scene12-1 水を差す驚愕 前編
千紗と夜空を連れて〝ルシファー〟へと戻って来た司。
そして、真っ先に向かったのは早速千紗との約束を果たすための格納庫。
ただ、そこには少々予想外の光景が広がっていた。
――ドガァァァァァンッッッ!!!
「「ひゃあッ!?」」
「うぉッ!? な、なんだ!?」
ドアが開いたと同時に凄まじい轟音が鼓膜を打ち、千紗と夜空は抱き合う様に身をすくませて司も驚いて目を見開く。まず目についたのは格納庫内の様相。床や壁の至る所に穴やヒビ割れがこれでもかと刻み付けられて、相当激しい戦闘が行われていたのが容易に伺える。
「お、おぉ……これはまた、随分と派手にやってるな」
呆然とする三人。すると、立ち込める煙を切り裂き、まるでゴムボールの様に床を跳ねて司達の両脇の壁へ叩き付けられる二人の人影。
「あがッ!? う、ぐぅ……あ、ぁ……」
「きゃあッ!? あ、あぁ……がはッ!?」
常人なら壁の染みになっている様な衝撃。ただ、飛んできた二人――美紗都と円は、全身ズタボロになりながらもちゃんと人の形は保って壁から剥がれ落ちて床に倒れ伏す。そして、そんな二人が吹き飛んで来た方向から……。
「何をしているんですか、二人とも? 私如きに手も足も出ない様で一体どうやって司様のお役に立つつもりですか? さぁ、早く立ちなさ……あッ! つ、司様!」
青いアームズを纏い、片手でロッドを回して粉塵を払いつつ眼鏡をクイッと上げて歩み現れる七緒。
ボロ雑巾の様な二人とは対照的に全くの無傷で息すら乱れていないその様子から、どうやら二対一の鍛錬は終始七緒が二人を叩きのめす一方的な展開だったらしい。二人のトレーニングを頼んだ際には、確かに司の期待に応えようと随分意気込んでいたがその熱意には思った以上だった様だ。
「おう、ただいま。随分と派手にやってたみたいだな?」
「も、申し訳ありません! 司様! お戻りになられていたとは知らず危ない真似をし…………あ、千……紗?」
危うく司に二人をぶつけそうになってしまったことを詫びる七緒。
しかし、流石に今回ばかりは少し意識が逸れる。
司の隣に立ついつも気にかけていた義妹の明らかに違う雰囲気を感じ取り、七緒はその場に立ち尽くして瞬きも忘れていた。
「お帰りなさいませ、司様。それと……おかえりなさい、夜空。それと……千紗」
七緒が気を吐き、出番がなかったらしい桃色のアームズを纏う曉燕が壁沿いに歩いてやって来てまずは司に一礼。そして彼の隣を見た曉燕は、そこにいた夜空と千紗の雰囲気を察して二人の頭を撫でながら優しい笑みを向ける。
「あ、うぅ……えへへ♪」
心地良さそうに曉燕の手を受ける夜空。
ただ、その隣の千紗はまだ若干表情が硬かった。
「あ、あのぉ……曉燕、お姉……様ぁ……」
「あら? 私のことは曉姉ぇと呼んでくれないのかしら?」
「あ、あぁ……あ、うぅ……うああぁぁぁ……ッ!」
「えッ!? な、なんで泣くのよ!?」
膝に手を付き千紗に視線を合わせてその頬を突く曉燕。
すると千紗の両目に大粒の涙が溢れ出て泣き出してしまう。
「ははッ! こいつ今、他人の優しさ過敏症状態だからさほどほどにしとかないとなんだよ」
「あ、あぁ……そういうことですか。フフッ、辛かったわね、千紗。でも、もう大丈夫よ」
「それより、もうすぐ出発なんだからあんまり機体を壊すなよ?」
「その件に関してはご心配には及びません」
千紗の事情を理解してもう一度その頭を撫でていた曉燕が小脇に挟んでいたタブレットを操作すると、至る所に穿たれた穴やヒビ割れが損傷の内側から同色の泡を沸き立たせて見る見る内に破損部を修復して元通りにしていく。
「この〝ルシファー〟には修復用のナノマシン培養槽があり、一度フル充填しておけば駆動部を除いた部分は機体の半分以上を八割の強度で修復出来る余力があります。これくらいの損傷であれば何の問題もありません」
「そんな機能まであったのか。そういえばこの前の戦闘でも外部が結構やられたはずなのにすぐに直ってたか。なら大丈夫か。さて、じゃあそろそろ……」
司が千紗の背中を押す。
一度司を見る涙目の千紗だったが、その視線がまだ立ち尽くしたままの七緒の方へ向く。
