第五十三話 ナターリア
言葉通り、学校を早めに切り上げて後をイルフリーデに任せ、エルトールは家を出た。
そのまま街中を歩き、橋を渡って中心部の方へ向かう。暫く巨大な通りを歩いていると、レンガ造りのなんだか特別綺麗に舗装された道を見付けた。そこには門があって、脇には『王都魔法学園』の文字が彫られている。
ローブを着た生徒たちが、その門からぞろぞろと出て行くところだった。
エルトールはすぐさま透明化を発動し、脇に移動した。合宿に来ていた生徒には、こちらの顔が知られている。もし見つかれば、面倒なことになるのは容易に想像できた。これで簡単にナターリアが出てきてくれれば楽だったのだが……、
期待に反して、彼女が学校から出てきたのは空が暗くなり始めてからだった。そろそろ切り上げようかと考えていた時、門を抜けて目的の少女が出てきたのである。はぁ、とため息をついて、エルトールの前を通り過ぎようとした。
「ちょっといいかい?」
透明化を解いて声をかけると、ばっと驚いて杖を向けて来た。
「誰?」ナターリアは目を丸くして、こっちの顔を確認した。そして、「一体どこから……感知、出来なかった……」
エルトールは両手を上げたまま、
「君を待っていたんだ。アリサの事で、ちょっと聞きたいことがあって」
顔をしかめた彼女だったが、どうやら興味を引けたらしい。「……付いてきて」ナターリアはそう言って、こちらを先導し始めた。
そうして連れてこられたのは、中心街から庶民街よりもさらに外れにある、王都の一番端の区画にある建造物だった。歩くたびどんどん人気が薄れてきて、次第にボロ着を着た物乞いなんかも目立つようになってきた。ナターリアはそれに目もくれず歩き続け、そしてその建物の三階の扉を開いた。
「……入って」促されるが、少し躊躇する。
「……僕から声をかけといてなんだけど、殆ど初対面の大人を部屋に入れるのは――ちょっと待って、分かった。入るよ」どんどん扉が閉まっていったので、エルトールは慌てて身体を滑り込ませた。
ナターリアが魔法で、部屋のランプに明かりを点けた。ぱっと薄暗い光で照らされる。部屋はとても寂れた様子だった。二つのベッドが狭苦しく設置され、その間に机がある。
ナターリアはベッドに腰かけて、こっちを見た。炎の光を受けて、金髪がキラキラしている。こうして対面するのは、ついこの間、彼女の元までリックを助けてもらった礼をしに行ったときぶりだ。
「それで、聞きたいことって何」ナターリアは髪を払ってから聞いて来た。
「君とアリサの関係についてだ」すかさず答えた。ナターリアは簡潔に、「親友」と答えた。「アリサは、私の一番の友達。それ以外にない」
親友……? アリサと、この子が?
「……本当なのか?」ナターリアは無感情な目でこっちを見て来た。「アリサと私は、二人で学校に通うために村から出てきた。ここで、ずっと一緒に暮らしていた」
自然と、ナターリアが座っていない方のベッドへ視線が行く。ここにアリサは住んでいた。ナターリアと一緒に。しかしアリサはそんな事、一言も口にしなかった。確かにナターリアの様子から友人関係であったことは推測できたが、まさかそれほどの仲とは。
「それなのに……」
ナターリアはそう言って、こちらを指さしてきた。「あなたが奪った」バチリと魔力が迸る。
ランプの灯が掻き消え、そこから部屋がぎしぎし揺れ始めた。彼女の中にある膨大な魔力が、感情の高ぶりによって空間を揺さぶっているのだ。
明かりが無いはずなのに、光の粒子が輝き始める。エルトールの陰が、ぐるぐると部屋中を回った。
……これほどの力があるというのに、魔力の制御が出来ていない。
ナターリアの碧眼が、爛々と輝いている。エルトールはふう、と息を付いて、その目を見返した。――そのとたん、
「……っ!?」ナターリアが目を見開く。部屋の空気が一瞬にして元に戻った。空間の歪みが無理やり元に戻され、光も落ち着いてゆく。ナターリアは自分の身体を抱きしめて、良く分からない感覚に震えた。エルトールは気にせず、もう一度ランプに火をともす。
「悪いけど、魔力を抑え込ませてもらったよ。僕らはちゃんと話をしなきゃいけないみたいだからね」
ナターリアは、今度は警戒した様子で立ち上がった。どうやら部屋に呼んだのも、自身の魔法に対する自信があったかららしい。襲い掛かられても対処できるだろうと高をくくっていたのだ。
「……何が知りたいの」
「君の話は分かった。しかし、不明なところがあるんだ。何故アリサは君の元を離れたのか」
「それは、あなたが奪ったから――」
