第五十四話 本音で
「入るわよ」
ガチャリと扉が開き、イルフリーデが部屋に入って来た。エルトールは椅子に座って、ぼうっと外を眺めている。彼女はどかっとベッドに腰かけて、
「直ぐに来ると思ったんだけど」そう言ってから、持ってきたワインに口を付けた。
「……場所、マヤに追わせてるわよ」と、付け加える。
「そうか」と、そっけない返事。ぼうっと窓の外に移る、道路を挟んで反対側の建物を見つめていた。何もやる気が起きなかった。居場所が分かっても、追う気になれない。アリサは、自分の元を出て行った。……あのアリサが。
イルフリーデは暫くして、「追う気は無いの?」と聞いて来た。
「……無理に連れ戻して、どうするんだ。アリサは自分の意思で出て行ったんだ。それを……」
「気の迷いって言葉を知ってる?」イルフリーデはやれやれと言った感じで、
「一時の感情的な行動というのは、よくある事よ。子供の突飛な行動なんて、捕まえて一晩寝かせればどうとでもなるでしょう」
エルトールは振り向いて、イルフリーデを睨んだ。
彼女は驚いて、「……どうしたのかしら? そんなに感情を表に出すなんて、珍しいわね」と呟いた。
エルトールもそんな自分の事を理解していたが、感情を抑えるどころでは無かった。頭に思い浮かぶのは、追放された時の事だった。他の賢者たちに囲まれ、味方も無く、研究成果はすべて奪われ……。
「……僕は、自分を信じてくれる人が欲しかった。アリサは、僕を信じてくれていると……思っていた」
いつの間にかエルトールは、喋り出していた。胸の内に渦巻く感情が、言葉になって溢れてくる。「けど、違ったな。アリサは僕に……何も相談してくれなかった。そして挙句の果てに……ここを出て行ったんだ。アリサでさえそうなら……誰が僕を信用してくれるんだ? これからどうやって、学校を造ればいい? 誰も僕を信用してくれないのなら……そんな中学校を造ったとして、そんなの、僕が造りたかった場所じゃない」
――理想の魔法学校を造る。今までその理念を背負い、頑張って来た。そして、とうとうここまで来た。その理想とは、才能を認められずに散って行く魔法使いのためだけではない。その学校は、エルトールの居場所となるはずだったのだ。
「……畜生っ……」
ドン、と机を叩く。居なくなってゆく。ブレンダも、テディも、リックも、イルフリーデも。誰も僕を信用していない。いつか見切りをつけて、居なくなってしまう。そうして、後に残されるのは……孤独な天才魔法使い。
「なんで……僕を頼ってくれないんだ……!」
それから、暫く沈黙。黙って話を聞いていたイルフリーデだが、ふと口を開き、
「エルは意外と寂しがり屋なのね」
と言って、くすくすと笑った。顔を上げると、イルフリーデは口元に手を当てて、笑顔を浮かべていた。まさか笑われるとは思っていなかったので、ちょっと困惑する。
イルフリーデはそのまま、「気持ちは分かるわ。私も友達は居なかったもの。力ある者は恐れられるか、崇められるか、そのどちらか。私もそうだった」エルトールはじっと彼女の金色の瞳を見る。そうだ、イルフリーデも、この国の賢者なんだった。
「それで私も、色々考えたのよ。何故恐れられるのか、崇められるのか。同じ人間だというのに。……それで、分かった」びっと、指を差してくる。
「彼らは私たちの内面を知らないから、そういった感情を抱くの。私たちが何で喜んで、何を悲しみ、何を恐れるかを知らない。だから周りからしたら私たちが力を持ったモンスターか、神のように見えるのよ」
「……内面を、知らない?」
こくりと頷くイルフリーデ。
「考えても見なさい。貴方はアリサの前で、ずっと師として振舞ってきた。一線を引いた存在としてね。向こうからしてみれば、それは重荷なのよ。常に自分が、天才魔法使いエルトールの弟子であると認識させられる。そんな中、決闘で無様に負けて見なさい。自分に失望してもおかしくないでしょう?」
エルトールは視線を落として、考えた。彼女から自分はどう映っていたのだろう。……しかし、分からない。自分はアリサでは無いのだ。彼女がどう思うかなんて、分かるはずがない。
「……じゃあ僕は、どうすればいいんだ」
イルフリーデは微笑んで、「今やったことをそのままやればいいじゃない。少なくとも私は、今までよりも貴方の内面を知れて嬉しく思っているわよ」
