日々是エッセイ【もう傷つきたくない時の、うそ】
わたしは常々、噓はつかないがホラは吹くと公言しています。
噓は乖離と葛藤、ホラは世界観だと思っています。
そして、ホラを吹くからにはまじめに、盛大に吹きたいと思っている者です。
噓なく如何にホラを吹くか。そこを大切にしたいと思っています。
もう傷つきたくない。
そんな時、これまでわたしは嘘をついてきたと思います。
努力不足、能力が低い、才能がない、まだまだ修行が足りない、など。
傷つきたくないので、結果や過程に対して指摘されそうな言葉を先に自分から言います。
それがわたしの噓でした。
一見、謙虚さの現れとして取れるような噓。
言えば一瞬の気軽さと優越と解決をもたらした噓。
嘘をついたその後に元気をなくしたり怒りに変わるなどすることが特徴でした。
現状をただ見ていく。
そうであると認知する。
それが難しいとき、現実をうけとめられないとき、嘘をついてバランスをとります。
社会的なものと個人的なものとのバランスかもしれません。
事実を見ないようにすることで自我を保ちます。
または、事実と感情を同時に扱い都合よく現状を見ていきます。
それはもう、身の内を焼くような苦しさでした。
観察をすると、ものごとは流れていきました。
ものごとが静かに流れていっていて、ただそれだけでした。そこへ、好ましいよきものや緊張感や不安感を感じることもできるのだなとおもいました。
感情の伴わない傍観者のような意識を向けると、現状が変わると感じました。
物理の法則でも説明がつくとか。
淡々とただ見ることが難しかったとき、わたしの内外を恐怖と怒りと恥で見ていたとき、わたしは嘘をついていました。
傷つきたくなかったからでした。
燃える炎、浮かぶ雲、流れる水を見て、なぜだ!と怒ることがないのと同様に、わたしの内外をただ見ることをしていったとき、嘘をつくわたしを見つけて見つめる視点をようやく持てました。
嘘をつくわたしを見るわたしは、スピリチュアルではハイアーセルフと言うかもしれません。
懸命に嘘をつくわたしを、淡々と観察していったとき、わたしはもう傷つきたくないのだなとわかりました。
その後、何年もたち、わたしは嘘をつくよりもホラを吹こう!という図々しさを獲得し、元気な中年女性となれました。
ありがたいことです。
アマメヒカリ