6、アイリスが嫌いなわたし(ミンティ視点)
ミンティ視点です。
不快なシーン(倫理がない、暴力)があります。ご注意ください。
わたしはアイリス・オーバーが嫌いだった。
親戚なのにわたしが子爵であの子がひとつ上の伯爵なのだ。
わたしより可愛くなくて、わたしより運動もできなくて、わたしより社交性がなかった。そしてこの世界の人間なら誰でも持ってる魔力を持っていなかった。
わたしより低いとか高いとかではなくゼロ。使えない。そもそも持っていない。あんな欠陥品がわたしよりも上に立つなんてあり得ない。
だからわたしはいつも教えてやったのだ。
どれだけ自分が何もできない愚図で、のろまで、価値のない人間か。
適当なところで立場を代わってやろうとしたのになぜか頷かない。
お前は捨て子だ。血なんか繋がっていない。伯爵家に相応しくない。親に嫌われたくなければ出て行くべきだ。
時には手を出したり泣かせたりしたのにわたしの言うことをまったく聞かない。わたしの方が上なのに!
あまりにも腹が立ったので焼き殺して入れ替わろうとしたが、使用人達が告げ口したようで伯爵家を出禁になってしまった。
始めはムカついてムカついてムカついて家の者に当たり散らしていたが、突然ハッと思いついた。
そうだ。結婚相手が伯爵以上ならいいんだ。
アイリスを見下すためにオーバー家に取り入ろうとしたが、別に伯爵家はオーバー家だけじゃない。結婚した先が伯爵家以上なら堂々とアイリスを踏み潰せるのだ。
いつもお高くとまってひとつしか爵位が違わないのに蔑むような目で同情した言葉を吐くあの子が死ぬほど嫌いだった。
わたしのことを友達だと言うのも嫌いだった。
いつも一人ぼっちでいたから仕方なく遊んであげただけだ。
アイリスが優しいんじゃなくてわたしが優しいんだ。アイリスが偉いんじゃなくてわたしが偉いんだ。
褒めるべき人間はわたしであって、わたしだけであって、何をするにもどんくさいアイリスじゃない!
そうして腹の中で沸々とした怒りを滾らせ過ごしていくうちに、ある噂が耳に入った。
あの役立たずのアイリスが婚約したというのだ。しかも相手は同じ家格の伯爵位。自分より先に婚約したのも、結婚しても伯爵なのもすべてが癇に障った。
許さない。絶対に許さない。どうにか破談にできないか画策してみたが身分が低くて近づくこともできない。
それに伯爵以上としか婚約したくないのに自分のところに来る釣書は子爵以下ばかり。冗談じゃない。
「……いいことを思いついたわ」
フッと思いついたことにニヤリと嗤った。だったらアイリスの婚約者を奪えばいい。
あれだけ愚図でバカな女だ。相手だって仕方なくアイリスと婚約しただけ。もっと好条件な人間が現れれば必ずそちらを選ぶはずだ。
そうでなくてもこの結婚を逃せばアイリスは一生独り身で過ごすことになるだろう。だって魔法もろくに使えないあんな役立たずが欲しい家なんて此の世に存在しないのだから。
どうしようもないほどの瑕疵をつけてやれば、オーバー家ごと消せるかもしれない。わたしをバカにしてわたしを伯爵令嬢にしなかった罰だ。アイリス共々潰れてしまえばいい。
そうと決めたミンティは家族の反対を押しきり、騎士学校に入学した。そこにはアイリスの婚約者エルフィン・モーラスがいるからだ。
素知らぬフリをして近づいたミンティは『アイリスの従姉』ということを大いに利用した。
懐に入り込むのにアイリスの名前を幾度となく出し、仲良くなってからはアイリスにされたイジメの数々を報告した。
その頃にはミンティはモーラス家に個人的に遊びに行ける仲になっていた。
命に関わる暴力をアイリスにされたとエルフィンやモーラス家に何度も刷り込み、魔法騎士になっていつか見返したいのだ!と涙ながらに語った。