「ち、千……紗……」
ロッドを手放してフラフラとこちらへ歩み寄って来る七緒。
別に長い間離れ離れになっていた訳ではなく、何ならほんの数時間前も顔を合わせていて大して感情を揺さぶられることは何もないはず。しかし、彼女達の中では違う様だ。デーヴァとしての行き過ぎた正義に狂っていた感覚から解き放たれたか否か、見た目に変化が出る訳でなくとも彼女達には通じ合うモノがあるのかもしれない。
「ち、千紗ぁッ!!」
「あッ、あぁッ! あッ! な……七ぁ……七姉ぇぇぇッッッ!!!」
足を縺れさせて駆け寄り、膝立ちで滑る様に千紗を抱き締める七緒。
その目には千紗と同じく涙が溢れていた。
「千紗ぁッ! 千紗ぁぁッ!! 目が覚めたのねッ!? あなたもッ! あなたもやっと目が覚めてくれたのねッ!!」
「あああああああぁぁぁッッ!! あああぁぁぁッ!! なッ、七ぁッ! あああああぁぁぁッッ!! あああああああああああぁぁぁぁッッ!!!」
曉燕に撫でられただけでもダメだったのに、千紗がもっとも敬愛する義姉との和解はもう満足に言葉すら続けれなくさせていた。
(……大げさだな、全く)
傍から見る分にはどうにも苦笑してしまう。しかし、当人達にとってはこの上な関係修復なのだろうから邪魔するのも野暮というモノ。司は曉燕に指示してぐったり倒れている美紗都と円を彼女の能力で分身体を作り回収させ、夜空にも合図してしばらく二人だけにしてやることにした。そして、格納庫の戸を閉めると曉燕がソッと身を寄せて来た。
「司様……私、あなた様の従僕になれて本当に光栄です」
かつて殺意を向けて来た相手にも慈悲をくれてやったことを言っているのだろうか?
もしそうなら、司としては少々買い被りが過ぎている気がして素直にその称賛を受け取ることに抵抗を感じる。
「別に大したことじゃねぇだろ? その代わり今後命懸けで同胞と戦わせるんだから、善行悪行で言えば全然悪行寄りじゃないか?」
「はい、本当にズルい……。こんなの、もうあなた様の命令なら私達はどんなことにも従いたくなってしまいますぅ……」
うっとりと腕に縋り肩に頬を乗せて来る曉燕。隣でポカンと呆ける夜空の視線は少々居た堪れないが、確かに悪い気はしない。ただ同時に、復讐を掲げていたはずの自分としてはいささか甘いのではないかとも思う。しかし、さらに解釈を進めると……。
(まぁ、これはこれである意味小気味良い意趣返しではあるか。どちらが正しいか……少なくとも結果が伴って来てる。次で一気に流れを変えてやる)
次……それはいよいよこれまで受け身であったこちらが、時元を渡り未来側へ本格的な攻勢を仕掛ける数時間後に迫る良善の作戦。千紗も戦力に見込める様になった。自分の能力に対する理解度も深まった。あとは……。
「美紗都、円……七緒とのトレーニングはどうだったんだ? 何か掴む物はあったか?」
曉燕の分身に担がれる美紗都と円を覗き込む司。
まだ少し朦朧としている様だが、その声掛けに二人はどうにか顔を上げた。
「あ、あはは……まぁ、何となく……か、辛うじて無駄じゃなかったってとこかな? ただ、七緒ってば全然容赦無くて、自信は全く育ってないけど……」
「私も、美紗都と同じ……かな? 能力を使うっていう感覚は分かって来て色々試してみたけど、ことごとく返り討ちだよ……」
悔しがるのも烏滸がましい力の差を感じたのか、疲れた笑みで笑う美紗都と円。
しかし、それは仕方の無いことだ。美紗都もまだ場の流れで数回戦闘に参加した程度だし、円に至ってはそれまでただの殴り合いだって大して縁がなかっただろうはずなのに、それをいきなり異能の力でやってみろと言っても無茶ぶりが過ぎる。
しかし、それでも本人の口から『無駄ではなかった』という言葉がである辺り、やはり司よりもバージョンアップしている〝D・E〟を持つこの二人には確かな伸び代がある様に思える。今の自分があるからと言ってこの二人に自分と同じ死にかけるくらいの強引な強化を勧める気にはなれない。とりあえず今は最低限自分の身を守れるくらいになってくれたら十分だと司は考えていた。
「ところで、円……ツカサはどうしたんだ?」
「え? あぁ……うん、ツカサなら――」
――トントンッ!
