sceneM-5 知らなかった事実
次の投稿は、来年1/30前後を予定しております。
また間が空いてしまいますが、今後もお付き合い頂けると嬉しいです。
それでは皆さん、良いお年を!
「千紗ぁッ!! あんた、どうして……――ぐッ! 良善正志ッ! 千紗に何をしたッ!?」
真弥の声に覇気が戻る。
司に気圧されておいて、その司より格上である良善に食って掛かるのは矛盾している様に見えるが、大事な義妹が目の前にいるとなれば大人しく縮こまってなどいられない。
しかし……。
「真弥姉ぇ、やめてよ。良善様は千紗の命の恩人なの。良善様の気分が悪くなる様なこと……言わないで」
「…………は?」
丈が長過ぎて指先しか見えない白衣の袖で良善の片腕を掴む千紗。
虚ろ顔でどこか調子が悪そうな感じで語るその言葉は、全デーヴァの琴線に触れる衝撃の一言。
無論、真弥の導火線に火を付けるにも十分な威力があった。
「千紗ッ! 伏せてなさいッ!!」
完全に戦闘の顔が戻る真弥。
はめられていた両手の枷は対デーヴァ用なのか不可解な強度と体内ナノマシン制御に狂いを与えて来るが、真弥はその狂いを出力で強引にカバーし、普段の半分以下の脇差程度ではあるがどうにか外骨格の刀を構築して一息に距離を詰め、良善の胴へその切っ先を突き向ける……が。
「はぁ……君もかい? さっきの司と言い、人はどうしてこうも自分の根幹に関わると他人の話を聞かなくなるのかね?」
「――ぐッッ!?」
刃を突き向け全体重と狂いを加味した出力での生体電流の加速を込めた一撃。
だが、それを良善は軽く握った拳の指間に切っ先を挟むだけで、一瞬にして全てのエネルギーがゼロにしたかの様に止めてしまう。
「大切な義妹が今説明しただろう? 私はこの子の命の恩人だよ? それを問答無用で殺しに来るとはどういう了見だい? まぁ、その手枷が持つデーヴァの能力を減衰させる効果を持ってしてもここまで出来る君の超集中はなかなかいいモノを見せて貰えたと思えたがね」
「だ、黙れッ!! 何が命の恩人よッ! 諸悪の根源が偉そうにぃッ! ――くッ! うぐぐッ!!」
大して力を入れている様には見えないのに良善の拳に止められた刃はまるでコンクリート壁に突き刺したかと思えるほど微動だにせず、真弥がどんなに暴れてもまるで動かせなかった。
ただ、そこで戦闘慣れした真弥は余計に粘ることはせず、あっさり自分から手を放して後退。
再度無理矢理外骨格を構成して再び良善に切り掛かろうとするが、今度千紗が良善の前に立ち両手を広げる。
「やめて、真弥姉ぇ……これ以上やるなら、千紗は真弥姉ぇに攻撃する」
「ち、千紗ぁッ!? どうしてッ! 忘れたのッ!? 私達デーヴァはみんなその男のせいで――」
「そうだよッ!! 千紗達デーヴァはみんなお互いの苦しさを知ってる仲だったッ!! なのにッ! なのに千紗はそんな仲間に裏切られたんだもんッッ!!!」
「ち、千紗……?」
身体を折り曲げ腹の底から絶叫する千紗。
そして、ゆっくり上げられたその顔には、溢れ出す涙と抑え切れない怒りが露わになっていた。
「苦しかった……ホントに……もう、死ぬって……思った。やめてって……何度も……何度も言ったのに、やめてくれなくて……千紗が泣いてるのにぃ……ヘラヘラ笑ってぇ……」
ボロボロと溢れ出す涙。
彼女の身に何が起きたのか真弥には分からない。
だが、間違いなくこの義妹はかつての地獄と同じくらいの絶望をこの数時間の間に再び味わったのだと察した。
「私から説明しよう。君達の上役に無能な研究者気取りの者がいただろう?」
「け、研究者? もしかして……悠佳さんのことを言ってるの?」
「ほぉ、そういう名前だったのか……あとでラベルに書き込んでおかないとな。まぁ、それはどうでもいい。この子はその無能によって使い捨て兵器にされていた。君もあの戦場にいたのだろうから目にしただろ? 時元戦艦クラスの巨大なエネルギー砲撃を」
確かに見た。
それが千紗のモノであることも真弥にはすぐに気付けた。
ただ、それはてっきり千紗が〝D・E〟でパワーアップした力を無理して使っているだけだと思っていた。
「あれは実にお粗末だった。研究段階ならいざ知らず、実際の現場で優秀な素体を一つ潰すことを前提にした人体実験。己の研鑽の未熟さを恥ずかしげも無く白日に晒すなど言語道断。流石の私もこの子には同情した。だから私は提案したのだ。『〝ロータス〟に戻りたいなら今回は無条件に送り届ける』とね。ただ同時に『もう〝ロータス〟に戻りたくないなら我々に協力しないか』……この子は後者を選んだ。故に今この子はここにいる」
千紗の肩に手を置く良善。
その真新しい白衣はささやかな歓迎の品か?
