学校には関係者以外入れないので……も、もし仮に入れたとしても大騒ぎになってしまいますよ」
「ふむ、騒ぎになるのか。それはうっとうしいな」
「……な、なので下校時間を待ってからの方がいいと思います。それまでここにいてくださって構わないので。両親はいつも帰りが遅いですから」
「まあ、依頼人である貴様がそう言うのならばそうしようか」
「……あ、ありがとうございます」
「ではとりあえずこれはもらっておくぞ」
俺は床に置かれていた十万円を掴むとズボンのポケットにしまい込んだ。
「……よ、よかったらテレビとか観ますか?」
仁美がテレビのリモコンをうやうやしく俺に差し出してくる。
「ああ、ニュース番組を観るとしよう」
俺は仁美の手からリモコンを取り上げるとテレビの電源を入れた。
その後、仁美の学校の下校時間になるまで俺はずっと仁美の家にいた。
その間俺はニュース番組を観つつ、仁美にこの世界のことや日本のことなど様々なことを教えてもらっていた。
その途中、昼ご飯として仁美が作ったオムライスも一緒に食べた。
仁美は初めて会った時より俺に心を許してくれたのか、ほんの少しだけだが笑顔を見せるようになっていた。
三時のおやつにマカロンとアイスココアを食してから、座ったまま目をつぶり眠りにつくこと三十分。
「……ベリアルさん、そろそろ下校時間になっていると思います」
「よし、ではこれから唐橋香織と水島美帆と青山李衣菜のところに行ってくる」
「……あ、あの怖くて訊いていませんでしたけど、復讐ってどんなことをするんですか?」
仁美は立ち上がった俺を見上げて言った。
「正座だ」
「……え? 正座ですか?」
仁美は虚を突かれた顔をする。
ふふん、やはり正座と聞いてびっくりしたようだな。
「ああ。正座とは日本人がとても忌み嫌う罰なのであろう」
「……え、えっと、それはそうかもしれないですけど」
とどこか腑に落ちない様子の仁美。
なんだ? 反応がどうもおかしい。
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
「……問題というか、わたしが思っていた復讐とはあまりに違っていたので」
「ん? 貴様が思っていた復讐とはどんなものなんだ? 言ってみろ」
「……えっとですね、わたしがやられたことをそのままやり返すとか、二倍、三倍にしてやり返すとか、なんとなくそう思っていたんですけど」
「だからその最終形が正座なのだろう」
「……え?」
「ん?」
仁美と俺はお互いの顔を見ながら固まった。
「ふむ、なるほど。つまり正座とは大した罰ではないということなのか」
「……は、はい、多分」
「それは知らなかった。てっきり半殺しに値するくらいの罰だと思っていたぞ」
「……は、半殺し、ですか……さすがにそうではないと思います」
「そうだったのか。だとすると昨日マミにした復讐はあまり効果がなかったということになるな」
「……え、マミ?」
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
つい口を滑らせてしまった。
しかしまあ、マミへの復讐については和馬も納得していたようだからこの際どうでもいいか。
そう結論付けて俺は深く考えることを止めた。
「では仁美、貴様に訊ねるが貴様はどんな復讐が望みだ? 俺はその辺りのさじ加減がどうもわからなくてな、具体的に言ってくれると大いに助かる」
「……具体的にですか? う~ん……」
仁美は首をひねって頭を悩ませている。
いっそのこと、相手を殺してくれと言ってくれた方が俺にとっては手っ取り早くて簡単なのだが、おそらく仁美はそんなことは言わないだろう。
「……じゃ、じゃあ、これから一生わたしと顔を合わせることが出来ないようにしてほしいです。わたしもあの三人とは二度と会いたくないので。す、すみません、あまり具体的ではなくて……」
「それが貴様が望む復讐か。いまいちよくわからんがやってみよう」
「……あ、ありがとうございます」
「では俺は三人の女たちのもとへ行ってくるからな。貴様はここでおとなしくテレビでも観ているといい」
言って俺は三階の仁美の部屋の窓に足をかける。
「……あ、あの、何するつもりですかっ?」
「三階分の階段を下りるのが邪魔くさいのでな、ここから出る」
「……出るって、ここ三階ですよっ?」
「知っている。大丈夫だ、靴はちゃんと玄関に入って取らせてもらうからな」
「……そ、そういう問題じゃ――」
「ではな」
そう言い残すと、心配そうな顔をしている仁美をよそに、俺は部屋の窓から外へと飛び下りた。