sceneN-2 あったかもしれない過去
メンテナンスで遅れました……。
あと、サブタイトルを少し修正しております。
上中下の三部にしようとしましたが、それだと
一話一話の文字数が多くなってしまうので……。
※次話は翌01:00で投稿します。
「……え?」
司の記憶にあるあの若夫婦ではない。
口論……というよりも、一方的に責め立てられている調理場側の黄色エプロンを掛けた男の子と、客席側から身を乗り出す同じエプロン姿の女の子は明らかに司と同年代だった。
「そもそも、なんであんたみたいなナヨナヨした男がモテてる訳!? 信じられないんだけど!?」
「だから違うって! あの子達は、その……ここ最近通うようになって! べ、別に俺がどうこうしてる訳じゃねぇよ!」
客席側の女の子はひどくお冠の様だ。
少し茶色味掛かった髪を三つ編みでアレンジした夜会巻きの髪型で大人びているが、控えめな身体付きと身長で目一杯に感情を表現するその姿と張りのある声からは快闊とした男勝りな気の強い性格を思わせる。
調理場側の青年は……何とも頼りない。
線の細いオドオドとした雰囲気は、思わず「男のくせに……」と呆れてしまう。
ただ、その眉をハの字にした青年の顔を見た瞬間……。
「――ッ!? くッ!?」
まるでその場で何十回も回転した様な目眩に襲われる司。
あの青年は……自分だ。
そう理解した瞬間に司は、前後不覚に陥り足下が覚束なくなる。
そして、それを隣で見ていた七緒は、すぐに司の身体に起きた変調を察した。
(生きる時間が違う同一体が相互認識をするとお互いが自己座標を消失する……まずはこっちの御縁司が別時間の自分を認識した。全身に急激な曖昧さを感じているはず……このままあそこにいる一年前の御縁司がこの御縁司を〝自分だ〟と気付けば、相互認識が成立して存在が崩壊してしまう……だけど)
七緖はすぐにその心配はいらないであろうと結論付けた。
客観的に交互に見ればよりはっきりと分かる。
服装の違いもさることながら、目の前にいる司と調理場にいる司。
全てを承知している七緖の目から見ても……二人は全く別人だ。
ほぼ全身を入れ替えたと言ってもいいほど、身体付きも顔立ちも明らかにこちらの司の方が数倍逞しい。
しかし、これは七緒の主観ではあるが、調理場にいる一年前の御縁司はこちらの司よりもまた違った良い雰囲気があった。
(優しそう……目元も穏やかだし)
その顔にはまるで邪気が感じられない。
頼り甲斐といった印象はないが、爽やかで落ち着きが感じられる好青年感がある。
そして……。
(円って……あ、あんなに溌剌とした子だったの?)
過去の御縁司を責め立てている女の子。
こっちの司にとっては初対面だろうが、彼女が鷺峰円である。
〝本流世界〟では、大学で自治会長を務めていた七緖の画策により、司とは出会うことすらなかった女の子。
ただ、七緖の知る鷺峰円はもっと物静かで暇があれば一人で静かに本を読んでいる様なあまり人付き合いが得意な子ではなかったはずだ。
身体の震えに俯く司。
二人のあまりに印象の違う感じに戸惑う七緒。
しかし、そこでようやくカウンターを挟んでいた男女が司と七緒の姿に気付いた。
「え? ……あッ! す、すみません! いらっしゃいませッ!」
「えッ!? ひゃッ! あ、あ……い、いいらっしゃいませ!」
俯き震えている司と呆然としている七緒。
そんな二人を見て自分達の痴話喧嘩を笑われたと思ったのか、お互いに顔を真っ赤にして頭を下げていた…………。
「もぉ……司のせいで恥掻いたわよ」
「なんで俺のせいだよ? 円が一人で騒いでただけじゃないか」
サイフォンの前に立つ過去の司とホットサンドのサンドプレートをコンロの前で返す過去の円。
ボリュームは大分落ちたが、依然として言い争いを続けながらも並んで司達の注文した品を調理する二人。
その姿はまさに〝喧嘩するほど何とやら〟と言わんばかりの苦笑モノの光景だった。
「…………」
窓辺のテーブル席に座る司と七緖。
司は過去の司が自分の事を〝未来の自分だ〟と認識しなかった様子を目にしたことで体調の異変を回復させ、今はお冷の入ったグラスを片手にジッと過去の自分と過去の円の様子を眺めていた。
「あ、あの……そんなに見てたら怪しまれ……」
「……黙ってろ」
「うぅッ!?」
底冷えする低い声と共に一瞬睨まれ、七緖は危うく手にしていたグラスを倒してしまいそうだった。
寒々しいテーブル席。
しかし、料理場には柔らかく暖かな空気が満ちていた。