そして、それに袖を通して明確に良善を守る立ち位置を取る千紗の姿には、今話した良善の説明が事実であることを物語っていた。
だが……。
「そ、そんな話……信じられる訳ないでしょッ! あんたの力なら人の意思を捻じ曲げることも容易い! 千紗に何かして従わせているんだわッ!!」
「はっはっはっ! 〝何か〟とはなんだい? 他人を疑うならそれなりに論理的な根拠を提示してくれないと困るよ。……話にならないね」
良善の目が血色に染まる。
その色味は先ほどの司に比べれば大分薄い。
相手の出力に目星を付けて、迎え撃とうとする真弥だったが、瞬時に目の前が真っ暗になってしまった。
「――ぐぶッ!?」
両手がダランと下がり上げれない。
床を踏んでいた足が浮かび、宙に固定された様に動かない。
そして、手足だけではない。
首も胴体もまるで石膏の型枠内に収められてしまったかの様に、真弥は暗闇の中で指一本動かせず固められてしまった。
「――ッ!? ――ッッ!! ッ! ――――ッッッ!?」
一体何が起きたのか真弥には全く分からなかったが、目の前にいる千紗には全てが見えていた。
「こ、これは……?」
ついさっきまで真弥が立っていた場所に突如現れた黒い円柱。
それはよく目を凝らすと僅かに透けていて、その中に棒立ちの真弥が収められている。
身体はピクリとも動いていないが、目だけは上下左右に忙しなく動いていて、真弥はその円柱の中で完全に身体の動きを封じられているのが見て取れた。
「千紗……私はこれから少し出掛けて来る。鷲峰円の蘇生プログラムはほぼ自動で進むが、バイタルを見ながらこの手順書に従い適時調整をしてくれ」
「はい、分かりまし……た。あ、あの! 真弥姉ぇに何をしたんですか? ち、千紗がちゃんと説得します! だから、真弥姉ぇに酷いことしないで!」
良善は千紗に細かく要項がまとめられた書類を一枚手渡す。
素直にそれを受け取った千紗だったが、黒柱に閉じ込められた真弥のことが気が気でなく、その顔は目を潤ませ必死に良善に懇願していた。
彼女の中ではもう完全に〝Answers,Twelve〟に対する敵意が喪失している。
それほどまでに悠佳からの仕打ちが彼女の中の価値観を崩壊させたらしい。
軽薄な心変わりとも取れる……しかし、良善は嘲笑では無く、優しい笑みで千紗の頭に手を置いた。
「心配はいらない。彼女には何もしないよ……何もね。この黒柱の中には私特製の硬化ジェルが満たされている。このジェルは接触物の温度と同温になる特性があり、彼女は今この柱の中で自分の輪郭が次第に分からなくなっていくという状況にある。……千紗は痛いのは嫌いかい?」
妙な質問をする良善。
普通の感覚から言えば、当然痛いのは嫌だ。
千紗は素直に頷く。
「そうだね……しかし、生き物とは全く何も感じないという現象には痛みよりももっと弱いんだ。しばらく観察してみるといい。あ、あくまで鷲峰円のチェックを優先するんだよ? この少女は司の大切な存在だ。君の所有権はいずれ司に譲渡するつもりでいる。彼に受け入れて貰えない場合は君を〝ロータス〟へ返品する。その辺を肝に銘じて行動したまえ」
最後にポンポンと軽く頭を叩き、良善は部屋を出て行ってしまった。
どうにも不用心。
まだ千紗が裏切る可能性もゼロではない中、残された千紗は……。
「……やだぁ。もう……あんな所、帰りたく……ない」
渡された手順書を両手に握り震える千紗は、治療カプセルの中に浮かぶ円を見上げて溢れる涙を袖で拭い、そのカプセルの根元にあるコンソールが表示する円のバイタルに見守り続ける。
