5、呪いじゃなかったんですね
そこからは目まぐるしい日々だった。
家族も、邸の者達も、親戚達も、ミンティのキレやすく苛烈な性格を知っていたが、外部の、特に王都に常駐している中央貴族らすべてがミンティの味方になった。
その中央貴族は昔ながらの贅沢を尊び、血を重んじる者達が多い。
高位であればあるほど崇高で下位は奴隷同等、領地経営を地道にしているアイリスの父みたいな貴族は田舎貴族と揶揄された。
そんな者達に目をつけられたオーバー家はわかりやすいほどに悲惨だった。
貴族院に父が招集された後、その貴族院から派遣された弁護士と名乗る者がずかずかと邸に上がり込んだと思ったらお金になりそうなものを片っ端から持ち出して行った。
なぜそんなことをするのかと母が詰め寄ると、裁判をするにあたって必要な費用だと言われ瞠目した。
裁判?父は何も悪いことはしていないのになぜ裁判をする必要があるのか。
詳しく問い詰めようとすればお前が父の代わりに裁判を受けて罪を償うのか?と言い返され黙るしかなかった。
こちらが騒ぎ立て心証を悪くし、父の立場を悪くするわけにはいかない。
曲がりなりにも来ているのは弁護士だ。父を助けてくれる人を敵に回すわけにはいかない。
その一週間後には保釈金が必要だと言って母やアイリスが持っている宝石類や貴重品を徴収しに来た。
裁判はまだ始まってもいないのになぜ保釈金が必要なの?
そんなものまで持って行かれたら使用人達の給料もままならなくなり、自分達の生活も厳しくなっていく。
せめて裁判の結果が出るまで待ってほしいと懇願したが許されなかった。そして次の日には父は罪人として牢屋に投獄されたという報告が来て、それを聞いた母は心労で倒れた。
アイリスとて、そこまでのストレスを受けたのは初めてだった。
感情のコントロールができなくなり領内は嵐の日が続いた。
このままでは邸も領に住む者達も水に流されてしまうかもしれない。雨のせいで孤立して餓死してしまうかもしれない。
そう思ったアイリスは単身、豪雨の中邸を飛び出した。この呪いはアイリスの身の回りにしか起こらない。
母のことは執事達に頼んだ。父のことも心配だが嵐を抱えた自分が行くよりも親戚達に頼んだ方がまだマシだろう。
今は一刻も早く邸から離れ、領から離れ、迷惑が掛からない場所まで逃げおおせれば母達は助かる。自分は死んだっていい。だって自分は迷惑しかかけてないもの。
雨粒が顔に当たって痛い。嵐のせいで視界が悪く、馬も嫌がるように走っている。悪路ではないはずだがアイリスの軽い体が何度も浮いた。
ドレスは水を吸って重くなり、体温を奪っていく。手がかじかみ、手が滑っては何度も握り直した。
早く早く行かなくては。早く、早く。
雨水が目に入りぎゅっと目を瞑った。
その瞬間ぐわっと体が浮き、そのままずるりと手綱が滑った。
あっと思った時には自分は馬車から投げ出されていた。
打ち付けられた衝撃と雨の冷たさと一緒にどこかに落ちた。
意識が途切れる瞬間、自分が乗ってきた馬車が大破する音が聞こえ馬が嘶いた。
◇◇◇
話し終えて、なんて自分は愚かなんだろうと思った。
ゼバーロ様に命を拾っていただけたのに、悠長にも父を助られるようなものでも、母を元気づけるようなものでもない魔法を習っていたなんて。
そんなものを今更習ってもしょうがないのに。
今更魔法を使えるようになったところで誰も助けられないのに。
わたしは何をしているんだろう。わたしは。わたしは。
「アイリス・オーバー伯爵令嬢」
「っは、はい」
ぐるぐると気持ち悪いほど考え込んでしまい、一瞬ここがどこだか失念していた。
顔を上げればゼバーロ様は視線を外したかと思うと、おもむろにアイリスの目の前で跪いた。それは元婚約者がアイリスにしてくれるはずだった恰好だった。
「どうか私と結婚してほしい」
「?!っい、いけません!ゼバーロ様がそんな!もう貴族でもないわたしなんかに、公爵様がそんなことをしてはいけません!
