その5:図書室には秘密の地下室がある(1/3)
今度は地面の下シリーズですか? うちの高校の七不思議って、かなり偏っていますね。まさにアングラ、アンダーグラウンドです。
アングラって非公式とか非合法とか悪いイメージがありますが、芸術分野、特に演劇とかでは商業性を無視した独自的・実験的・前衛的な作品のことを差すんです。知っていましたか?
つまり、内容の偏ったうちの高校の七不思議のことです。
アングラ談義はこのくらいにして、今回の七不思議についてお話しますね。
寄り道も過ぎたあたしが豆乳の1リットルパックにストローを差して飲みながら美術室へ向かうと、室内は異様な雰囲気に包まれていました。
うちの美術部が異様な雰囲気ですよ? ただでさえ変人ぞろいで常識知らずの空間が異様とか、カオスを通り越してサイケデリックです。――あれ? 確立されたジャンルになってますね。じゃあ問題ないです。
部長と正面から対峙しているのは、黄色いセーラー服を着たショートボブの少女です。学年ごとに色の違う制服ですけど、黄色は特別な制服で、生徒会のメンバーしか着ることができません。いわゆるお偉いさんの権威の象徴です。
まあ、他にもセーラー服の大きな襟を立てているとか、樫の木でできた西洋の魔女が持っていそうな杖を持っていたりとか、他に特筆することもありますけど、それは生徒会のメンバーが全員そうではなく、この人独自のスタイルだと思います。
そういえば知っていますか? セーラー服はもともと水兵さん、すなわちsailorの制服であるのが由来で、風の強い戦場でも指示の声が聴きとれるように大きな襟を立てて風除けにしたり、出血しても縛って応急処置ができるようにスカーフを巻いていたりするんです。それが、どうして女学生の制服に採用されたのかは、あたしは知りません。
よく見ると、生徒会の人、右手首にパープルのスカーフを巻いています。出血しちゃったのでしょうか。
対する部長は相変わらずスカートのポッケに手を入れて美術室特有の木製の机に座り、不満そうで退屈そうな顔をしたまま生徒会の人を見つめています。額に『人』ってサインペンで書いていなければ迫力あります。ラクガキだらけの制服でなければ威厳では負けていません。
「あら、あずきさん、豆乳を飲んでいるのですね。珍しいですね」
空気を全く読まずに美術室に入ったあたしに、同じように副部長がふんわりした笑顔を見せながら話しかけてきました。
副部長の梶原先輩はスイーツマイスターとも呼べる人で、スイーツを作るのも食べるのも大好きです。副部長の作る作品は全部食べられます。それぐらいスイーツマイスターです。コンクールに出品した絵が美術館に飾られた時、来場した子供たちにあちこち食べられて大変だったという話を聞いたことがあります。
とはいえ、あたしが豆乳を飲んでいる理由を話すのは少し照れ臭いのでごまかします。
「副部長は豆乳とか飲まないんですか?」
「単体ではあまり飲みませんわ。スイーツで使うときはミルクと置き換えて使うことが多いです。風味が変わって楽しいのですけど、酵母の働きが変わったり、食材との相性があったりと、なかなか難しいのです。ビーガンスイーツではよく豆乳にお世話になりますわ」
「ビーガン? って何ですか?」
「ああ、菜食主義者の中でも厳格な人たちのことです。肉や魚はもちろん、バターやミルク、ヨーグルトといった乳製品や卵も食べない人たちです」
「へぇー、すごいですね。あたし、ちょっとそういう生活は遠慮したいです」
「ビーガン食は健康に気を使う人だけじゃなくて、アレルギーのある人や宗教上の理由で食べ物に制限がある人たちにも注目されているのです。最近は普通のスイーツに負けないくらい濃厚でおいしいビーガンスイーツもありますので、一度ご賞味してみてはいかがですか?」
「ぜひぜひ! 副部長、作ってください!」
