scene2-7 地獄の窯の水面 前編
次話は翌00:00に投稿します。
〝ルーラーズ・ビル〟
それは地上七十階建ての超高層タワーにして、六日前に司がこの世の異世界を見た魔窟。
ただ、そんなビルも上層階は地下にあるあの下劣な場所とはまるで趣が違う。
その最たるモノは、四十階部分にある上下階の床と天井を取り払った三フロア分の空間を利用して作られた風情ある和風庭園。
地上四十階にあるその庭園は、空こそホログラムで演出した偽物だが、それ以外の川や池、石や草木などは全て本物で、放し飼いにされた小鳥までいるとても室内とは思えない癒しの空間。
そして、そんな空間の中央に建つ小さな庵。
そこはこのフロアの主の細やかな居室であり、同時にその主が不定期に開く茶会の会場でもあった。
「ふぅ、さすがは紗々羅嬢だ。相変わらずいい腕……とは思うがね」
「あら? お口に合いませんか?」
「いや……結構なお点前で」
この庵の主である紗々羅が点てた抹茶を頂く良善であったが、その顔はイマイチ冴えない。
それもそのはず。何故か良善の手には猫のイラストが描かれたマグカップが持たれていて、目の前には畳に寝転び裾がズリ落ちて露わになった細い足をパタパタと振りながら、泡だて器を両掌で挟んで擦る様に回して今度は犬のイラストが描かれたお茶碗に次の抹茶が点てる紗々羅がいた。
茶道家が見たら卒倒しそうな独創的な作法だが、どうやら今日の紗々羅はものぐさな女でいる気分らしい。それでもその抹茶の味は雑味の無い適度な苦味と旨味が調和したまさに〝見事〟の一言なのだから良善も苦笑するしかなかった。
「むふふ♪ 弘法筆を選ばずってね♪ はい、雅人君もど~うぞ~♪」
ズホラに腹ばいで伸びをしながら、紗々羅は良善の隣に座る雅人へお茶碗に入った抹茶を差し出す。
「あ……うっす、い、頂きます」
雅人は歯切れ悪くそれを受け取るが、そのどこか居心地悪そうな表情を察した紗々羅は含みのある笑みを向ける。
「くふふ♪ 大丈夫だよ、雅人君。君は結局下準備だけで終わったけど、それは良善さんが勝手に割り込んだからだもん。しかも翌日にとか流石に早過ぎ。君がちゃんと彼を連れて来られたのかも知れないし……この前の話は忘れて良いよ?」
「あぁ……気にするな雅人。私に堪え性が無かっただけさ」
ニンマリと笑う紗々羅と肩を竦める良善。
だが、雅人の顔色はまだ優れない。
良善のおかげで紗々羅から受けた脅しを避けることは出来たが、もう事態は次の状況に進んでいた。
「あ、あの……それより、こんなのんびりしてていいんすか? さっきの挑発……絶対奴らカチ込んで来るでしょ?」
さっきの挑発。
それはつい先ほど一方的に切られてしまった真弥との会話。
喫茶店で昏睡した司から拝借したスマホでこちらもスピーカーモードで会話をしていた訳だが、真弥の終始怒号は並の怒りではないことを通話越しにも感じさせた。
「あぁ……確かに、直に鬼の形相で向かっているだろうね。それに使命の途中で男に現を抜かす小娘達かと思いきや、どうもあの四人組は相当な精鋭である様だ」
良善はマグカップを置き、中指にリングを嵌めた手を握る。
すると、三人の前に円筒形のホログラムが浮かび上がり、七緒、奏、真弥、千紗の個人情報が事細かに表示されて行く。
「あらホント! 他の子達とは次元が違うじゃないですか。可愛らしい子達なのになかなかの手練ですね。というか、そのリングコンソール……この前捕まえた子達から奪ったものですよね? もうセキュリティを破っちゃったんですか? あ~ん、むぐむぐ……」
パーティ開きにした大袋のポップコーンを口いっぱいに頬張り、花柄のタンブラーに入れた抹茶へスプレータイプのホイップクリームを乗せてストローで啜る紗々羅。
その姿は流石に教養の無い雅人でも茶道の風上にも置けない姿だろうなと思わせた。
「あぁ、少し前から奴らの本部からもこの端末へ凍結プログラムが送られて来ているが、まるで話にならないレベルの…………ん?」
三人の前に浮かんでいたホログラムが、突然ただ真っ黒な筒になってしまった。
「あれ? 消えたっすね」
「おや? ……ん? ぷふッ!? あっはっはッ! 奴らめ、通信制限を突破されるからと今度はメインサーバーを強制終了させた様だ!」
新たに別の端末を取り出して何かを確認していた良善は、膝を叩いて笑い声を上げる。
「全く……今頃各側流世界で活動している小隊達は戦々恐々だな。指標となる本部からの通信が無ければ、今自分達がどこにいるかも分からなくなってしまうだろうに……」
「あははッ♪ 相変わらず、頭の巡りが悪い子達。まぁ、そう育てたのは私達なんだけどね」
愉快痛快とばかりに笑う良善と紗々羅。
