009_商人モーリスと護衛たち
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009_商人モーリスと護衛たち
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ジュンはシャル婆さんが用意した本を、毎日読んだ。
そして5日が経過し、家に近づいてくる複数の人の足音を耳が捉えた。
足音をよく聞き分けると、10人居ない程度の集団である。商人は10人程の護衛を雇って、いつもやって来ると聞いていたので、数が少し少ないと思いつつシャル婆さんの作業部屋の前へ行く。
「シャル婆さん。商人が来たみたいだよ」
「あいよ」
作業部屋の扉越しに声をかける。入ってはいけないと言われているので、この作業部屋に入ったことはない。
1分もたたないうちにシャル婆さんは出てきた。窓越しに外を見ると、商人たちと思われる一団の姿が現れた。
「お茶を淹れてやってくれるかい」
「はい。全員分でいいですか」
窓から見える人影をさっと数えると、人数は13人と分かった。足音を立てずに歩く人が数人混じっていたのだ。聴覚強化Lv1程度では聞こえないことも多いだろうが、それでも凄いと感心するジュンだった。
「そんなに要らないよ。商人と護衛が2人家に入ってくるけど、お茶はあたしと商人だけでいいからね」
「それなら、護衛の人たちには酒でも出しますか?」
「ハハハ。たまにはいいかもね。話がついた後で1杯だけ出しておやり」
「はい」
コンッココンッ。コンッココンッ。独特のリズムで商人が扉をノックした。
商人がシャル婆さんの家を訪れた時のノックの仕方である。これ以外のノック音では、扉を開けることはない。
「開いてるよ。お入り」
シャル婆さんが許可すると、扉が開く。
「お久しぶりです。シャルマーネ様」
働き盛りといった商人が、屈強な2人の護衛を連れて入ってきた。
商人の頭の上には垂れた耳があり、柔和な笑みをシャル婆さんへ向けている。
護衛は毎回商人と共に家の中に入って来るが、一切喋らない。
「2カ月ぴったりだね、モーリス」
商人のモーリスは、10年ほど前からシャル婆さんの家に通う商人である。
ジュンは知らないが、シャル婆さんは魔道具界では知る人ぞ知る人物なので、モーリスはシャル婆さんに認められるまで3年もかかった。
その甲斐あって、今ではシャル婆さんの魔道具を扱い、商人として大きくなって大商人と言われるほどになっている。
「シャルマーネ様との約束は何を置いても優先されます」
「そうかい。まあ、お座り」
「はい。失礼します」
モーリスが椅子に座ると、タイミングよくジュンがお茶を持ってきた。
いつもはシャル婆さん以外に人が居ないこの家で、お茶を持ってきたジュンは異質。護衛の2人は剣の柄に手をかけた。
「お待ち。この子は良いんだよ」
シャル婆さんのその言葉で、モーリスが護衛たちに頷く。
「お茶をどうぞ」
ジュンはぴりついた空気の中、シャル婆さん、商人の順にお茶を置いていく。
「お弟子さんですかな?」
「ただの居候さね」
ジュンは商人と護衛に頭を下げた。
「ジュンと言います」
「私は商人のモーリスと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。ジュン様」
「僕はただのジュンです。様なんて要りませんので、呼び捨てにしてください」
モーリスはお茶を飲んでいるシャル婆さんを、ちらりと見る。
シャル婆さんのイメージは『気難しい』である。
モーリスが知る限り、シャル婆さんは50年以上魔道具師界に君臨しているが、弟子はたった3人しか居ない。
そして、10年間この家に通っているが、一度たりとも他の者を見たことはない。
これまでシャル婆さんが誰かをそばに置くようなことは、3人の弟子以外になかった。しかも、この十数年は弟子を取っていない。
そんなシャル婆さんが居候を置いていることに、モーリスは違和感を感じて思考をフル回転させた。
ジュンとシャル婆さんの関係性は孫。もしくは、曾孫。それに近い何か。
つまり、もしジュンの扱いを間違えた場合、シャル婆さんの機嫌を損ねる可能性がある。そう判断したモーリスであった。
「それでは、ジュンさんということで」
「さんも要らないのですけど……」
「ジュン。それでいいじゃないか」
「……分かりました」
