囚われのファム・ファタル
囚われた女たち
運命の女―ファム・ファタルだとか、なんだとか、女や、女だか男だか分からない美しいもの(私は美しいと思うけど、誰かにとっては美しくはないかも)を描く画家たちが増えた。
あれはいつ頃だったか。
近代に急激に増加したその愛、執着、思想のおかげで、私たちは囚われてしまったの。
最初に私を運命と呼んだあの男の名前はなんだったかしら。
妙に痩せぎすで、青白くて、虚ろな顔をしていたあの男。
『はぁい、そこのお兄さん。何かお困りではないかしら』
だって車椅子に座っているくせに、今にも崩れ落ちそうに頭をぐらつかせていたから。
その場に彼と自分しかいなかったら、私じゃない人でも、声をかけるわ。
彼はあの時に私に運命を感じたなんて言っていたけど、それは彼がよっぽどシャイで女に声をかけてこない人生だったか、あるいは寂しい世界で生きていたからそう感じたのよ。
それでも、私たちが出会って彼が死ぬまで、彼と私はゼロ距離に在り続けたのだから、それは確かに「運命」なんていう素敵な飾りをつけて思い出にしてもいいかもしれないけどね。
私たちは裸で抱き合うことはなかったけど、(きっとそうしたら彼は昇天してしまうでしょうし)私は同じくらいの幸福と快楽と羞恥を深く味わったわ。
彼は素敵だった。
それでも、一生を共にしようなんて考えていたわけではないけど
まあ、結果的にそうなったのだから、運命だったってことにしたほうがいいのかしら。
とにもかくにも、私たちはそこそこの刺激とつまらないくらいに平凡な時間を過ごしたわ。
そのせいかしら、私が囚われてしまったのは。
この巡り巡るようで停滞する世界に取り残されてしまったのは。
私をここに導いた彼はもういなくて、彼の記憶を持ち続けている私は誰なのかしら。
あの男が私に永遠でいてほしいと全てをかけて願うことで、
神は、悪魔は
その願いを、呪いを
叶えてしまった
望みをかなえた男はもういない。彼の記憶を持つのは私だけ。
彼は、私に永遠を与えて、自分は刹那の時の狭間に消えていった。
これは愛かしら。憎しみかしら。それとも、運命かしら。