3、私と結婚してくれないか?
頑張ります!と始めてはみたものの、なかなか上手くはいかなかった。
さすがに容器が割れた時は泣きそうになったがそれでいい、とゼバーロ様に慰められ練習を続けた。
……ゼバーロ様が陰で割れた容器を見てちょっとショックを受けてたけど。
でも割ったのはその一度きりでその後は何度も水浸しになった程度で済んだ。いいのかどうかはわからないけど。
水と魔力の混合化が上手くいって車がもし動くようなら何処へでも好きなところに連れて行ってくれると約束していただいた。
正直公爵家の家紋がついた車に同乗するなんて恐れ多くてできないけど、わたしがどこか遠くへ行きたいのだと知っているらしいゼバーロ様なりの元気付けなのだろうと思った。
この国に砂漠はない。公爵領を抜けた他国にもない。今行きたいのは海だ。海ならこの嵐もとぐろを巻いた感情もすべて受け入れてくれるだろう、そう思ってる。
海は公爵領からでも遠い。でも車が動けば馬の心配をせず海まで行けるかもしれない。
行くなら海がいい。沖へ出てわたしごと飲み込んでくれればいい。わたしなんて海の藻屑がお似合いなのだから。
◇◇◇
小さな容器に魔力を注ぐようになって五日目。ようやく目標にしていた色合いが続けて出来るようになってきた。
ズラリと十個並んだ容器を確認してゼバーロ様も驚いてくれている。
失敗した数はこれの比ではないので気恥ずかしい限りだが、わたしの魔力総量でこんなにも早く調節出来るようになるのは珍しいのだそうだ。
「でも、これしかずっとしてませんでしたし」
「だからこそだよ。普通ならつまらないと飽きてしまうところを根気強く続けた。
アイリス嬢は研究者の才能もあるみたいだね。あーただ、集中し過ぎて食事の時間を忘れてしまうのはいけない。私みたいになってしまうよ?」
「ふふっはい。気をつけます」
集中すると他に目がいかなくなるのはゼバーロ様も同じだ。
「アイリス嬢にはちゃんと食べてもらわないと家の者達に〝旦那様の仲間を増やさないでください!〟と怒られてしまう。私のためにも規則正しい生活をしてほしい」
「ではゼバーロ様もお食事をなさってください。皆さんゼバーロ様が倒れてしまわないかいつも心配なさっていますから」
邸の人達はあなたを心配していましたよ。とやんわり伝えると、ゼバーロ様はぺちん、と顔を叩き「一本取られたな」と苦笑した。
「なら一緒に食事をしてもいいかな?誰かと食べる予定があれば自分のことも思い出せるかもしれない」
「まあ!よろしいのですか?魔術師は孤高を好むと聞いておりましたが」
「そんな噂が出回ってるのか……まあ、煩わしいのは好きではないのだけどアイリス嬢はなにかと親近感を感じるし、共にいて苦痛もない。
話をするにはちょっとおじさんだろうけどいかがかな?」
「おじさんだなんてそんな。ゼバーロ様とは一回りも違わないではありませんか。
それくらいならなんの問題もありません。わたしにとっては学ぶべき先生でもありますし。
むしろこんな若輩者のわたしでよろしければお食事でも話し相手でも喜んで務めさせていただきます」
「それこそ勿体ない言葉だ。世俗から離れているから最近はめっきり魔道具と魔法の話しかできない。それでもいいのかい?」
「ええ。勿論です。そのお話が楽しいのですから」
にっこり微笑めば、ゼバーロ様は口を押さえ「いい子過ぎる」と感動していた。
ゼバーロ様は時々世俗から引退した者のように自分のことを仰るけど、初心者のアイリスにも分かりやすいように噛み砕いて教えてくれるし、好きなものに対しての真摯な態度と探求心は舌を巻くレベルだ。
聞いていてつまらないなんてことはあり得ない。
魔法は学校ではほとんど学ばなかったし、従姉のせいで無意識に遠ざけてもいた。
こんなに楽しいのなら怖がらず勉強しておけば良かった。そうしたら、ゼバーロ様とのお話ももっと弾むでしょうに。
「では次は容器を大きくしてみよう。と、いってもあるのはこれだけだけどね」
「えっもう本番ですか?!」
ポン、と車を叩いたゼバーロ様に大いに驚いた。容器自体が希少なのでそんなにないとは思っていたがそれにしたって早すぎないだろうか?