だが、雅人は一緒になって笑っている余裕は無かった。
「あ、あの! 奴らのプロフィールなんて後ででいいっすよ! それよりこれから敵が攻めて来てるんすよね!? さっさと迎え撃つ準備を……」
雅人は良善と紗々羅が〝未来人〟であることを知っている。
そして、この二人がそんな未来で人類を支配していた悪辣な組織のメンバーなことも、思わぬトラブルでその体制が崩れ、今現在はその未来から敵に追われている立場にあることも。
全て現代では説明することも出来ない様々な技術の実演で納得させられた。
だが、そんな未来人同士の戦いがどんなモノになるかなど、現代人の雅人に分かる筈も無い。
故に雅人は口には出さないが、内心の不安は相当な物になっていた。
「フフッ……安心したまえ。確かに彼女達は手強い。増援もいるだろうから物量で攻められたら間違いなく不利だ。しかし、代わりにこちらは最大戦力で勝っている。その差は明確だ。傲慢に油断でもしていれば、寝首を掻かれるかも知れないが……」
不敵に笑う良善。
そして……。
「私達は一時敗走してここまで来た身。残念ながら……油断する気は全く無いんだよね~♪」
ゴロゴロと畳の上を転がっていた紗々羅は徐ろに立ち上がり、部屋の隅に置かれた刀立てに掛けられた白木の太刀を手に取り背中へたすき掛けにする。
Samaelグループ
Answers,Twelve
No.Ⅲ 【人斬家】 宇奈月 紗々羅
〝Answers,Twelve〟=〝答えを出す十二人〟
それが未来で人類を陰から操っていた悪辣組織の名前。
だが、そんな様々な悪行で上り詰めた十二人も、今では四人しか残っていない。
だが、仮にフルメンバーで残っていたとしても、その中で単純な個人戦闘力が最も強いのはこの和装少女だった。
「じゃあ……良善さん。行って来るわね」
「あぁ、任せたよ。くれぐれも気を付けておくれ。君が負けたら、戦況は一気にこちらが不利になる……そうなれば、もう私は両手を上げて降参するしか手が残っていないからね」
置いていた抹茶入りマグカップを再び手に取る良善だが、その言葉の割に顔には微笑が浮かんでいて、紗々羅も首を竦めておどけて返す。
「まぁ、それは大変♪ 頑張らないとね……雅人君はどうする? ここでお留守番してるならコップを洗っておいて欲しいけど?」
「なッ!? じ、冗談じゃないっすよ姉御ッ! 寧ろ俺が先陣切ってやりますって!」
不安は不安だが、舐められるのは御免の雅人。
それに自分にだって良善から貰った未来の力があり、あんな女どもに負ける気はしない。
飛び跳ねる様に立ち上がり、好戦的な笑みを浮かべる雅人。
そんな彼に口元へ手を当てクスクスと肩を揺らす紗々羅は「じゃあ付いて来なさい」と歩き出し、雅人は拳を掌に打ち付けて意気揚々とそのあとに続く。
そして、一人庵に残された良善は、コップの底に残る最後の一口を啜り飲み……。
「さて……どうなることやら」
後が無いという割にやはり焦る気配も無く残りの抹茶を啜る良善。
するとそこで良善のコートの内側から別の通信機による着信音が響く。
取り出したそのディスプレイに表示された発信者は曉燕だった。
「どうした?」
『り、良善様! 大変です!』
思わず顔をしかめてスピーカーから耳を離す良善。
どうやら通話先の曉燕はかなり取り乱している様だ。
「な、なんだ? 落ち着きなさい……正確に情報を伝えてくれねば、何が大変なのか分からないではないか」
『も、申し訳ありません! あ、あの! 御縁様が起きていらしゃるんです!!』
「……なんだと?」
それは良善にとって一体何時振りかも思い出せない〝想定外〟
五日前に〝あの薬〟を飲ませた司。
その場ですぐに昏倒するのは織り込み済みで、その意識が戻るのはどんなに短く見繕っても半月は掛かるはずだったのだが、まさか一週間足らずで目を覚ますというのは確かに慌てて連絡をして来る案件だと納得する。
「曉燕、彼をベッドに押さえ付けておけ。いいか? 絶対にそこから動かすな、すぐにそちらへ向かう」
良善は通信機を切りすぐさま庵を出て、飛び石敷きの回廊を早足に進む。
もう取るに足らぬ小娘達の襲撃など、どうでもいい。
自分の予測が外れたその要因はなんだ?
自分は司に対して何を見落としていた?
「分からない……あぁ、久しぶりだ。これだ、この感覚だ。堪らないねぇ」
紳士を地で行く良善の目が、まるでクリスマスを心待ちにする少年の様に輝いている。
自分の予測が外れたことが嬉しくて嬉しくて仕方ない様で、良善は司の元へ急いだ…………。
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峪房四季 @nastyheroine