「えッ!?」
不意に肩を叩かれ、いきなり隣に気配を感じて振り向く司。
しかしそこには誰もいない。気のせいなどではない確かな感触があったのにと首を傾げていると、円がクスクスと笑う。
「ツカサはちゃんといるよ。って言うか、今は丁度あんたの……あ、んんッ! 今は丁度司様の隣に並んでる。私が疲れてるから今はすごーく薄まってくれてるの」
「と、隣……は? おいおいマジか?」
円に言われて自分の真横に目を凝らしてみるが、全くその気配は掴めない。
ただ、軽く手を差し出してみると、ポンッと軽いタッチの感触が返って来てその瞬間だけ微かに気配を感じたが、またすぐに何も感じ取れなくなってしまった。
「マジだ……外骨格の気配すら感じないぞ? え、いやちょっと待て。これって滅茶苦茶凄いんじゃないか? 使い方によっては暗殺不意打ちやりたい放題じゃないか?」
感嘆して曉燕を見る司。
しかし、そんな司の意見に曉燕が困った様に苦笑する。
「えぇ、実は私も円のこの才には正直驚きました。ただ、ツカサがこの状態になると円からはほんの二~三mも離れられないみたいなのです。恐らく円からツカサへの外骨格供給量に関係しているのではないかと思われます」
「供給量……そうか、さっき肩を叩いたり手にタッチして来た時には一瞬気配を感じ取れたのは、その分だけ円からナノマシンの供給量が増えてツカサの身体の密度が増したからか。でも、黙ってジッとしてれば完全に分からないな……この手法は結構有効だぞ、円。固有能力とは違って単なる練度の問題だろ? 固有能力と合わせて鍛えてみろよ」
「あ……う、うん。ありがと、司様。……頑張る」
ポッと顔を染めてモジモジと視線を逸らす円。どうやら七緒に意義を持って削られた自尊心はほんの少し回復したらしい。そして……。
「み、美紗都様! 美紗都様も強くなったんですか?」
夜空が垂れ下がる美紗都の手を掴んで期待に満ちた眼差しを向ける。
一応、今後は専属の従者となる夜空に格好悪い所を見せたくはない美紗都だが、その煮え切らない表情を見る限り、円ほど目に見えて変わった点は特になかった様だ。
「うぅ……まぁ、確実に〝D・E〟の操作は上手くなって来てる気はするんだけどさ」
そう言って片手を出して目に血色を宿す美紗都。
するとその掌には以前の羽虫が群れ飛んでいる様な気色の悪いモノではなく、赤い点と赤い棒がバラバラに現れて複雑に絡み合い、3Dモデルを形作るワイヤーフレームでデッサン人形のような簡素な人型が組み上がった。
「おぉ……なんだ、美紗都も能力の制御はしっかり上達してるじゃないか」
「うん、私も凄いって思った。だって美紗都、最初の内はちゃんと七緒さんと互角に戦えてたもん。私は最初から足を引っ張っちゃったもん」
元々円よりは能力の輪郭が見えて来ていた美紗都。
目新しい変化はなくとも、しっかり鍛錬の成果は出ていた。
しかし、そんな司の称賛に美紗都はイマイチ喜び切れてはいなかった。
「あ、いや……正直言うと、円がどうこうじゃないの。確かに今までよりは意識して能力で戦えてる感じはして、最初は『あれ? 結構行ける?』って思ったんだけど、七緒が『じゃあもう少しギアを上げますね?』って言って来た途端、もうそこからは完全に突き放されちゃった。単純な追いかけっこならむしろ勝ってたくらいだったのに、気付いたら後ろに回り込まれてたり、バシバシ攻撃されたり、必死に反撃しても掠らせることすら出来ない上に余裕で間合い取られちゃうし……」
「うん……もうなんだか、私達の一秒と七緒さんの一秒が全然違うみたいな感じだった……」
しょぼんと落ち込む美紗都と円。
それを聞いて司はかつて自分が本気で七緒と戦った時のことを思い返す。