実際は火の魔法しか出来なくてそれも調節が利かないのだが、そこを指摘する者は皆無だった。
モーラス家の同情を買い、エルフィンには体を使って気があるアピールをした。
まさかそこで襲われるとは思わなかったが、こうなったからには責任を取ると宣言してもらったので『まあいいか』、と思うことにした。
次はアイリスだが蓄積したエルフィンらの怒りは相当なもので、裏で手を回して内々に婚約の誓約書を処分させた。これで憂いなく伯爵家夫人になれる。
エルフィンの伝手で盛大な結婚式を迎え、新婚旅行の準備をしていたところでやっとアイリス達から連絡が来た。
相手にしたくないと言えばならそうしよう、と言って新婚旅行に行き、帰ってきても鬱陶しい手紙が来るから妊娠したと嘘を言って引き伸ばした。
勿論わざとだ。エルフィン達には悲劇のヒロインのように過剰に演技したが、アイリス達が苛立ち、苦悩し、苦しむことを知っていてそれを想像して酒の肴にしていた。
そうやって、やっとの思いでやって来たアイリス達は伯爵家とは思えないくらいみすぼらしくて情けない表情で元婚約者達の話を聞いていた。
社交界では既にアイリスがどれだけ暴力的で酷い人間か広めていたし、オーバー家も提携した貴族を出し抜いて大損させる屑だと方々にばら蒔いていた。
領に引きこもっていてろくに情報を知らないアイリス達は悲鳴混じりに叫んだが残念でしたと嗤った。
わたしは実力が認められて侯爵夫人になるの。あんたなんか逆立ちしても一生なれない高貴な身分なのよ。いいでしょう?羨ましいでしょう?あははっ
エルフィンに捨てられて泣くに泣けないアイリスを見て心の中で高笑いした。勝った!勝ったわ!!わたしに逆らうからこうなるのよ!
最初から愚図なアイリスなんかより、才能の塊のわたしを伯爵令嬢にしておけばこんなことにはならなかったのよ!バカ共め!ざまあみろ!自業自得だ!
呆然自失で去っていくバカな親戚を嘲笑って見送ったが、勿論これだけで終わらせるつもりはなかった。
騎士学校の頃に知り合った『悪い友達』に連絡して、伯父が嘘の召集でいなくなったのを見計らい、あの家にある金目のものを持ち出せるだけ持ち出した。
名目は裁判の費用。お金がかかるかどうかは知らないし、まだ裁判も始まってないがそんなことはどうでもいい。
二回に分けてあの家にある財産を奪ったミンティは悪い友達と山分けにした。
その後に正式な裁判の結果が出たが聞くまでもなく、有罪だとわかりきっていた。
この裁判はモーラス家と繋がりがある中央貴族が仕切っていて、伯父は『未来あるミンティを傷つけた暴力女を育てた親』として投獄された。
これは家族にも効力があり、直ぐ様アイリスも捕まえに行ったのだが寝込んでいた母を残して忽然と消えたと報告が来た。
消える直前、アイリスの周りだけにしか起こらない嵐が吹き荒れたというので呪いと一緒に死んだのかもしれない。
少し物足りないが仕方ないか、と諦め、伯母を連行して夫婦仲良く牢屋に入れてやった。
意気消沈して落ち込む夫婦に、最初はざまあないわね!と嗤ってやったがだんだんムカついてきて、火の魔法を牢屋の中に放ってやった。
逃げ惑うバカな夫婦を満足するまで眺めたわたしは大火傷をして苦しむ伯父夫婦を放置して外に出た。勿論医者も誰も呼ばなかった。
だってあのまま死んだ方が楽になれるでしょ?わたし優しいから二人きりにしてあげるの。痛みにもがき苦しみながら仲良く息絶えるなんて悲劇的でロマンチックだと思わない?
まあ、あんな見苦しくて臭い姿を伴侶に見られながら死ぬなんてわたしなら絶対に嫌だけど(笑)。あいつらにはお似合いの末路よね。
……ププッあははっ!!あーいいことをした!