そして、しばらくすると……。
「ッッッ!? ――ッッ!! ――ッッ!! ――ッッ!! ッッッッッッ!?」
背後の円柱の中で真弥の様子が明らかに変わる。
完全に動きを封じられた中、周囲の温度が自分の体温と全く同温になるということは、先ほど良善が説明した通り〝どこまでが自分の身体か分からなくなる〟という一種の自己喪失を引き起こす。
外的刺激が感じられない完全な無感は人の精神を急速に蝕み、平衡感覚や時間認識はおろか最終的には自己認識さえ破綻させる。
「――ッッ!! ――――ッッ!! ッ! ――ッッ!! ――――――」
上下左右に動いていた目が不規則に暴れ出し、身体は微動だにしていないが明らかに錯乱している様子が伺え、どうやらこの様子では内側から外側の様子は見えなくなっているらしい。
そして、次第にその目の動きさえなくなり瞳がグルッと裏返り白目を剥き始める真弥。
「真弥姉ぇ……ごめん、でも我慢して。それがどれくらい苦しいのか分かんないけど、何もされてないじゃん。だったら痛いのよりはマシだよ。真弥姉ぇも負けちゃって、千紗と一緒に〝Answers,Twelve〟に置いて貰おう? 今なら絶対〝ロータス〟なんかよりこっちの方がマシだよ」
苦しむ義姉を申し訳なさそうに見る千紗。
だが、助けようとはしない。
良善の能力で生み出された円柱だ。
自分でどうにか出来るとも思えないが、そこから出してしまうと真弥にはもっと酷い仕打ちが待っているかもしれない。
今の内に堕ちた方がいい。
大切に想っているが故に、千紗は真弥を無視して与えられた円の看病を続けた…………。
司に頼まれておきながら、ひっそり部屋を抜け出しそのまま〝ルシファー〟からさえも良善が抜け出していた頃。
丁度入れ違えに司は甲板から再び艦内へ戻り、メインブリッチの談話スペースへとやって来た。
「お、全員いたのか」
談話スペースにはルーツィア、紗々羅、美紗都……さらに負傷からある程度回復したらしい簡易服姿の曉燕と七緒が卓を囲んでお茶をしていた。
ただ、そのテーブルの上に置かれていたのが、ケトルとミキサーで点てられた抹茶に山盛りのカラフルなグミというなかなか奇抜な組み合わせで思わず司の顔に苦笑を浮かばせる。
「あ! 司様お帰り~~♪ 司様も飲む? ホイップクリームもあるから抹茶ラテっぽいのも出来るよ?」
「やめろ、紗々羅。閣下……コーヒーをご用意します。〝エアロプレス〟と〝サイフォン〟ご用意出来ますが?」
「あぁ、じゃあ……〝エアロプレス〟で頼む。味は任せるよ」
「承知しました」
立ち上がるルーツィアと入れ替わり椅子に座る司は、まず最初にプクッと頬を膨らませてそっぽを向く美紗都に目を向ける。
「あ、あの……悪い、美紗都。ほったらかしにして先に帰っちまって……」
「別に? 気にしてないですぅ~~」
「うぐッ……本当に悪かった。ごめんってば」
「美紗都? 主が詫びて下さっているというのに、従僕がその態度ではいけませんよ?」
「えぇ、それに鷲峰円のこととなれば、司様にとってはとても重要なこと。私は直かに目にしました。事情は分かりかねますが、ただただ申し訳無いとしか言いようが無い」
窘める曉燕と自分が悪いかの様に落ち込む七緒。
そこにスプレーホイップを皿に盛りグミを散らして頬張る紗々羅が合わさり、なんだかよく分からない雰囲気になるその場。
すると、一度大きくため息を吐いた美紗都が折れてコクリと頷く。