(七緒って、別にスピードで相手を翻弄するタイプじゃないよな? 現にこいつらも今の時点で『追いかけっこならむしろ勝ってた』って言うくらいだし……となると)
口元に手を当て思案する司。
もしここに能力に目覚める前の彼を知る者がいれば、その精悍な顔付きはまるで別人に見えただろう。
「お前らの〝D・E〟は七緒どころか俺のより最新版だ。つまり出力やスペック的には上のはず。それでも七緒に付いて行けなかったってのは、単純に読みとかパターンとかそういう戦闘経験不足でやられてただけなんじゃないか? 特にあいつの能力はその辺が本領なとこあるし……」
実際に模擬戦を見ていればもっと適切に推測出来ていたかもしれない。
あくまで想像であり、司は曉燕に意見を尋ねる様に視線を向ける。
「えぇ、実際に見ていた私もおおよそその様な見解です。そして、それと同時に七緒の指導力には舌を巻きました。……お二人とも、七緒が攻撃をする際に狙う場所がお二人が〝D・E〟の巡らせが鈍い部分であるとお気付きになられていましたか?」
「え? な、何それ……私も円も全力で動いて攻撃してたのに、七緒ってばそんな縛りプレイしてたの?」
「ま、まさか……七緒さんの攻撃って『ここがダメ!』って教えるように叩いていた様なモノってこと?」
「その通りです。七緒は温度を視認することが出来ますから、筋肉の収縮など人体の起こりで相手の動きを先読み出来ますし、ナノマシンの分布から能力の発現も予測が立てられる。そして、それらの情報を瞬時にまとめて自分の対処を組み立てる頭もある。規格外の力を持つ相手には流石に決定打に欠けて押し負けることもありますが、並の者では触れることさえ難しい。私が在籍していた頃から戸鐫絵里に続く【修正者】四代目大隊長候補に名前が挙がっていた実力は決して伊達ではないのですよ」
優秀な後輩を自慢するように笑みを浮かべる曉燕。
「つまりお前らは鍛冶屋が刀を鍛えるみたいに色んな方向からカンカン叩き回されてたって訳だ。七緒に任せたのは正解だったな。ボロボロに叩きのめされた様だけど、結果的には能力をより上手く扱うコツみたいのは掴めたんだろ?」
「あ、あはは……まぁ、確かに。円? 私達、もっと頑張らないとダメっぽいね」
「はぁ……そうだね。私達だってお荷物になるためにここへ来た訳じゃないんだもん」
美紗都と円は曉燕の分身から降りて自分の足で立ち、円は少し息を整えてグッと肩に力を籠めると、司の隣で不可視になっていたツカサが姿を現す。
『ん!? お、おい……円、無理しなくていいんだぞ?』
「いいの! それと……――んッ!」
ツカサの気遣いを突っぱね、円はさらにツカサに集中し始める。するとツカサの身体の造形が徐々に変化し始め、まだ所々不出来だった各部の関節がかなり自然でまともな人間っぽくなり、服装にも変化していく。
「お? 〝D・E〟の巡らせ方に無駄が減ってイメージが上手く形になる様になって来…………ん?」
円が眉間に皺を寄せながら再構成したツカサは、どういう訳かまるで執事の様なタキシード姿に変わる。
しかも、何故か少し髪が伸び、その服装も黒い手袋に燕尾服の様な長い裾など、執事の詳しい造形など知らない司だが、どうにも本物の厳格っぽい雰囲気よりはコスプレ感がある。
『あ、あの……円? 大分人間の時の感覚に近くて凄くいい感じではあるんだけど、この格好は……何?』
「ふぅ……――あッ! うわ、ヤバ……思ってたより……良い」
力を抜き目を開けた円は、変化した自分の彼氏を見て両手で口元を覆いボソッと呟く。
ツカサと司、さらに曉燕と夜空は頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げる。しかし……。
