scene3-3 正義が生んだ狂気 前編
次話は翌00:00台に投稿します。
「クソがぁぁぁッッ!!!」
拳を振り下ろす司。
他人に暴力……ましてや女性になど今まで一度として振るったことは無い。
だが、そんなことを考える余裕もなく、掌に爪が食い込むほど握り固めた拳は止まること無く……。
――パシッ!
「やめておきなさい。この曉燕は直接君に何かをした訳では無い。その抜身で何の論理も無い暴力は、そのまま君があの四人から受けた理不尽な誹謗中傷と変わらないよ?」
「うるせぇッ!! 道徳の先生みたいなこと言いやがって! そもそも諸悪の根源のあんたが言えた話かよ!? 放せッ!! このッ!」
振り下ろした司の拳を片手で受け止める良善。
意外に力が強いのか、それともただ単純に人を殴り慣れてなどいない司の拳が大したこと無かったのか、とにかく司はそのまま良善の腕で抱え込まれる様にして曉燕から引き剥がされてしまう。
確かにその言葉自体は正論だと思う。司に曉燕への直接的な恨みは微塵もない。
それどころか、これまでの終始丁寧過ぎるくらいの対応に好感さえ持っていた。
しかし、作られた不幸の日々と結局は単なる腹いせに殺される未来を突き付けられ、その元凶達の仲間を前にして頭よりも先に全身が仕返しを求めてしまうこの激情を抑える術はなかった。
「ハァッ、ハァッ……んぐッ!? り、良善……様、どうかお手を離して下さい。わ、私は……御縁様に、殴られるべきで――」
「まぁまぁ、落ち着きなさい……感情に流されてはいけない。今の君は圧倒的〝被害者〟なのだ。折角の優位な立ち位置を彼女達と同じ様に考え無しに捨てるのは勿体ないだろ? 冷静かつ明確な定義を持って進める方が得策というモノだ」
掴み締められていた喉を押さえて身体を起こす曉燕。
司の怒りを甘んじて受けようと、唾液が滴る荒い息を整える暇すら要求せず司を押さえる良善へ進言するが、当の良善は曉燕を無視して司にだけ語り返る。
そして、その言葉は一見大人な対応を促している様に見えるがやはりその性根は醜悪そのもの。
良善はデーヴァ達の失態そのものである今の司の立ち位置を最大限に有効活用する気でいた。
しかし、やはりそんなことも……司には関係なかった。
「うるせぇッ!! 何ガタガタ抜かしてんだよ!? 放せよッ! ああああぁぁぁッッ!! あいつが殴られるって言ってんだろ!? 上等だ! グチャグチャにしてやるッッ!!!」
「ひぃッ!?」
それは今にも壊れてしまいそうなほど細い格子越しに対峙する飢えたライオンの様な姿。
歳の割にひ弱な司が牙を剥いてがなり吠えたところで、本来そこまで迫力は無い。
しかし、今の司が放つ眼光はそこらの不良はおろか、デーヴァとして人ならざる力を持っている曉燕すらも震え上がらせるに足る覇気の圧を宿している。
味わって来た屈辱の純度が違う。
生半可な怒りではなく、取り戻した記憶によって書き直されたこれまでの人生の一分一秒全てが籠った大激怒。
曉燕は震えながら涙を流した。
その怒りや憎しみは、自分達も骨身に染みて分かっていた感情だったはずだ。
その屈辱を力に変え、自分達は尊厳を取り戻し、世界を正そうとしていた。
しかし、その結果が……今目の前にある司の姿だ。
何も変わらない。
自分達のやって来たことは、自分達を苦しめて来た〝Answers,Twelve〟の蛮行をそのまま鏡に映したも同然の所業。
打算で過去改変という手段に逃げ、対話により正しく導くという手段も見出していたのに「それでは気が済まない」と、圧倒的優位に立てる過去の人間を寄って集って弄び、頃合いを見て殺す。
見る者によっては〝Answers,Twelve〟よりもさらに悪質。
だから曉燕は、今こうして良善の下僕に戻っていた。
少なくとも下僕であった頃の自分は、こんな憎しみを生み出す様な悪辣では無かったから……。