「そんなことはないよ。それこそ一日中、何日も練習していたんだ。そろそろこっちで試してもいい頃合いだと思っていたよ」
「で、でも失敗したら……」
入れる容器は車体下にあるので全貌は見えないが、車の大きさを考えると今まで練習してきた容器の十倍の大きさはありそうだ。
そんな大きさに魔力を注ぐとなると、入れるのも抜くのも時間がかかりそうだ。
それにもし車に傷でもつけてしまったら、壊れてしまったらと思うと手が震えた。
だってこの車の持ち主は公爵様で、車が使えなくなってしまったらわたしは海に行けなくなってしまう。
失敗してはいけないと思えば思うほど足がすくみ、震えも止まらなくなった。
「アイリス嬢、深呼吸をして」
恐慌状態に陥り浅い呼吸を繰り返しているとぎゅっと両手を握りしめられた。
少し強いくらいの握り方にハッとしてゼバーロ様を見るとアイリスと視線が合うように屈み真剣な表情で見つめていた。
不思議なもので彼の声や瞳を見つめているとだんだんと落ち着く気がして、アイリスは浅くなった呼吸をゆっくりと戻していった。
最後に深呼吸をするとゼバーロ様の手が離れ、この部屋に唯一ある椅子に座るように促した。
「失敗については気にしなくていい。割れたりしなければ何度でもやり直せるし、砂利がぶつかったり傷つけてもそう簡単に割れないように強化魔法もかけてある。
今まで練習していた容器よりは頑丈だよ」
「は、はい」
「それに無事成功したらどこにでも連れて行くという約束もしたじゃないか。成功した後で反古にしたりしないから安心してくれ」
「……」
「それとも、他に何か心配事でもあるのかな?」
ギクリとして顔が強張った。こんな話をしていいのだろうか。
だって今更じゃないか。上手く成功したらわたしは海に連れて行ってもらい、そのまま沖に出て身を投じて自分もこの呪われた天気からも解放される。
それでいいじゃないか。
もうわたしは誰にも求められていないし、この呪いのせいで価値もない。
魔力だというから、この呪いのようなものでも役に立つというから、海に行くためだから。
そうしてるだけで、わたしを苦しめる呪いには変わりない。
わたしは生きていてもしょうがない役立たずなのだ。
そう思った瞬間、パリン!と何かが割れた。
音がした方を見れば、ゼバーロ様が魔法で閉じたはずの窓から雨が吹き込み、その量はどんどん増えていった。
暗幕のように外を隠していたが、雨水が窓の半分まで昇っていて魔法が割れる度に部屋を浸水させた。もしかしたら雨水だけではなく川が氾濫して決壊したのかもしれない。
その水が異常な早さでアイリス達を満たしていく。
「ゼバーロ様。逃げてください」
椅子に座ったまま膝まで水浸しになったところでゼバーロを見ると彼は自分が濡れていることも知らないかのようにアイリスをじっと見つめていた。
まるで時が止まっているかのようだ。
「このままでは二人とも溺れてしまいます。どうかゼバーロ様だけでも逃げてください」
「君は逃げないのか?」
「わたしは……」
お腹にまで浸った水を見て小さく笑った。
「車に乗れたら海に行きたかったんです。海に行けばどんなに強い嵐が来ても平地よりは大丈夫だと思って。水なら海に還るから。
わたしもそのまま海に沈もうと。そうすれば楽になれるから」
水が冷たい。吐きそうなほど胸が苦しい。気持ち悪い。泣きたい。胸まで来たところで椅子が水圧に押され浮いたため立ち上がるしかなかった。
「約束を守れなくて申し訳ありません。わたしの呪いのせいでまたご迷惑をかけてしまいました。弁償はできませんが、どうか早く逃げてください。でないと」
ゼバーロ様まで死んでしまいますよ、と忠告したかったのに続きの言葉が出て来なかった。
だって、ゼバーロ様が腕を振り上げ杖を振るった途端、部屋にあったすべての水が消えてしまったのだ。
雨は相変わらず降っているが優しい雨足でさっきまでの激しさはない。そしてずぶ濡れになったわたしをゼバーロ様は風魔法で服を乾かした。
「でないと、なにかな?」
その余裕の笑みにアイリスは顔が真っ赤に熟れた。
恥ずかしい。とても恥ずかしい。
さよならと言ったつもりだったのに帰れず取り残された気分だ。衣服を乾かしたゼバーロ様は変わらず屈んで視線を合わせてくる。穴があったら入りたい。
「アイリス嬢は今婚約者が居たりするのかな?」
どう言い訳したものか、と思案していると突然そんな質問を投げ掛けられ呆けた顔をしてしまった。
そんな話の流れはあっただろうか?それとも聞き流していた?え?婚約者??
