日々是エッセイ【自分と会議】
同時に多数の場にわたしがいる、という感覚。
同時にというのはこの一点の今に繋がった感覚。
脳や想いのなかで映像をつくるというよりは、自分がふわっとした煙のように膨らんで感覚がどこまでも延びて行く感じで、多数の場にわたしがいるのを確認できた。
ふしぎの国のアリスのように、巨大化が進んで部屋のなかぎゅうぎゅうに感覚がのびていく。
外界を隔てる皮膚がほどけて内側から咲くようにも感じる。
熱が高いとき、一心に取り組んでいるときにこの感覚はおきた。自分を見失うので、わたしはここ?とよく自問したものだ。
部屋いっぱいに自分がひろがってしまう感覚には病の名前がついているそうだが、そういう見方もできるのだとおもう。
同時に多数の場にいるわたしは、それぞれ様々な音がする。
音を頼りに姿を付与するとはなしやすい。
だけど音だけでも大丈夫。
お互いに微笑む気配がある、それだけで情報はクロスして互いに有することができるようだ。
エンターテイメントとして個人的に使うのならばなんのもんだいもないこと。
真偽や再現性は、ここでは詮ないこと。
わかろうとすることを保留にすることで得ることは多い。
揺るぎのない間違いのない絶対的なものを渇望するその理由は意外とささいなもので、ひとことで言うならば安心したいことへの探求なのだと自分のことを振り返りそのように思う。
理解できないことへただ寄り添う、ただ観察する、ただ知ることは
幼い頃の自分から教えられたことのひとつだった。
複数の自分との会議はおもしろい。