「……ねぇ、ツカサ。円に向かって『お嬢、待たせたな』って言ってみて。あ、前髪掻き上げながらね」
何故か目を細め神妙な面持ちでツカサに声を掛ける美紗都。その横でバッと円が目を見開いて美紗都へ振り向く。
『え? な、何なの? えっと…………〝お嬢、待たせたな〟?』
「「はぅッ!?」」
ツカサが美紗都のリクエストに応えると、言わせた当の美紗都と円は手で顔を覆いそっぽを向く。
「ヤッバ……円! あんたも〝執天〟好きだったのッ!? いいじゃんいいじゃん! 完璧に碧落クンじゃん!」
「だよねだよね! 前々からなんとなく雰囲気は近いと思ってたの! うわぁ……私の彼氏がウルトラレアぁ……」
「おい、なんなんだ……あいつら?」
ツカサを囲んで妙に盛り上がる美紗都と円。この二人の関係が良好なのは司にとっても好ましい限りだ。足りない経験をサポートし合って補ってくれたら司も自分の戦闘に集中出来る。しかし、どうもその仲の深まり方が変な方向に向いている気がする。
すると、曉燕がタブレットで二人の会話に出て来る単語を検索し始める。
「執天……碧落……あぁ、なるほど。『執事天国~欲望ついでに世界救済~』司様達の時代で十代から二十代の女性に絶大な支持を受けているアプリゲームですね。プレイヤーはとある異世界の貴族家に転生した夢女子で、異能な力を持つ男性達と絆を深めて主従の誓いを交わして執事にし、集めた執事同士を……か、掛け合わせて……さらに強力な執事を生み出し、その世界の支配を目論む魔物と戦うという内容の様です。……思いっきりBLですね」
「…………」
ほんのり頬を染めてタブレットを仕舞う曉燕と、頭を抱える司。
夜空は『ビーエルって何ですか?』と、司と曉燕の腕を引っ張るが、二人は意図的に無視した。
ただ……。
(あれ? こいつら……さっきまでボロボロだったのに、もう傷一つ残ってない。おまけにあんなにピョンピョン飛び跳ねてやがる……マジで〝D・E〟の質が上がってる?)
盛り上がる内容はともかく、美紗都と円にはもう殆どダメージが残っていない。
そのことに司が目を丸くしていると、傍らでしつこくBLについて尋ねて来る夜空を彼女のために無視する曉燕が囁き掛けて来た。
「……お気付きになられましたか、司様。やはり七緒に任せて正解でした。感覚や加減という言葉だけではどうしても漠然とした認識になるモノを生体反応を読んで正確に掴みピンポイントに指導。私から見ても今の二人の〝D・E〟はとても安定して以前より格段に漲って見えます。2人のここからの伸びはかなり早いかと……」
「へぇ……フフッ、それは楽しみだ。いいじゃないか……着実に戦力が整っていく。今度はいよいよこっちから攻勢だ。お前も頼むぜ、曉燕」
「はい、全身全霊で司様のご期待に応える所存です」
ほくそ笑む司に恭しく頭を下げる曉燕。
すると、そんな司の片手にふと触れる感触があった。
「あ、あの……司様。私はどうすれば……」
どうやら一旦知らなくてもいい知識に関しては諦めてくれたらしい夜空。
ただ今度は、彼女自身ここへ来た理由の方で司に尋ねて来る。
司は膝を屈めて夜空と視線を合わせ、その頭に手を置く。
「あぁ、そうだな。夜空にも戦う理由があるもんな。ただ、それに関しては良善さんに聞くしかないんだが……あの人、なんかまたロクでもないこと考えてるみたいなんだよな」
妙にソワソワしていた良善……そんなの何か良からぬことが始まる確定演出みたいなモノだ。
「あのお方が何かしようとしているなら……あ、あまり関わらない方が無難ですね」
「だろ? ただ、せめて夜空にもある程度戦える力の準備はしてやりたいんだが……」
司と曉燕が夜空を挟んで困り顔を浮かべる。
すると、そこで……。
――ヴゥン。