「いいですぅ……あの消えかけてた女の子のことは七緒から聞いた。司様の恋人なら……しょうがないですぅ」
ムニュッと唇を尖らせ、拗ねながらも一歩引いた様子の美紗都。
ただ、その言葉に司の顔が若干俯く。
「違うよ……あの子は俺の恋人じゃない」
肩が下がる司。
周りが首を傾げる中、ルーツィアがコーヒーを入れて戻ってきたところで、司はその一杯を飲みつつ事情の全てを五人に説明する。
「フンッ……いよいよ〝ロータス〟も大義を失いつつあるな」
「そう? 私としては元々大して自分達の正当性を維持出来てなかった様に見えてたけど?」
「……マジでふざけんなとしか言えないわね」
失笑するルーツィア、嘲笑する紗々羅。
そこに司と同様に怒りを滲ませる美紗都が合わさり曉燕と七緒が委縮する。
「元とはいえ、私達の母体がご迷惑を……」
「申し訳ありません……司様」
腰を浮かせ、司の横に跪こうとしていた曉燕と七緒だったが、司はそれを手で制する。
「いいよ、お前達のせいじゃない。そもそも、そうやって責任を感じて謝ろうとするなんて、まだ二人は〝ロータス〟側の立ち位置か?」
「――ッ!? ち、違いますッ!!」
「私達はもう司様の僕です!」
司は軽くからかう程度で言ったつもりだったが、その言葉に一度腰を戻しかけていた曉燕と七緒が司の下へ飛び掛かって来る。
「い、嫌ですッ! そんな風に思わないで下さいッ! 私達はもう違いますッ! 私達はもう司様のモノですッ!!」
「私達はもう本当に心を入れ替えてますッ! 司様のご命令なら今すぐにでも〝ロータス〟共の元へ突撃さえ辞さないですッ!!」
「わ、分かった! 冗談だ! 冗談だってば! 病み上がりでバタつくんじゃねぇよッ!!」
カップを避けて胸で顔を挟む様に抱き着いて来る二人を宥め押し退ける司。
そして、どうにか二人を席に戻し、話を改める司の顔には真剣な眼差しで自然と五人の背筋が伸びる。
「とりあえず、あの子には現状戻る場所が無い。美紗都? 俺が飛んで行っちまったあと、あの喫茶店はどうなった?」
「あぅ……それが、完全に建物が消えたあと、更地になって、地面がレンガ敷きになって木が生えたりベンチが現れたりして、なんか商店街のちょっとした休憩スペースみたいに……なっちゃってた」
「はぁ……マジであの子に関する何もかもが消えた訳かよ。となると本流世界でもどこに連れて行けばいいんだか。まぁ、とにかくこの件はみんなには関係の無い話だが、俺はとりあえずあの子が望む形をまず整えてやりたい。それで重ねてすまないんだけどさ……美紗都? 同じ現代組として、ちょっとあの子をサポートしてやってくれないか? あともちろんみんなにも。ほら、相手女の子だし……色々あるだろ?」
「うん、任せて。人生壊された者同士、分かってあげれること多いと思うし」
「閣下の結ばれる運命の内にいる者であるならば私にとっては守護対象。お任せ下さい」
「私は良く分かんないけど……まぁ、司様の頼みなら別にいいよ」
「私もです。〝ロータス〟の汚らわしい手をその子には近付けさせません」
「私は彼女と会話もしました……本当にいい子でした。もうこれ以上、酷い目になど遭わせません」
〝Answers,Twelve〟は仲良し集団ではない。
そんな組織内に関係の無い一般人を入れ込んで保護を求めるなどお門違いな話だと思っていたが、五人は快く受け入れてくれた。
「ありがと、助かるよ……」
椅子の背もたれに身体を預けて司はホッと安堵する。
ただ、少し雰囲気を変えて今度はルーツィアが別の議題を提示して来る。