それからは平和な日々が続いた。
今度は本当に妊娠してピリピリすることが増えた。そのせいで家を半焼させて別宅に移り住んだけど、早く外に出て買い物やパーティーに行きたいと思った。
窓の外を見れば嵐のような雨が連日続いている。雨くらいで外出を止めたりはしないが、妊娠してるのと視界が悪いくらい降りが激しいので控えていた。
だが、三日も我慢すれば十分だろう。ストレスで苛立ちがピークだったミンティは夫となったエルフィンに直談判した。
ある程度爵位があれば仕立て屋はあちらから訪ねてくるものらしいが、モーラス家に来るのは食料・生活雑貨くらいだ。ドレスや宝石はまだ買えていない。
しかも別宅だと業者がルートが違うのか誰も寄り付かないのだ。不満に不満を重ねたミンティは今日こそ絶対に出かけるつもりで夫に詰め寄った。
夫の返事は渋かった。今までにない天気で仕事でもあまり外に出たくないというくらいには荒れているのだ。そう言ってミンティを宥めてみたが、夫の言葉は聞き届けられなかった。
仕方なく二人で外に買い物に出たが、馬車の中とはいえ雨足が強いのは音と窓を見てすぐにわかった。
「危険だと思ったらすぐに引き返す。そろそろ川も氾濫するかもしれないと報告があったんだ。
街に行くには川を渡らなくてはならない。命よりも買い物が大事だなんて言わないだろう?」
「ええそうね。そうなったら考えるわ」
上の空で返すミンティに夫は苛立った。どんなに危険かまったく理解していないんじゃないか?とさえ思った。
その読みは当たっていてミンティは天気など気にしていなかった。自分は安全な馬車の中にいるから濡れないし問題ない。雨ごときにわたしの買い物を邪魔させない。そう考えていた。
店に行ったら何を見よう。何を買おう。そればかりを楽しみに考えていた。
「……なあ、この雨。もしかしてアイリスなんじゃないか?」
「は?何を言ってるの?」
雨の音だけが煩わしく聞こえる中で、夫がボソリと呟いた。
その声は雨に掻き消される程だったが、思い入れが強すぎる名前が出たために音を拾えてしまった。
拾ったことでミンティは不機嫌に顔を歪めると夫を睨みつけた。
その顔はさながら人を食らう鬼女で、そんな顔で睨まれた使用人達は怖さのあまりよく泣いていた。
その後に必ず手が出て頬が腫れ血だらけになるほど殴られたり、足が出て骨にヒビが入るほど蹴られたり、顔をめがけて固いものが飛んできたり、魔法で服や髪の毛が燃やされたりするからだ。
そのせいでモーラス家の使用人は一ヶ月も持たない曰く付きの腫れ物邸になっていた。
今や終身雇用で雇われている者以外次々辞めていき、別宅に居るのは新人しかいない。
昔からいる使用人はまだ本館にいるが、ミンティが邸を半焼させた時に、ミンティに骨を折られて後遺症が残ったり、次の雇用は無理だろうというくらい見える場所にミンティの火の魔法で大火傷を負った者しか残っていない。
夫のエルフィンはそれを思い出しぶるりと震えたが、まだ手を出されたことはなかったのでかろうじて会話ができた。
「ほら。アイリスの呪いだよ。あいつの周りにだけ嵐が起こるって言っていただろう?」
「だから何よ。ここにあの愚図な女はいないじゃない。きっと死んだのよ。死んだ人間がどうやって嵐なんて起こすのよ」
「だからそれは呪いで」
「やめてよバカバカしい!行きたくないならここで降りて!!わたしだけ行ってくるわ!護衛もまともにできないなら今すぐ出て行って!邪魔よ!」
シッシッと手を振ってこんな道端で降ろそうとするミンティにエルフィンも苛立ち、睨み返した。
「前々から言おう言おうと思っていたんだがお前、本当にアイリスに苛められたのか?」
「はああ?!何言ってんの?苛められたって散々話したじゃない!それを信用したのはそっちでしょう?!」
「だがお前を見てるとどうしてもアイリスに苛められてた気がしないんだ。
邸から追い出した時だってアイリスはお前みたいに顔を歪ませて恐ろしい形相で睨まなかったし、暴言も吐かなかった!」
「だから何よ!裁判でちゃんとあいつらが有罪だって出たじゃない」
じとりと睨んでくる夫にギクリとしたが鼻で嗤った。結果は変わらない。わたしは勝者だ。そして愚図で役立たずのアイリスは敗者。しかもあのバカはもう此の世にいないのだ。