「ん……と、あッ♪ 見て見て司! 焦げ目がいい感じに付いたよ!」
「あぁ、いい感じだな。はぁ……円が〝強火=焼き時間短縮〟っていう考え方をようやく捨ててくれて感無量だよ」
「うぐッ!? うっさいわね……もっと素直に誉めたらどうなのよ。そういうとこばっかり父さんに似てるわよね、あんた」
せせら笑う司、イッーと歯を剥く円。
水さえ甘く感じる光景だ。
「なぁ、七緖……俺には、あんな人生もあったかも……なんだな」
コトリとグラスを置いた司は椅子の背もたれに身体を預けて足を伸ばすだらけた姿勢で小さく呟いた。
その声音に険しさはなく、七緖に当て付ける感じもない。
本当にただ率直な感想。
視線の先にいる幸せそうな自分を司は柔らかく安堵した眼差しで眺めていた。
「あッ……あの……いや、あれは……」
「でも、きっとあの幸せそうな笑顔も……もうじきこっちのお前らに壊されるんだろうな?」
眼だけで七緒を見る司。
優しく温かい雰囲気が一変して冷たく辛辣な眼差し。
そのあまりの落差に気圧され、七緒は思わず身を縮めて俯いてしまう。
「あ、ぁ……」
違う……あれは〝側流世界〟の中に構築された紛い物の二人だ。
七緖が知る本当の一年前の司は、大学でも家でもとにかく一人であり、本当の鷺峰家も喫茶店など営んではいない。
〝本流世界〟の鷺峰家は代々華道を営んでいた。
とてもそれだけで食べて行ける様な名のある流派では無く、円の父は公務員をしていて、母は近くの女子校の華道部や大学のサークル講師を掛け持ちして細々と一族の歴史を繋いでいる様な衰退芸家。
そして、本当の円はそんな家業には限界を感じ、大学へ進学……というのが本来の流れ。
しかし、店内の壁にはこの喫茶店をオープンした当初の写真なのか、幼い少女を囲む一家の写真が飾られ、その横には少し歳を取った両親と大きく成長した円。そして、少し控え目に脇に立つ司が写った写真が並んでいる。
(〝本流世界〟と全く事象が噛み合っていない……無茶苦茶だわ。こんなの作り物よ。御縁司はこんな穏やかな人生の可能性なんて――)
「お待たせしました。ホットサンドセットになります」
「――ッッ!?」
司と七緒の前に、温かで香ばしい香りを立てるホットサンドとコーヒーのセットが運ばれて来る。
それを運んで来たのはエプロン姿の司。
円は調理場から自分が焼いたホットサンドの評価が気になるのか、チラチラと七緒達の方を気にしていた。
「あ、あの……どうも……」
「ありがとう。へぇ……旨そうだな」
微笑を浮かべながらテーブル袖の砂糖瓶を取りそれをコーヒーに入れる司。
すると、盆を片手に下がろうとした過去の司が「あッ!」と立ち止まる。
「ん? なんだよ?」
「え、あッ! いえ……すみません」
「あ、ひょっとして俺がブラックでコーヒー飲みそうだと思った? あるあるだよな……別に否定はしないけど「大人ならコーヒーはブラックで飲めよ」みたいな雰囲気。そんなの〝ケチャップが掛かってないオムライス〟や〝汁物が無い定食〟みたいなもんだろ?」
「あはは! 上手い例えっすね! 不味くはないんだけど「なんか物足りなくね?」って感じになります」
コーヒーの通な楽しみ方なのか七緒にはよく判らなかったが、二人の司は楽しげに語り合っていた。
しかし、過去の司はチラッと戸惑う七緒に気付いてすぐに下がり、調理場からこちらの一口目を凝視していた円の頭を盆で小突き奥へと引き摺っていく。
「ははッ……安心した。コンビニでバイトしてる時、俺店長からよく「愛想が悪い」って言われてたんだよな。喫茶店で仕事なんて出来るのかよって思ったけど、案外いけるな……ほら、食べようぜ」
「えッ!? あ、えぇ……」
どういう訳だろうか?
突然七緖にさえ優しく語り掛ける上機嫌な司は、コーヒーを味わいホットサンドにもおいしそうに手を付ける。
七緖も震えながら、どうにかコーヒーに口を付ける。
……美味しい。
丁寧に入れられたのであろうそのコーヒーは嫌な苦みは無く、ホッと吐息が漏れる心が安らぐ様な優しい味がした。
(違う……違う違う違うッ! あ、あれは……あの二人は、偽物で…………)
七緒の身体から力が抜けてしまう。
手にしたカップが、あの司が入れた美味しいコーヒーが、七緒には信じられないほど重く感じられた…………。
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峪房四季 @nastyheroine