ジュンはそれで引き下がり、シャル婆さんの後ろに立った。
「さて、商談を始めようかね」
「はい。お願いいたします」
モーリスが持ってきた食料などを、シャル婆さんが購入する話から入った。
ジュンもそれなりに小麦の値段を知っているが、モーリスが提示した金額はかなり割高な額だ。
しかし、ここが魔の森の中だということを考えれば、妥当というよりはかなり安いのかもと感じた。
そもそも、護衛を12人も雇い、この魔の森の中を2日かけてやって来るのだから、高くて当然だろうと。
ただし、ジュンはシャル婆さんが魔道具の職人だと思っている。伝説的な魔道具師だとは、考えてもいない。
だから、モーリスが知り合いの魔道具職人のために、ボランティアに近い考えでここまでやって来ているんだと思った。
この2人は、共に間違った考えをしていた。
いや、共に知らないため、勘違いしているのであった。
モーリスと12人の護衛たちは、シャル婆さんの家で一晩を明かすことに。
これはいつものことでモーリスは家の中に泊れるが、護衛たちは庭でテントを張る。
庭でテントを張っている護衛たちに、ジュンが酒を持っていく。モーリスも1杯だけなら構わないと許可した。
「これはありがたい。いただくぜ」
護衛たちのリーダーであるルディオは、オオカミの獣人で年齢は50近い。
モーリスの専属護衛の隊長で、元々はAランク冒険者をしていた人物だ。
Aランク冒険者はレベルで言うと、51から70程度。レベル6のジュンからしたら、雲の上のような存在である。
「お前、ジュンだったな?」
「はい。ジュンと言います」
「本気でダンジョン都市に行くのか?」
「そのつもりです」
「なら、年長者から1つだけ忠告だ」
忠告を聞けるとは思っていなかったので、ジュンは背筋を伸ばして耳を傾けた。
「はい、お聞かせください」
「最初は自分以外を信じるな」
「え?」
「ダンジョンに入るには、冒険者になる必要がある。これは知っているな?」
「はい」
「冒険者ってのは、半端者が多い。つまり、素行が悪い奴が多いんだ」
「………」
「ダンジョンの中で誰かを傷つけ、何かを奪うってことも平気でやる奴が、少なからず居る」
「………」
「冒険者になったらパーティーを組むかもしれないが、そのパーティーの仲間を殺す奴だって居る。だから、信用できる奴を見極めろ。その目を養え」
それほど殺伐とした世界だとは思ってもいなかっただけに、ショックを受けた。
しかし、自分に自信が持てるようになるためにも、ダンジョン都市に行って冒険者になってレベルをあげて、何よりもCHSCを稼ぎたい。
「はい。そうします」
「まあ、奴隷を買えば、裏切られることはないがな」
「ど、奴隷ですか……」
「奴隷が主人に危害を加えることは、禁止されているからな」
「そうだぜ、女の奴隷なら夜の世話もしてくれるぜ。ガハハハ」
「ゲッツは黙ってろ」
「へーい」
30歳ほどの虎獣人のゲッツが獰猛な牙を見せて笑うのを、ルディオが窘めた。
護衛は元冒険者か現役の冒険者が多い。先程のゲッツのようにどうしても言動が下品になりやすいが、基本的には気の良い者たちだ。
しかし、ゲッツは冒険者ではなく、騎士上がりの護衛である。元々は国に仕えていた騎士だったのだが、このガサツな性格では堅苦しい騎士団に合わなかったため、早々に退役してモーリスの専属護衛になった。
「こいつらだって、元はそこら辺のゴロツキと変わりない奴らだったんだぜ。今でもゴロツキに毛が生えたような奴らだ」
「そりゃねーぜ」
「俺たちは金には忠実だぜ!」
「ハハハ、ちげーねぇ」
護衛たちが大笑いする。だが、嫌な笑いではなく、楽しい笑いだとジュンは感じた。
「とにかく、ジュンが信用できると判断した奴以外は、絶対に信じるな。ダンジョンの中で近づいてくる奴は敵だと思え。いいな」
「はい。肝に銘じておきます」
「それでいい。それじゃあ、酒をありがとうよ」
ジュンが持つと大きく見えるグラスも、ルディオが持つと小さく見える。そのグラスに入った酒をグイッと呷った。
「カーッ、うめぇ!」
ルディオは冒険者によって殺された冒険者を多く見てきた。
そういった経験から、ジュンのような頼りなさそうな子供は餌食になりやすいと知っている。
この年になると、こういった殺伐とした世界に身を置くことに嫌気が差すことがある。だが、この世界しか知らない。他の生き方はできないのだ。