scene2-1 精魂尽き果てて 前編
次話は翌00:00に投稿します。
プレハブ小屋から一番近い校舎の廊下。
すでに昼休みは終わり、講義が始まった長い廊下に人の気配は無く、司にとっては幸いなことだった。
「うぇッ!? あッ……ぁッ……うぷッ!? うげッッ!?」
衝撃的な現場から逃げ出して来た司は、足をもつれさせながら近くのトイレへ駆け込もうとしたが、込み上げる吐き気に耐え切れず途中の廊下で壁に身体を預けて激しく嘔吐いていた。
「げはッ! かッ!? ハァ! ハァ! なんだ!? なんだよ、あれ……――おぇッ!? お、俺を……殺す? と、父さんを……殺した?」
――御縁晶。
覚えがある。
それは司が保護施設から厄介払いされた時、あれよあれよという間に渡された身分証明関係の書類の中にあった自分の出生届。その書類の父親の欄には、確かにその文字が書き記されていた。
「なんだよ……え? だって、もう十年以上前で…………会長だって、あのチビだって、当時ならまだ子ど…………」
〝未来から来た〟
ふざけた馬鹿話だ。
だが、七緖が司の父親の名前を知っていていたことや、そんな極めてデリケートな話を当事者目線で語っていたことを加味して、実は七緖が十歳そこそこで大の大人を殺せる暗殺者だったとしたらそれもありうるか?
しかし、そんな仮説を立ててしまえば、もう未来から来たという絵空事と妄想の度合いは大差ない。
「ハァ……ハァ……ハッ! ば、馬鹿かッ! そんな常識外れなこと、ある訳が……」
〝何者だ貴様……〝現地協力員〟か?〟
「…………」
司の知る常識では、人は数mはあろうかという距離を目にも写らぬ一瞬の内に移動してコンクリートの壁を蹴り貫けるのか?
今朝の登校時にも見た階段横のクレーター。
司の知る常識など、もう何の説得力も保ってはいなかった。
「ダ、ダメだ……何も、分かんない……」
視界が回り強烈な吐き気はまるで収まる気配が無い。
本格的に不味い……意識が混濁して来た司は、講義中で人気の少ない今の内に帰宅することにしたが……。
――カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
「奏ぇぇッッ!!」
「――ッッ!?」
廊下の先を猛スピードで真弥が横切って行った。
司は慌てて壁の柱に隠れたが、どうやら真弥には廊下の先に立っていた奏しか見えていなかったらしい。
「真弥ちゃんッ! メール見たッ!? 和君が私のこと! 〝僕の奏〟だって!」
「見た見たッ! 私のことも〝僕の真弥〟だってッ! きゃあああ~~ッ!!!」
先ほどの会話にも何故か出てきた二人。
司がこの世でもっとも〝いい人〟だと思えていた二人。
先ほどの会話をまだ一言一句覚えていながら、この期に及んでまだ誤解だと縋ろうとしていた司は壁の影から二人の様子を覗き込む。
廊下の真ん中で両手を握り合いぴょんぴょんと飛び跳ねている奏と真弥。
本気で喜んでいるらしく、講義中で一応は抑えているつもりだろうが次第に声が大きくなっていた。
ただ、そこで唐突に顔を赤らめて飛び跳ねていた奏が急に俯き涙ぐみ始める。
「う、嬉しい……こ、こんな……こんな私達を……和君、本当に愛してくれ……て……う、うわあぁ……ッ!」
ボロボロと泣き出す奏。
何か特殊な事情があるのか、その泣き顔にはどこか本当に心から救われた様な万感の思いが伺える。
「もぉ……奏? それ言うと和成が怒るよ? ほら、七緖達が今、校舎端のプレハブ小屋にいるって! 早く行こ!」
そんな奏を見て真弥は困った様に眉を寄せるが、彼女も自分の目元を拭いながら奏の頭を撫でていた。
「うん! あ、そうだ……あのゴミカスに連絡しとかなきゃ!」
「あぁ~そうよね!「ヨダレ垂らして楽しみにしてた初デート……やっぱ無し!」ってね」
「…………」
誰のことだろう?
