第二話 旅立ち
エルトールはその場で、魔法の使用を妨害する首輪を付けられた。
裁判が終了し、ぞろぞろと賢者たちがホールを出て行く。
エルトールも制服を着た帝国兵に連れられ、正面玄関へ向かった。
そこに待っていたのは、大量の市民たちだった。ガヤガヤと入り口を埋め尽くした市民は、エルトールの姿を見ようと固まっている。
「道を開けろ!」と兵士が叫ぶと、少しずつ道が開いた。
市民の間を進んでゆくと、途中で足を引っかけられた。
思わず転ぶエルトール。すると堰を切ったように市民がエルトールへ足を振り下ろしてきた。
「やれ! やれ! そいつは犯罪者だ! 遠慮はいらねえ!」と誰かが叫ぶ。「血だ! 血を見せろっ!」「殺せ! 殺しちまえっ!」
興奮した様子の市民たちの足が、エルトールを蹴ったり踏みつけたりする。全身に鋭い痛みが走り、息が出来なくなった。
ぼんやりと無数の靴を眺めながら、エルトールは考えた。
自分は一体、何をしていたのだろう。少しでもこの国が発展するようにと、魔法の研究を進めてきた。そしてその恩恵を一番受けた彼らは、今、自分を踏みつけている。
……最早悲しみさえも湧かなかった。
市民の興奮が収まる頃には、エルトールはボロボロだった。
そのまま傍観していた兵士たちに連れられ、帝国魔法学園へ向かう。
すると、今度は学園の生徒たちが集まってエルトールを待ち構えていた。じろじろと視線を感じながら、建物に入る。そして自分の研究室へ向かった。
校舎の片隅にある、小さな部屋。そこがエルトールの研究室だったが、すでに壁のプレートは剥がされていた。
扉を開けると、そこには何もなかった。散らばっていた研究資料も、開発中だった魔石も、自分の書いた本も、何もかも。
全部、持って行かれた。恐らくこれも目的だったのだろう。エルトールの研究を回収し、さらにその功績を搾り取る。彼は静かに扉を閉じ、ふぅ、と息を付いた。
そしてとうとう学園を出るとき。また生徒たちの間を通って、ゲートへ向かう。
「……出てけ!! このエセ賢者っ!!」
誰かが叫んで、石を投げつけてきた。それに呼応して、他の生徒たちも石を投げてくる。
……恨みはすまい。彼らもまた被害者だ。こんな腐敗した学校で学んでいれば、彼ら自身も腐ってしまうに決まっている。
だがそんな中、「エル先生っ!!」と声が聞こえてきた。
思わず振り向くと、生徒の群衆の中から、十人ほどの生徒たちが飛び出して、こちらに走り寄ってきていた。
その顔ぶれには見覚えがある。自分の持っている研究室の生徒たちだ。
彼らはエルトールの元へやって来ると、「行かないでください!」と涙ながらに訴えきた。
「先生! この学校でまともなのは先生だけですっ! 先生がいなくなったら……私たち、どうすればいいんですかっ!?」
エルトールは全員を見回して、首を振った。
「……僕はダメだ。もうここには居られない。君たちも、妙なことはせずに、きちんと学校生活を送りなさい。それが君たちのためだ」
「納得できませんっ!! だって、先生は……すごい事を、いっぱい成し遂げてきたじゃないですか!」
「……この国では僕は認められなかった。それだけだ」
振り向いて、生徒たちに背を向ける。引き留めてくれたことは嬉しい。
だが、自分のせいで彼らにまで迷惑をかけるのかもしれないと思うと、これ以上親しくするわけには行かなかった。
だが、そんな背中に、もう一度声がかけられた。
「先生! 私たち、待ってますから!」
立ち止まって振り向くと、みんなは自分を信じ切った表情で頷いた。思わずじんとくる。君たちはまだ、僕を信じてくれるのか。
……これからどうするかなんて、何も考えていなかった。魔法が使えないというのなら、この国には居られない。しかし別の国へ渡ったとして、どうするというのか。また同じことが起こるくらいなら、山奥に引きこもって一人で居る方がいいとまで考えていた。