「ところで閣下。先の側流世界からの離脱の際に捕まえて来たデーヴァの処遇は如何されるおつもりで? 拷問して屈服させ、曉燕や七緒の様に閣下の駒とするならば、私の方で対処しますが?」
ルーツィアの言葉にハッとして司の方を見る曉燕と七緒。
その視線に司は忌々しそうに顔をしかめる。
「綴真弥だよ……正直、俺は気に入らない。どうするべきか決めかねてる」
「真弥……――うッ! 司様! 真弥の件は私に任せて頂けませんかッ!? 私が必ず改心させます! あの子にも私と同じく司様に贖罪する責任があります」
「私もサポートします。それに、綴真弥はまだ伸び代のあるデーヴァ。さらに鍛えればきっと司様の駒として役に立つはずです!」
身を乗り出して担当を申し出る七緒と曉燕。
二人に任せてその後どうなるかは分からないが、申し出てくれたのなら任せてみるのも手かと思った。
「分かった……任せる。ただ、もうあいつにはどうこうわざわざ考えるのも億劫なんだ。やり方はそっちで考えてくれ」
「「はいッ!!」」
声を揃える二人。
とりあえず、身の周りの整えは済んだ。
司は改めてコーヒーに口を付けてから、ふと天井を見上げる。
(次の戦闘はどうなるんだ? 達真と良善さんが決めるんだろうけど……出来ればさっさと始めてくれると有難いな)
身体の中でドクンと血の流れが加速する。
もういい加減〝ロータス〟の偽善に付き合うのはうんざりだ。
今回は取りこぼしたが、次こそ完膚なきまでに叩きのめしてやる。
今ものうのうと奴らが〝自分達は正しい!〟と思い込んでいるかと思うと反吐が出る。
(今度こそ分からせてやる。お前らには正義だ悪だと語るほどの立場も無いことを……)
決意を一段上げる司。
そして、再びコーヒーに口を付けると、山盛りのホイップクリームが鼻に当たり、司はコーヒーはテーブルに乗り上げた紗々羅の手でウィンナコーヒーにされていて、悪党の談話らしからぬふざけた空気がその場に広がっていた…………。
夜のビル街。
今はもう完全に無人となっている廃墟と化した元〝Answers,Twelve〟の拠点――ルーラーズ・ビル。
その建物の最上階。
身を刺す冷風が吹く屋上に二人の人影があった。
「お? 流石にバレたか?」
地上数百mの屋上縁に座り平気な顔で夜景を眺めていたのは、帰還後早々に勝手に飛び出して行った達真。一応良善が紗々羅に尾行を命じていたが、あっという間に撒いてしまい紗々羅も付き合ってられるかと〝ルシファー〟に戻ったせいで結局数時間誰の監視も無く彼は自由に動いていた。
「紗々羅ならもう帰ったぜ? あ、怒ってやるなよ? あいつは速いが、流石に世界を飛び越えられたら、速度だけではどうしようもないからな♪」
相変わらずの軽薄な笑いを浮かべながら振り返る達真は、音も無く現れたあと、風にコートをはためかせて立つ良善を見て、その手に持った小さな砂時計を掲げて見せた。
「……司が過去の側流世界へ行くのに使った〝砂時計〟か。それを使い過去の鷲峰円を本流世界へ連れて来て、二人の鷲峰円を対衝突させたな?」
対衝突……それは本来あり得ない別世界の同一存在が互いを認識し合う行為。
時元における究極の矛盾であり、極めて危険な行為だが普通はそう簡単には起こり得ない。
何故なら人の常識で考えて、いくら自分と瓜二つの存在に鉢合わせても正常な思考なら『あ、違う世界の自分だ』と考えるはずはなく、精々『信じられないくらいそっくりだ!』程度の認識が限界。
司も以前に側流世界の司に接触しているが、向こうの司は時元を越えてやって来た自分だと認識しなかったので対衝突は起きていない。