「閣下、ここにおられましたか。首領様より〝Answers,Twelve〟席位に召集が掛けられました。ブリッジまでご足労を頂きたく存じます」
床からせり上がる様に現れたルーが胸に手を添え片膝を付いて畏まる。
ルーツィアの配下で初めて会った時から一貫して敬ってくれてはいたが、司が〝Answers,Twelve〟の副首領となり、いよいよその接し方は王様と家臣の様な様相にまでなって来ていた。
「良善さんが召集? 出発は明朝って……」
首を傾げる司に曉燕がサッとタブレットの時計を掲げ見せる。
確かにもうすでに日付は変わっているが、いくら何でもまだ明朝と言うより深夜の時間帯。
しかし、首領が呼んでいるなら仕方ない。司は熱く語り合う美紗都と円の頭をはたいて目を覚まさせ、先に消えようとするルーを摘まみ上げてずっと抱っこしたそうにしていた夜空に渡し、同じくもう一人のルーに呼ばれて格納庫から出て来るベタベタと抱き着き合い歩いて来る七緒と千紗も引き連れて、全員でブリッジへと向かった…………。
「フフッ……こうして見ると、新生〝Answers,Twelve〟の新入りは先輩達を差し置いて従者連れが多いな」
〝ルシファー〟のブリッジにある〝Answers,Twelve〟の会談スペース。
そこで首領席から各面々を眺める良善は、別に怒っている訳ではなくむしろ面白おかしくクスクスと肩を揺らしてほくそ笑む。
確かに言われてみれば、七緒には千紗、美紗都には夜空、円にはツカサと、なんだか少しだけ格式高く見える感じもした。
「そうよね~。私も後ろに誰か立たせたいなぁ~……ルーツィア、あんた試しに私の後ろに立ってみてよ?」
「は? ふざけるな小娘。博……首領様や司様ならいざ知らず、何故私が貴様如きの後塵を被らねばならない。貴様こそ私の後ろに控えろ。少しは凛々しく見えるかもしれんぞ? 席位も私の方が上なのだからな」
「はぁ? 実力で決まった三位と四位じゃないって、良善さんが言って――」
「あぁ~~やめやめ! ケンカすんなお前ら!」
良善の向かいにある副首領席の司が一喝して紗々羅とルーツィアを黙らせる。
その姿に良善がうんうんと満足げに頷く。
「手綱はしっかり握れている様だ。……さて、諸君。告知していた予定より早めに集まって貰った訳だが、三つの理由から少々出発を早めたいと思っている。まずはその内の一つの理由を済ませよう。夜空嬢……こちらへ来なさい」
「え? あ、はい!」
美紗都の後ろからトコトコと駆け出して良善の隣まで行く夜空。
すると良善はピンク色のカプセル剤が封入された薬袋を夜空に手渡す。
「思ったより早くこの側流世界と決別したね。改めて歓迎しよう夜空嬢。そして、正式に美紗都の従者となった記念に君にも力を与える。バージョン的には円嬢と同型だが、飲みやすい様にイチゴ味にしておいてあげたよ」
「むぅ……わ、私……そこまで子どもじゃないです」
ムスッと頬を膨らませる夜空。
ただ、その反応自体が少々子ども染みていて周囲の苦笑を誘う。
「おっと、それは失礼。この話し合いが済んだら飲みなさい。美紗都、この子がこれを飲んでも司の様に血塗れになったり君の様に数日昏倒することはないはずだが、服用後小一時間は様子を見てあげなさい」
「わ、分かりました」
「よくよく考えたら俺と美紗都の時のバージョンって相当酷いよな。臨床試験不足ってヤツじゃないか?」
「心外だぞ。特に君の場合は自業自得だったではないか」
夜空を美紗都の下へ帰らせつつ、正面に座る司の愚痴を跳ね返す良善。
そして話はもう一つの理由に題目が変わる。
「次にもう一つの理由だが、こちらは単純に夜空嬢の家庭事情と私の個人的用事が思いの他早く片付いたから、皆の意見を聞き問題が無ければ、もうこの側流世界に用は無いし出発を早めようと思ったのだよ。少々急いだ方が良さそうな事態も起きていてね」