――だが、ここまで言ってくれる彼らを放っては置けない。
エルトールは小さく笑って、「分かったよ。……全く」と返した。
学園を出たエルトールは、そのまま帝都を抜け、人里離れた場所まで馬車に乗せてもらった。
小麦畑の間を、がらがらと馬車が進んでゆく。帝都の街並みは後方に小さくなって言った。
あの大都市から離れるのも二十年ぶりだ。そう考えると、今まで自分が巨大な監獄に囚われていたような気がしてくる。
空は晴れ渡っていて、夕暮れが美しい色を描いている。
エルトールは馬車の主に声をかけて、金をいくらか払い、降ろしてもらった。
「いいんですかい? 次の宿屋までは結構歩きますよ?」と声をかけられたので、
「大丈夫です」と返す。
そのまま馬車が遠くへ消えて行くのを見送ってから、早速自分の首に付いている首輪に触れた。
「解除」唱えると、指先に稲妻が光り、それがバチバチと首輪に広がっていった。
バチン! と音が鳴って、首輪が外れる。エルトールは首輪を畑へ放り投げた。
「全く。開発者本人にこれを付けてどうするっていうんだ?」
呆れたように呟き、首をコキコキと鳴らす。この魔法を禁止する首輪も、エルトールが開発したものだった。当然、完成直前で他の賢者に奪われたが。
エルトールは自分がぼろぼろであることに気づき、治癒魔法「治癒」で治療した。全身の傷が一瞬で完治する。
さてそれから、エルトールは指をスッと縦に振り、「門」と呟いた。
すると彼の目の前に亀裂が走り、ドンドン大きくなって人が通れるほどになった。
その中に入ると、真っ暗な暗闇が広がっている。ぼうっと魔法で光の球を出現させると、一面が見渡せるようになった。
そこは、石の壁に囲まれた一室。部屋の中には、奪われたはずのエルトールの研究資料や本、私物などの全てが保管されていた。
それを見て、ぶふっと噴き出すエルトール。
「奴ら、最後まですり替えに気づかなかったな」
――そう。エルトールの部屋の私物はすでに、こちらの異空間に避難済み。
奴らは魔法で作られた張りぼてを嬉々として奪っていったのだ。
今頃、奪った文章の内容が全部でたらめな事に気づいて大慌てしているだろうか。それとも、気づかずに信じ込んでしまうだろうか? まあ、どっちでもいいが。
彼らはどこかに隠されたエルトールの研究資料を探そうとするだろう。だが、何をやっても見付けることは出来ない。異空間魔法は、エルトールの開発した魔法の中でもとっておきだったので、その存在を誰にも知らせなかったのだ。
エルトールは乱雑に置かれた研究資料などの山に手を突っ込んで、中から愛用の箒を取り出し、さらに踏んだり蹴ったり石を投げつけられたりでボロボロにされたローブを着替えた。
諸々の支度を終える頃には、陽は沈みかけ、空には月が登り始めていた。
丁度いい。まあ追って来られるようなことは無いだろうが、昼よりも夜に旅立つ方が安全性が高い。
エルトールはどこかワクワクしながら、箒に跨った。
そして地面を蹴り上げ、大きく飛び上がる。
下の小麦畑がみるみる小さくなり、帝都を見下ろせるほどまで上昇した。広大な敷地に、壮麗な建物が並ぶ世界一の大都市……。
居住歴の二十年間に及ぶ第二の故郷に別れを告げ、エルトールは進路を北に進み始めた。
目指すは、帝国の北に位置する国、ユリシア王国。
「――そこで僕は、理想の魔法学校を作る」
ユリシア王国がダメなら別の国で。そこでもダメならまた別の国。
とにかく、諦めるという選択肢は無い。権力も金も関係ない、皆が等しく、魔法で高みを目指せるような学校を作り上げる。絶対に、作り上げてみせる。
彼の旅は始まった。
そしてこれは、世界の中心とまで言われる事になる魔法学校の始まりでもあり、魔法大国と呼ばれた帝国の、没落の始まりでもあったのである。
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