ただ、もしそこで向こうの司が『君は別世界の俺だ』と認識していたら、七緒と円の前で二人の司は光の粉になって消えていた。
「ご名答……でも、俺が誘導する前に司は自分の意志で現場に向かいやがったぜ? どうやらあの二人の運命はなかなかどうして侮れない。ロマンティックなことだぜ」
「やはりか……司には時元の自己修正による余波と説明したが、最初から〝ロータス〟が仕掛けた司への精神攻撃の線は除外していた。あそこまでみっともなく敗走している最中に側流世界の性質を利用した攻め手を打てるほど奴らに知恵は無い。完全な偶発……そして、本来その余波の影響はもっと深刻になるはずだった。こうして人知れず誰も気付かぬ内に事象の整理が行われるどころではなく、大陸の形が変わったり空や海が荒れ狂ったりと天変地異が起きていたはずだ」
司への説明に嘘は無かった。
ただ、凄まじく矮小化した説明であり、実際のところ〝ロータス〟の後先考えない軽率な世界破壊行為は、一歩間違えれば時間の断裂というとてつもない大惨事を引き起こしていたかもしれなかった。
「お前が側流世界の存在を本流世界に連れて来ることで生じる〝時間軸が違う同一人物の統合〟という特大の矛盾が余波の広がりを相殺した。それ自体は有難い……諸々の手間が省けたと言ってもいい。だが、それは別に鷲峰円である必要は無かった。他に全く我々と関係の無い一般人を適当に見繕いぶつければ済む話だ。何故、わざわざこちらに……司に浅からぬ関係があるあの少女を選んだ?」
良善の声の温度が下がる。
達真の背中がゾクリと震えて口端が吊り上がる。
中折れ帽子のツバで顔は見えないが、その声音から良善は間違いなく激怒の寸前まで来ていた。
「警告はしたはずだな? 司は私にとって待ちに待った良質な観察対象だ。彼の成長は私の宿願に通ずる可能性が極めて高い。その成長が危うく乱されかけた…………貴様の標本を作るには十分な理由だ」
良善が帽子を上向ける。
露わになったその顔は怒りに歪み、その双眸の血色は司の眼とは比べ物にならないほど濃く深い暗赫色をしていた。
「ははッ! おいおい……言い掛かりだぜ? 俺は司には何もしてねぇぞ?」
「小物染みた屁理屈だ。どうした首領? お前らしくもない……随分と器が小さいじゃないか?」
「その言葉そっくり返すぜ。先生こそ他人に揚げ足取られるだなんて迂闊じゃねぇか……浮かれすぎだろ? まぁいい、珍しく漲ってるっぽいし……少し、遊ぶか?」
立ち上がり向き直る達真。
何の意図があるかの説明もまだ無いが、そんなことよりも良善が自分に本気で殺意を向けてくれていることの方が重要なのか、狂笑を浮かべたその顔は良善と同じくもはや赤と黒のどちらに区分すればいいかも判断が付かない閃光に染められていた。
「……一秒だけだぞ?」
「あひゃひゃッ! 嗾けたのは…………そっちだろうがぁッッ!!」
口を開け舌を出して目を剥き、両手を広げて腰を落とす達真。
対する良善は片足を滑らせ肩幅に足を広げる。
その瞬間、まるで二人の重さに耐えかねたかの様に、ルーラーズビルの最上階から一階まで全ての窓が四方へ砕け散った。
そして、ビル群でも頭一つ飛び抜けた巨大な構造物が、まるで上から掌で圧し潰した砂の塔かの如く跡形も無く崩れ落ちてしまった…………。
読んで頂き、ありがとうございます。
作者の活動報告などに関しては、
Twitterで告知してます。
良ければ覗いてみて下さい。
峪房四季 @nastyheroine