エルトールは遮り、「それは違う。僕とアリサは王国の辺境の村で出会った。その時にはすでに、学園を抜け出してきている。僕の知る限りでは、あの場所に嫌気が差したから出てきたという事だったけれど」
ナターリアはそれを聞いて、顔を背けた。「……アリサが私を置いていくはずない」
……どうやらこの子は、本当にアリサの事を友達だと思っているらしい。そこにやましい感情は無いようだ。この子には少し酷だが、もっと二人の関係に踏み込むしかあるまい。
「だがアリサは、君の事を苦手としているようだった」
それを聞いたナターリアは立ち上がって、杖を構えて来た。「そんなはずはない」しかし杖先は震えている。
「何か、思い当たる節があるんじゃないのかい」
暫くそのまま杖を構えていた彼女だったが、諦めたように杖を降ろした。
「……もしかしたら」
そうして話し始めた。ナターリアとアリサ。二人はやはり、故郷の村からずっと一緒に育ってきた幼馴染だったようだ。その関係はアリサにナターリアが付いてゆくと言った感じで、自分を引っ張ってくれるアリサを、彼女は本当に大切に思っていたらしい。しかし王都魔法学園に入ってからは、その関係にヒビが入った。
ナターリアは百年に一人の天才と呼ばれ、もてはやされた。対してアリサは落第寸前の落ちこぼれとして、みんなから疎まれていった。それでも二人は一緒に居ようとしたが、周りはそれを許さなくなっていった。
「……でも、この部屋でだけはずっと元の関係で居られた。それなのに……ある日、突然アリサは居なくなった」ナターリアは悲し気に呟いた。
――なるほど。何となく、分かった気がする。アリサが学園を出なければならなかった理由は、学園それ自体だけでは無かったのだ。
このナターリアという少女が、もう一つの理由なのだろう。アリサは弟子になりたいと言ってきた時、『強くならなければならない』と言った。それはきっと、学園を見返すという意味ではなく……、
『ナターリアと対等になりたい』
そんな願いが込められていたのではないか。だから決闘の時、「怪我をさせないようにする」と聞いて、調子を崩してしまったのだ。自分が対等にみられていないと、改めて思い知らされて。
「……なるほどね」
「何か、分かったの?」
ナターリアが探るように聞いてくる。だがその前に、確かめなければならない。
「君はアリサの事を、対等に思っているかい?」
その質問に、彼女は首を傾げた。「勿論。親友だから」
「では何故、手を抜くようなことを言ったんだ?」ナターリアはハッとして、目を逸らした。
「……怪我は、させたくなかったから」
「それはつまり、アリサが自分に勝てるはずは無いと思っているわけだ」
「違う。それは――」
ナターリアは何か言おうとしたが、辞めた。
「……そうかも、しれない」……認めてくれたのなら、話は早い。
エルトールは彼女の肩に手を置き、「ナターリア。もしアリサと仲直りしたいんだったら、次の競技大会は、全力でアリサと戦ってほしい」
ナターリアは手を振り払った。
「それは出来ない。全力を出したら……殺してしまうかもしれない」
その手首を掴む。「アリサを舐めるな。彼女は強い。君が全力を出したとて、死ぬようなタマじゃない」
ナターリアは振りほどこうと抵抗するが、エルトールは魔力を操作して向こうの魔法行使を全て妨害してしまった。魔法が発動できず、単純に力負けしたナターリアは、諦めて力を抜く。
「……それで、全力で戦えと?」
「ああ、そうだ」エルトールは真っすぐに見返した。「手加減も、気遣いもいらない。君の出来る限りの力を以て、アリサと戦ってほしい」
部屋はしばらく、沈黙に包まれた。ナターリアはその間、ずっとこちらの目を覗き込んでいた。エルトールもまた同じだった。こっちは本気だと、視線で訴えかけた。――暫くして、
「……分かった。それでアリサと仲直りできるなら、そうする」
とうとう根負けしたナターリアが、そう返答した。
交渉を終えたエルトールは、建物を出て、庶民街の方へ戻っていった。賑やかな通りを歩くと、度々声をかけられる。「競技大会、見に行くからな!」「頼んだぞ! 庶民街の星!」と、何かと野菜やらお酒を渡された。
両手をいっぱいにして一階へ戻る。イルフリーデも部屋に戻ったらしく、部屋には誰も居なかった。
荷物を置いてから、今度は階段を三階まで登った。取り合えず、ナターリアと話したことを伝えよう。彼女は全力で相手をしてくれる。それで戦意を取り戻してくれれば――。
「……アリサ?」
しかし、エルトールはその場で立ちすくんだ。部屋の中から人の気配がしない。扉を開くと、ベッドはもぬけの空だった。机の上には、『ごめんなさい、師匠』と書かれた紙が置いてあった。