「だからだよ。あれは操作した裁判だろう?確証は何一つない。もしかしてお前、アイリスをハメるために私に近づいたんじゃ、」
そこまで言ったところで馬が嘶き、体が浮いてどこかに打ち付けられた。何度も頭や体をぶつけながら上に向かうとやっと呼吸ができた。
どうやら川に落ちたらしい。近くではいつも使っている橋が倒壊していて、そこが壊れたせいで自分達が落ちたのだとわかった。
「ミンティ!無事か?!」
声がする方を見ると反対岸に夫の姿が見えた。自分と同じように橋近くにある流木止めに掴まっていた。
何度か川から上がろうとしたが雨のせいで水嵩が増し流れも早い。滑って足を取られれば一貫の終わりだ。
そしてミンティは伯爵家にしては豪華なドレスを着ていた。侯爵夫人になるのだからそれ相応のドレスが必要だと夫にねだって一年かけて作ってもらったものだ。
久しぶりに出掛けるからと彩飾が細かい華やかなドレスを纏い、店で自慢しようとめかし込んできたのだ。
そのドレスが水を含みどんどん重くなっていく。そして細かい彩飾が流れてきた枝やゴミを引っかけ余計に重くなっていった。
水の冷たさで手が悴んできているのに、上がろうにもドレスが重すぎて出られない。それに気がつき、ミンティは冷や汗を流した。
「エルフィン助けて!ドレスが重くて出られないの!」
「だから今日みたいな日はもっと動きやすいものにしろと言ったんだ!!」
「そんなこと今はどうでもいいでしょう?!助けてよ!身動きがとれないの!手が悴んでこれ以上掴まってられないわ!!」
「だが橋はもう、」
「川を渡ればいいじゃない!水嵩は増えてるけどあなたの腰までの深さでしょう?それとも怖いの?!妻のわたしがどうなってもいいわけ?!」
「……くそがっ」
雨でよく見えないが夫が悪態をついたのはわかった。あの男はもうダメかもしれない。
アイリスのことを本気で愛してなかったように、わたしがちょっと優しくしてご褒美にキスをしただけで簡単に乗り換えてきた屑だ。
有能なわたしと結婚できて有頂天になってアイリスに罵声を浴びせていたくせに!わたしの素晴らしさを忘れるなんてなんて愚かな男なのだろう!!
助かったら二度と逆らえないように折檻した方がいいかもしれない。わたしという完璧な妻を娶れたのだから一生大事にするのが当たり前なのだ!それが夫の役目でしょう?!
しかしあの男をどうにかするにしても今は手を借りなくてはならない。仕方ないが従順になってやろう。そう思って文句を言いながらもこちらに来る夫を待ってやった。
「ああ~もうっじれったいわね!!早く!早くしなさいよ!もっと早く来れないの?!何ぐずぐずしてるのよ!それでも近衛騎士なわけ?!」
「無茶を言うな!水の流れが早くて足が取られそうなんだぞ!」
「鍛え方が足りないのよ!本物の近衛騎士ならこんな簡単な試練さっさとクリアしてるわ!
敗者になりたいの?!妻であるわたし一人助けられないで何が近衛騎士よ!無駄口はいいからさっさとしなさいこの愚図!鈍間!!」
だったらお前が自分で何とかしろよ!自分だって騎士でしかも魔法まで使えるじゃないか!魔法でこの水を蒸発させてみろよ!!
そう叫びたかったが、今歩いている場所があまりにも水流が早く気を抜くと足が浮きそうだったので言い返せなかった。
文句を言い続ける程度には元気なミンティの元へ一歩一歩確実に踏みしめ、ようやく手を伸ばせば掴める距離になった。
雨は相変わらず酷くて視界も悪いが体温が下がり青白くなっているミンティを見て早く助けなくては、と思った。
少し気が急いて、もうすぐ合流できる、という安堵感に一瞬気を取られた。
「は?エルフィン??」
顔に纏わりつく髪の毛と滴り落ちる雨に何度も手で拭いながら夫が助けてくれるのを待った。しかし瞬きをした瞬間、手が届く場所にいたはずの夫が忽然と消えた。
音は雨の音と川の轟音のせいで他の音はわからない。
辺りを見回しても呼んでもエルフィンの姿は見えなかった。
「え、嘘でしょ?わたしを助けなさいよ!何一人だけ助かろうとしてるの?!待ちなさいよ!あんたはわたしの夫でしょ?!わたしを見殺しにする気?!
……ふざけんな!エルフィン!逃げるな!わたしを助けろよ!!助けろ!!逃げんじゃねえええ!!!」
ミンティの怒号は嵐の音を掻き消さんばかりに響いたが、二度と彼女の前に夫エルフィンは現れなかった。
読んでいただきありがとうございます。