どうか立ち上がってください!どうか!どうか!」
雨も降っていないのにぼろぼろと顔から水が滴り落ちる。視界が歪み、声が嗚咽交じりになる。
わたしにそんな資格はない。父が捕まり、伯爵家を維持できるだけの物がごっそりと持っていかれた。
もしかしたら大切な権利書なども勝手に持ち出されてしまったかもしれない。
王都に滞在している兄が帰ってくればなんとかなるかもしれないが、間に合うかは不明だ。義姉にも申し訳ないことをした。
こんなことになってはもうオーバー家は貴族ではいられない。社交界でも居場所はなくなっているだろう。
そんな瑕疵しかないアイリスを、平民のようなわたしと結婚したいだなんてありえない。
そんなことをしたらゼバーロ様にも迷惑をかけてしまう。
命の恩人にそんな迷惑はかけられない。
頭を振って懇願するもゼバーロ様は立ち上がってくれず、アイリスの涙がはらはらと舞った。
「アイリス嬢」
心地よい声が鼓膜に響く。けれど今はとても切なくさせる。
手を握られビクッと肩を揺らせば歪んだ世界に映るゼバーロ様と目が合った。
「あなたは悪くないよ。悪くない。ご両親もだ。だから自分を追い詰めなくていい」
「でも、わたしが呪われているから、両親が、父が、投獄されてっ」
「君は呪われていないよ。
それは私が保証する。君は大きすぎる魔力を持ったがために人よりもコントロールが難しかっただけだ。
それができるようになれば他の女性となんら変わりはない。魔力量が大きく、素晴らしい才能を秘めた女性だ。
そして君はどこまでも優しい。その膨大な魔力を冤罪をでっち上げた従姉夫婦に仕返さなかったのだから。私はそんな君を好ましいと思っている」
「ゼバーロ様……っ」
「そんな君にひとつ提案しよう。私の名前を覚えているかな?」
「え?……ゼバーロ・イシュタッド、公爵さ……ま、」
「そう、私はゼバーロ・イシュタッド公爵。
王宮魔術師団団長……今はちょっと閑職になってる部署だけど、今まであげてきた功績はこの国随一だ。その私と結婚したらどうなるかな?」
「え、」
もしゼバーロ様と結婚したらわたしは公爵夫人に、なる?そしたら今ある不遇な状況も払拭できる?父を助けられる??
虚ろな目に光が宿るような、そんな感覚に目を見開いた。しかしすぐにハッとなって頭を振った。
「いけません!いけません!そんなことのために結婚など!イシュタッド家にいらぬ汚名がふりかかってしまいます!」
「なら君の家はいいのか?いらぬ汚名を被せられ君も自ら命を絶とうとしている。才能ある君を繋ぎ止めたい私の気持ちはどうしたらいい?」
「そんなっゼバーロ様!これ以上わたしを追い詰めないでください!!」
「私は君を助けたいんだ。君が生きるために、両親を救うために私を利用しろと、私が言っているんだ。
そんな好機を捨ててまで親を見捨てたいのか?自分の命を無駄にしたいのか?」
「そんなわけないじゃないですか!!」
叫んで口を押さえた。上位の人にこんなはしたなく叫ぶなんて。
その場で手打ちにあっても文句が言えないことをした自分に顔を真っ青にして震えるとフワッと体が浮いた。
見ればすぐ近くにゼバーロ様の顔がある。そこで自分が彼に抱き上げられていることを知った。
「待ってくださっゼバーロ様!歩けます!わたし歩けますから!」
「落とされたくなければ大人しくしていろ。外に行くだけだ」
外に行くだけって。外はずっとしとしとと雨が降っていて天気が悪いままだ。外に行くまでもない。
そう思ったのにゼバーロ様はドアをくぐり抜け本館へと戻っていく。
研究室に籠るようになってから寝起きくらいしか邸にいない。夜はカーテンで閉めきっているし、朝もなるべく外を見ないようにしていた。