司の中の精神防御が無意識に誤魔化そうとする。
だが、そんな苦し紛れは一秒と保たず、司は経験したことも無いのに胸へ刃物を突き立てられた様な幻痛を感じた。
「って言うかさ、フツー断れって話よね? なんであんな根暗なキモ男が女の子二人とデート出来ると思えるのかしら? マジで無いわ……」
「あはは……まさか私も受けるとは思わなかったから、あの時は鳥肌を隠すの必死で……あぁもう、連絡するのも気持ち悪い! 別に無視でもいいよね? 勝手に待ち呆けさせておけばいいわ! それより早く行こうよ、真弥ちゃん!」
「うん! でも、代わりにあいつを殺す別の計画も考えないとね。断末魔の悲鳴聞くのも気色悪いし、どっかの工場にでも呼び出して鉄骨で捻り潰す?」
「えぇ……私は出来るだけ長く苦しんでるところ眺めたいかな。びーびーみっともなく泣きながら一人寂しく無様に死ねばいいんだよ、あんな奴!」
晴れやかな笑みを浮かべて並んで歩き去る二人。
それは紛れもなく司が心の拠り所にしていた太陽の様な笑み。
いや、司がこれまで見てきたどんな笑みよりも、まるで段違いな本当の清々しげな笑顔だった。
「…………」
ズルズルと背中を壁に滑らせて座り込む司。
不思議と吐き気は収まった。
代わりに……。
「はッ、はは……ほ、ほらな? 期待するだけ……き、傷付く……だけ、で……」
立てた膝に肩を掛ける様に項垂れて床を見詰め呟く司。
悲しいとか悔しいとか、そういう次元を通り越すと人は笑うんだと司は初めて知った。
「うわぁ……何あいつ?」
「ダメだって、目合わせるなよ……」
たまたま講義の無い合間時間だったのだろうか?
司の目の前を男女の学生が横切り、引き笑う司を気持ち悪そうに横目で盗み見て足早に横切って行く。
見たければ見ろ……こんなに無様で生きる意味の無いゴミクズが、まともな人生を歩む人様の娯楽になれるならもはや名誉なことだ。
(もう、いい……もういいよ。未来とか知らねぇよ)
完全に自暴自棄になる司は、すでに頭の中で「どうすれば、苦しまず楽になれるか?」という自らの幕引きまでよぎり始めるが、それは決して大げさな話ではなかった。
これはただの失恋などではない。
司にとってあの二人や和成の存在は、他者の善意を信じるための掛け替えの無い指標だった。
しかし、その本心は禍々しいほどにどす黒い敵意を宿していた。
「あははッ! すげぇな……え? お、俺……そんなに嫌われてたの? ははは……あ、あははは…………」
一体どうすれば学校でたまに喋ったり、メッセージのやり取りをしたり、同じバイトで他愛なく雑談したりする程度の関係で殺したいほど嫌われることが出来たのか?
全く理解出来ない……いや、もう理解したくもない。
「もういい……やめよう。こんな……こんな思いを抱えて生きてたくなんて――」
――コツ……コツ……コツ…………カンッ!
俯く司の歪んだ視界の上部に、高そうなブランドモノの靴の爪先が止まる。
なんだ? 見るのはいいが声は掛けないでくれ。
司はさらに俯いて、視界からその爪先を外す。
「聞くのと見るのとでは大違いだな。彼女達があそこまでする理由は知っているが、それを今の君にまで当てはめるとは……惨い話だ」
「えッ!?」
低い渋みのある声。
良く覚えている。
何せ、つい昨日聞いたばかりだ。
「あ……ぁあ…………」
司の顔が勝手に上がる。
そこには、得体の知れない不気味な男――良善が立っていた。
昨夜もそうだったが、この初夏の日中に暑苦しいコートを羽織り帽子まで被りながらも汗一つかいておらず、良善は司に手を差し伸べていた。
「途中からずっと見てたんだが、割って入らずすまなかった。君には自分の目と耳で認識して貰う必要があったんだ。我々から言った所で信じて貰えるはずはなかったからね。……どうだい? 昨日の話は一旦置いて、少し私と話をしないか?」
「…………」
真っ暗闇の中に一本の糸。
それは穢れた瘴気を放ち、触れればたちどころに全身を蝕む毒糸。
何時切れるかも分からず、伸びる先に何があり、どこへ続いているかも分からない。
もしかしたらこの男はそんな糸に開いた鋏を添えて、司が掴まりある程度登ってくるのを笑みを堪えて待っているかもしれない。
しかし、司の心には一つの結論がすぐに導き出される。
〝ここ以外なら、もう別に……どこでもいいんじゃないか?〟
気付けば司は差し出されていた良善の手を握り返していた…………。
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峪房四季 @nastyheroine