今、やった事……。ただ無様に、感情を垂れ流しただけなのだが。「それでいいのよ」と、イルフリーデは付け加えた。暫く逡巡してからエルトールは立ち上がり、扉の方へ向かった。行かなければならない。行って……取り合えず、話そう。
「……ありがとう」イルフリーデにそう言って、エルトールは部屋を出た。……それから少しして、彼は部屋に戻って来た。
「……場所を聞いてなかった」
「でしょうね」
真夜中の王都。アリサは王都外部の、草原を通る道を歩いていた。学園から飛び出した時も、この道を走ったのを覚えている。空には、憎たらしい程綺麗な星が輝いている。暫く歩いて、道端に座り込んだ。
「……またあたし、逃げちゃった……」
ナターリアからも逃げた。エルトールからも逃げた。そうやって何もかもから逃げ続ける。そんな自分に嫌気が差した。……だが、もうエルトールの元には居られない。あの人に自分は、ふさわしくない。弟子だなんておこがましかった。あれだけ力を貸してくれても、結局ナターリアに負けてしまった。
もう、自分は必要無い。エルトールには、イルフリーデも居る。生徒たちも居る。自分の存在意義は――。
「アリサ」
そんな時、声をかけられた。ハッとして立ち上がり、振り向く。そこにはいつの間にか、エルトールが現れていた。彼はそのまま、こちらに歩いて来ようとする。
「こ、来ないでください……」アリサは後ずさった。
「あたしはもう、貴方の傍にいる資格は……無いんですっ!!」エルトールは立ち止まり、そして、
「アリサッ!!」叫んだ。びくっと身体が震える。エルトールが叫んだ。その表情は、怒っている様に見える。エルトールが怒る姿なんて、始めて見た。
「逃げるのか?」エルトールは聞いてくる。「僕から、逃げるのか?」
アリサは俯いて、「……だって、仕方ないじゃないですか。あたしは、師匠にはふさわしく……」
「ふさわしいだとか、ふさわしくないだとか、そんなことはどうでもいいっ!!」もう一度叫び、今度は止まらずに近づいてくる。そのまま、両肩を掴まれた。
「誰がふさわしくないだなんて言った!? アリサ。僕たちの師弟の契約は、そんなことで切れるものだったのか!?」
アリサは首を振り、「だって……あたしは、負けたんですよ! ナターリアに……」
「それは君が、勝つ気で戦わなかったからだ」エルトールはしっかりと眼を見据えて言った。「ナターリアと同じ土台に立つことを、今みたいに恐れたんだろう。ふさわしくないと、自分自身を追い詰めて」
――ふさわしくない。これは王都学園に居る時、周囲からさんざん言われた言葉だった。ナターリアと親友だったアリサは、普通の劣等生よりも激しく疎外された。
そう……いつの間にかそうして、自分はナターリアにふさわしくないと思うようになっていたのだ。だから、逃げた。これ以上彼女を汚さないために。いつか、同じ土台に胸を張って上がるために。
「ナターリアから話は聞いた。そして、約束を取り付けて来た。ナターリアは、君と本気で戦う。手加減は一切なしだ」
アリサは目を見開いた。ナターリアが、自分と本気で……? しかしそれは――、
「か、勝てるはずありません! だってあたしは……」「僕を捨てるのか?」エルトールはアリサの言葉を遮った。その目には、涙が滲んでいた。「僕を……一人にするのか? どうしてだ? な、何がダメだった……?」
弱弱しい言葉で、すがってくる。アリサはそんな彼の様子に、心を揺さぶられていた。
「なあ……。僕は一人で、ここまで来られたと思うか? あの日、君に出会わなかったら……僕はきっと、今でも一人だった。君が居なくなれば、僕もきっといつか、一人になる。誰も信用できなく、なってしまう。アリサ、……お願いだ」
そうして、エルトールは小さな声で呟いた。「……行かないでくれ」
アリサはそんな彼を抱きしめた。……知らなかった。エルトールがそんなことを思っているだなんて。自分が居なくても、全て上手くやっていける人だと、思っていた。
「……ごめんなさい。師匠、……ごめんなさいっ……」
気づけばアリサも泣いていた。もう、一人で出ていくなんて考える事は出来なかった。ふさわしいとか、ふさわしくないとかは関係ないのだ。エルトールが自分を必要としてくれている。それが分かっただけで、戦える。ナターリアに、立ち向かえる。
そうして満天の星空の下、二人は一晩中そこで抱き合っていた。