「へ?」
「突然思いついた計画ではないだろう?意思の固さを感じた。女性を懐柔するような甘い言葉や意図を汲むのは苦手でね。
魔道具などの組み立てをするのは好きなんだが人間関係は複雑すぎて困る。だからひとつ、私から提案したい」
「提、案……?」
「私と結婚してくれないか?」
まるで明日の天気を話すが如き気軽さでゼバーロ様は柔らかく微笑んだ。
「え?……へ??ぇ……え?!け、結婚??」
対して遅れて言葉を理解したアイリスは知ってる言葉なのに聞き返した。それはそうだ。
突然すぎるし、結婚だ。
男女が一緒になるというあれ。 他人同士が家族になるというあれだ。
……そのことよね??思わず自問自答するくらいには混乱した。
「な、何でわたしを?」
「一言で言えば君が惜しいからだ。人柄的にも魔力的にも。私の趣味満載な魔法の話を聞いてくれるのはもっと有難い。
大抵の人間は付き合いきれなくて逃げていく。同じ魔導師でもな。だが君はいつまで経っても楽しげに聞いてくれる」
「それは、まだ、出会って間もないですし」
時が過ぎれば知識も増え、考え方だって変わるかもしれない。
「いつかは聞き飽きたと言われるかもしれないけど、アイリス嬢は聞いてくれそうなんだよね。方向性が変わってもちゃんと聞いてくれそう」
それは断りきれないってことだろうか。従姉に八方美人って昔言われた気がする。
それが顔に出ていたのか、ゼバーロ様はすかさずこう続けた。
「勿論、いい意味でだよ。人の話を聞き続けるのは根気がいるし心根の優しい人にしかできない。
人が良すぎるって言われるかもしれないがそれは立派な長所だ。誰にでも出来ることではないよ」
「長所……」
「そう。その相手に、私を選んでくれたんだ。嬉しい限りだよ。本当に嫌だったら優しい人間でも拒絶するだろうしね」
それはそうかもしれない。徐々にだけど従姉の話を聞くのは苦痛が多かった。誰でもいい訳じゃない。
「だからね。そういう当たり前のようで稀な縁は大事にしたいし、話をわかってくれる人はなるべく近くに置いておきたい主義なんだ。
まだ出会って五日?六日かな?くらいの関係なら友人が関の山なんだけど、その程度では君は私の前から去ってしまいそうだからね。だったら結婚しかないなと」
「な、何でそうなるんですか?!」
「何でと言われても年上の友人も、魔法の先生も、魔術仲間もアイリス嬢を繋ぎ止めるには心許ないからだよ。なら私の手札は結婚しかない。
丁度良いことに私には伴侶も婚約者もいない。勿論愛人や都合のいい恋人もね。釣書は………来てた気もするが薪が足りなくてまとめてくべてしまったから今はない。
領地は実質弟と執事達が面倒を見てくれてるから君が面倒を見ればいいのは私だけだ。なかなかの物件だと思うがどうかな?」
「そうですね……や、そうじゃなくて!」
待って待って待って!さっきからなんの話をしているの?わたしなんてどうでもいい小娘じゃない!
死ぬと言ったから寝覚めが悪くなるから、同情してくれてるだけ?わたしを引き留めるためだけに結婚話を持ち出したの??
「順番を飛ばしている自覚はあるがお互い貴族なのだから政略結婚と思えばまだ飲み込めるんじゃないか?」
ドクン、と今までにないくらい大きく心臓が跳ねた。ぶわりと吹き出た汗に顔色を悪くすると何かを察したようにゼバーロ様は口を開いた。
「ああ、婚約者が居たんだね」
「は、はい……」
そう。わたしには婚約者がいる。それでいい。それで終わりにすればいい。そう思ったのに、余計なことを口にしてしまった。
「あの、婚約者には言わないでください。め、迷惑をかけたくないので……」
視線を落とし頭を下げた。懇願すれば事情を知らないゼバーロ様は引いてくれるだろう。
そしてもう用はないと追い出すはずだ。そしたら徒歩になってしまうけど南に向かおう。南に海があるから。
視線が外されたゼバーロ様は外をしばらく眺めた後、アイリスの肩を叩いた。外を見れば先程よりも雨足が強い。
「言っても意味がないのだろう?その婚約者とやらは」
「……っ!」
「立派な淑女である君がこんなにも苦しんでいるのに寄り添えないのが婚約者なら、その男は選ばなくていい」
「でも、それでは両親に迷惑が……」
それは言い訳だ。もうとっくに終わっていた。わたしは役立たずだ。無駄に大きな魔力という名の呪いを持った穢らわしい子供だ。
「アイリス、」
名を呼ばれてハッとなる。手を見ればゼバーロ様が片方の手を握りしめていた。温かい。
「君を見つけた時、近くに馬車があったんだ。大破していたが君はその中にはいなかった。君が馬を操っていたんだろう?」
「………」
「車輪が石につまづいたのか、馬が機嫌を損ねて暴れたのかはわからないが、草の上に投げ出されたお陰で君は軽傷で済んだ。
もし馬車の中にいたらもっと酷い怪我だっただろう」
あの時を想像してスカートをぎゅっと握りしめた。
「君は無我夢中で馬を走らせていた。馬に乗れないから馬車にして。でも誰もつけず着の身着のまま、金すら持たず飛び出した。
目指したのは海と言ったね?方向は間違ってない。
君の領からなら私の領を抜けた方が早く着く。だがそれでも十日はかかるだろう。
旅支度もなく向かうのは無謀、自殺行為だ。君が上手く操って向かったとしても私の領内で力尽きていただろう。
君が連れてきた嵐にどれだけの被害が出るかは計り知れない」
「っ!も、申し訳」
「事情を、話してくれるね?」
再びゼバーロ様を見れば、公爵としてのお顔でわたしを見ていた。
読んでいただきありがとうございます。