「ご、ごめ……ごめん、なさいぃ……。ち、違うんです……わ、わた……私ぃ……」
「黙れぇぇッッ!!! てめぇのそんな言葉受け取ってやるもんかッ!! 許さないッ! 絶対に許さないッッ!! お前だってちょっと前まで俺のこれまでをずっと笑って眺めて来たんだろ!? どうなんだ!? 言えよッ!!」
「あぁッ! あ、ぁぁ……は、は……い」
笑った。
それは曉燕が良善の下僕に戻るきっかけの少し前。
別の起源体討滅の部隊を率いていた当時の曉燕は、時元間通信で送られて来た施設から蹴り追い出されて雨に打たれる司を見て痛快に震えた。
ちなみにその時の無くなっていた司の遺産は、当時すでに司をマークしていた奏が密かに施設職員に接触して、未来の技術で一時的にその施設職員の意識を操作し、飢餓や紛争で苦しむ人々を助ける国際法人へ送金させていた。
なんて素晴らしい善行だと当時の曉燕は称賛した。
生きる価値の無い悪党の金が恵まれない人々の支援に有効活用された。
何一つ悪い事など無い……その時の曉燕は本気でそう思っていた。
「そ、んな……おま、お前ら……く、狂ってる。ほ、本気で……本気で狂ってるだろッ!!」
「うぅッ! は、はいッ! わ、私達はッ! ほ、本当……にぃ……あ、あぁぁ……」
「ふざけんなぁッッ!! 何を「今は悪い事したと思ってます」って感じに泣こうとしてやがんだよッッ!! 俺がッ!! 俺がどれだけぇ……――ああああああああああああああぁぁぁッッ!! こっちに顔向けろッ!! その顔面噛み千切ってやるッッ!!」
血走った目に涙を浮かべて叫ぶ司の怒声が曉燕の涙を蹴散らす。
それはまるで「お前が泣くことすら俺は許せない」と叫ばれている様に感じられ、曉燕は目を見開いたまま固まってしまう。
そして、そんな司の頬を流れ落ちる涙。
その堪え切れない雫は、そのまま司のこれまで感じて来た苦しみの証。
誰も味方はおらず、さらには内なる自分すら罵倒して来るあり得ない生き地獄。
普通なら心が壊れ、自ら死を選んでもおかしくない。
だが、デーヴァ達はそれすら許さない様に調節していた。
〝お前の死は私達の理想通りの無様で惨めな末路にしてやる〟
ここまでされての解き放たれた憤怒。
今の司の感情が持つ熱量は、ナノマシン抜きにしても十分に人の枠を越えつつあった。
「……あ、ぁ」
放心する曉燕。
もはや「殺してくれ」と口にするのも厚かましい様に感じてしまう。
「あぁもう! いい加減にしてくれ! 曉燕、もういい下がれ。お前がいると今の彼はまともに会話が出来ん!」
まさに地獄から這い出て来た猛犬。
暴れ狂う司を抑えるのに苦心する良善は「邪魔だ」とばかりに曉燕へ退室を命じる。
「……承知、しまし……た」
暴れる司を羽交い絞めにする良善に吐き捨てられ、曉燕は死人の様に立ち上がり生気の無い顔でフラフラと部屋を出ていく。
加害者が被害者を罵倒している理不尽。
だが、この場において最たる〝被害者〟である司がいることで、もうデーヴァも全面的に被害者側ではなくなってしまっていた。
「てめぇぇッッ!! どこ行く気だ!? ふざけんなッ!! ふざけんなぁぁッッ!! 絶対許さないッ!! 殺してやるッッ!!!」
罵声も言い慣れていないとボキャブラリーが貧相なモノになる。
あの四人がせせら笑いながら言い放っていた様に、相手の心をズタズタに傷付ける様な言葉をぶつけたかったが、司の言葉では曉燕を膝から崩れ落ちさせる様なダメージは与えられなかった。
そして、少なくとも司の目には平然と去って行く様に見える曉燕が扉を閉めると、同時に暴れていた司の矛先がようやく目の前からいなくなり、身体から力が抜けていった…………。
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峪房四季 @nastyheroine