だって見たら現実に引き戻されて泣き崩れてしまいそうだったから。
無意識にそう考え、なるべく考えないようにしていたのにゼバーロ様は現実を見ろとアイリスを外に連れ出そうとしている。
いくら感情をコントロールする練習をしたところで、呪いが実は魔法だったと知ったところで、わたしが役立たずなことには変わりない。
外を見ないように目を閉じ手で顔を覆った。
「着いたよ。アイリス嬢」
すぐ近くでゼバーロ様の声が聞こえる。その通った声にほんの少し疑問を抱いた。
「見てごらん」という声に促されるように手をゆっくり顔から離すと、まず最初に眩しさに目を瞑った。
目が慣れてきて遠くを見ればそこには雨上がりの空と虹があった。公爵家の庭は広く、水浸しになってはいるものの折れていたり流されていたりしていない。
草木は光に反射して輝き、奥にある山まで明るく見通せる。
雲の隙間から射し込む光は神が降臨されたかのような神々しさがあった。
景色がまるで一枚の絵画のような美しさに見え、言葉を失った。
「どうだい?私の領は」
「とても……とても美しいです」
「景色を美しく仕上げてくれたのは君だよ。アイリス」
え?とゼバーロ様を見上げれば優しげな瞳でアイリスを見つめていた。
「自然は時に猛威を振るいすべてを奪っていくが恩恵も与えてくれる。この光景もその一つだ。
君が己の中にある魔力を認め、向かい合ったから雨が止んだ。君が研究室で魔法の練習をしている間に雨は止んでいたんだよ」
「で、でも研究室では雨が!」
「確かに最初は影響があったけど途中から豪雨ではなくなっていただろう?あれはその日の天気が雨だっただけ。アイリス嬢のせいじゃない。あ、浸水は妖精のせいだけどね」
あの辺は妖精の森に近いからたまに悪戯しに来るんだ。というゼバーロに驚きすぎて気が抜けてしまった。
「わたし、もう、逃げなくていいんですか?」
「ああ。君に手伝ってもらったことは多少強引だが魔力を循環させる方法だ。
今までは魔法が出来ないと思い込み、大きな魔力量を秘めていたにも関わらず内へ内へと閉じ込めていた。
それが感情の暴発によって強制的に魔法が発動し嵐に変わってしまったんだ。
だがもう大丈夫。己の魔力を知り扱い方がわかった今、暴発する危険はない」
「本当に、呪いじゃ、なかったんですね……」
ゼバーロ様に言われても心のどこかで半信半疑だった。ずっと呪いだと思っていたし、こんな症状の人は他に誰もいなかった。
地面に下ろしてもらい、自分の足で立ってもう一度そこから見える景色を見た。
虹が二本に増え、別世界に降り立ったような気持ちになった。
ずっと思い悩まされてきた嵐は去った。嵐は去ったのだ。言葉を噛み締めうち震えた。
助けたい。わたしの大切な人達を。そう思った。
「ゼバーロ様。先程のお返事をやり直したいのですが、可能でしょうか」
ピンと背筋を伸ばしゼバーロ様と向き合うと、彼は嬉しそうに微笑み「勿論だ」と頷いた。
「お受けします。今は家族を救うためにゼバーロ様を利用することしか考えてませんが、家族を救えた暁にはこの魔力もすべて、この命がある限り、生涯をかけてあなたに尽くしましょう」
「勇ましい告白だな。さすがは私が見初めた女性だ。先程の言葉に二言はない。私も君と添い遂げられた時は生涯をかけて慈しみ愛することを誓おう」
互いに手を取り合い見つめ合っていると雲間から光が射し込み、スポットライトのように二人を照らした。
草木は風にそよがれ雨粒をキラキラとさせ、掛けられた二つの虹も二人を祝福しているようだった。
読んでいただきありがとうございます。