良善の個人的用事……。
恐らくそれが司との会話を途中で切り上げた件だろう。
ただ、それにプラスして最後のが出発を早める一番の理由である様だ。
「俺は別に構わない。七緒、稽古を付けたお前の目から見て、美紗都と円はどうだ? もう少しギリギリまで稽古を付けた方が良さそうか?」
腕を組み七緒を見る司。
まだまだ役職に見た目の威厳が追い付いてはいないが、多少この場の№Ⅱ感は出て来ている。
「はい、欲を言えばもうしばらく訓練を積みたい所ではありますが訓練は所詮訓練の域を出ません。百日の訓練は半日の実戦にも劣ります。能力の相性から見て有事の際には美紗都に私が、円には曉燕がそれぞれサポートに入る手筈さえ整えておけば、二人を実戦投入するべきと進言致します」
「おぉ……だってさ。美紗都、円……やれるか?」
「「やる」」
「オッケー。ツカサ……頼むぞ?」
『あぁ、全力を尽くす』
「曉燕、円とツカサを任せる」
「请交给我」
「夜空、お前は無理すんな。本当に美紗都の従者を任されたいなら今回はお勉強がメインだ。千紗、しっかりサポートしろ」
「「はいッ!!」」
「いい返事だ。紗々羅とルーツィアは……聞くまでも無いだろ?」
「もちろん♪」
「無論です」
「よし……という訳だ、良善さん。さっさと行こう。いい加減俺も後手ばかりでうんざりしてんだ」
配下の意見をまとめて真っすぐに首領を見つめ返す司。
弟子の成長に良善もまんざらではない顔をしている。
ただ……。
「うむ、日増しに仕上がる君にこちらも期待が尽きない。だが、それ故に今回の新たな問題は率直に申し訳なく思う。私の監督不行き届きだ」
「え? 良善さんの……か、監督不行き?」
一言ではイマイチ要領を得ない。
ただ、片手で頭を抱えて項垂れるという良善らしからぬ態度に、司だけでなく他の者達の顔にも不安の色が浮かぶ。そして、良善は言いにくそうにしながらも一度大きくため息をついて話を切り出した。
「先ほど念のため再度確認したのだが、我々から逃げた〝ロータス〟の残党と未来側から新たな〝ロータス〟の部隊が2308年の本流世界に向かっていた。まぁ、そのことは別にいい。ただ、それを察知したのか2300年の辺りで自動航行させていた〝イオフィエル〟が後を追う様に2308年の本流世界に向かってしまっている。恐らく〝イオフィエル〟の中に閉じ込めておいた私の娘が操舵プロテクトを解除したのだろう。あの娘に破られることはないと踏んでいたのだが、目論見が外れてしまった」
「「「…………………………………………」」」
良善は背もたれに仰け反り『間違いなく面倒なことになる』とボヤく。
確かに〝ロータス〟の部隊が向かっているのは厄介な話だ。
しかし、確かに今はそんなことはどうでもいい。
「…………あ、あのさ、良善さん? 聞き間違いかもしれないけど、今……私の娘って言った? あぁ、いや! もしかして、良善さんが作って愛着さえ持てるくらい良い出来の人工知能とかの話かな?」
開いた口が塞がらないまま硬直する面々を代表して司が引きつった顔で尋ねる。
それに対して良善は仰け反り目元を片手で覆ったまま返事をする。
「いいや、正真正銘私と血が繋がっている生物学上ちゃんと人間の娘だよ。名前は――良善真理愛。頭は悪くないが、ガサツで無鉄砲で享楽家。正直、私より達真の娘と言った方がしっくり来る質の悪いトラブルメーカーだ」
「………………………………………………すぅ」
どこから突っ込めばいいだろうか?
司は師匠と同じく仰け反り、とりあえず数秒後に絶叫してやろうと大きく息を吸い込んだ…………。