「もちろんですわ。そういえば、写真でよろしければ以前コンクールに出品したビーガンスイーツもありますけど、ご覧になりますか?」
「ええ! 見たいです!」
「ひなたさん、部長の話に混ざらなくて大丈夫なんですか?」
盛り上がっているあたしと副部長の話に、秋月先輩が横やりを入れてきました。全然大丈夫じゃないです。むしろ、すでに生まれた時と同じ格好をしている秋月先輩の方が大丈夫でしょうか。
まあ、異様な雰囲気を無視して副部長とのちょっと理知的なガールズトークをしたあたしにも少しだけ責任があるかもしれません。少しだけですよ、少しだけ。
「では、宜しく頼む」
「へーへー」
なんだか、もうお偉いさん型のお話は終わってしまったみたいです。生徒会の人の声は、小さくても威厳のある迫力のある声でした。対する部長は叱られても反省しない悪ガキのような生返事でした。
そして、個気味良い音を立てて樫の木の杖をつきながら生徒会の人は美術室から出て行ってしまいました。
「部長、今のは?」
「ああ、堅ブツ図書委員長のことか? 図書室の蔵書整理と校内クラウドのデジタル資料整理の依頼だと」
「雑務を押し付けられたわけですか」
部長がめんどくさげなため息をこぼしました。あたしも同じ気持ちです。
蔵書整理の手伝いは分かります。専門性の高い資料や書物は図書委員でも保管すべきかどうかの判断に迷うため、専門知識のある部活に委任するのです。美術史の本や画集、絵本なんかは美術部に割り当てられることが多いです。
加えて、うちの高校には校内LANから接続できるクラウドがあって、年間行事の写真や学内資料なんかが保存されていて、誰でも閲覧できるようになっています。その管理も図書委員が担っていて、蔵書整理と同じように専門的な資料の整理を専門性の高い部活に委任してくるのです。
ざっくり言うと、部活は委員会の下請けなのです。
しかし、図書委員も図書室の管理だけでなく、クラウドの運用から人体模型の呪いの封印までやるなんて、業務の幅が広すぎます。デジタルとオカルトという両極端の最先端を走っています。どうせ呪いの封印は遊びでしょうけど。
「ということだ。ひなたとあずき、悪いが今から図書室に行ってきてくれないか?」
「あ、これですわ、ビーガンスイーツの写真」
副部長が差し出してきたスマホを覗くと、かわいくておいしそうな、つまりかわおいしそうなクマの形をした人形のようなスイーツの写真が表示されていました。
「わぁっ! かわおいしそうなクマですね! シャケを加えています! これ、もしかしてチョコレートですか?」
「ええ、よく分かりましたね。ミルクはもちろん、上白糖も使えないので苦労しましたわ。代わりにココナッツミルクと甜菜糖を使って作ったので、甘くておいしい上にビーガンも食べられるオーガニックなチョコレートなのです」
「えっ? ミルクは何となく分かりますけど、上白糖はなんでダメなんですか?」
「ビーガンは動物を虐待したり搾取したりしてできた食べ物もタブーなんです。上白糖はサトウキビを精練して作るんですけど、その時に骨炭でろ過をするんです。骨炭は動物の骨が原料ですから、ビーガンはそれを用いて作る上白糖も避けるんです。他にも、蜂を使役したり搾取したりして作るはちみつや、動物の骨や皮から作られるゼラチンも避けるので、メープルシロップや寒天を代わりにするなど、ビーガンスイーツにはコツがいるのです」
「へぇー、奥深いんですね! またこの副部長の作品のタイトルが『食物連鎖』ってのも芸術的ですよね! 一見すると単純にクマがシャケを食べているところですけど、クマもシャケもビーガンチョコレートでできているところが副部長のセンスが光ります! 弱肉強食の世界でみんな植物由来のオーガニック食品を食べる、そこに食べられる弱者はいない、そんな副部長のメッセージにしびれます!」
「ありがとう。今度、あずきさんにもビーガンチョコレート作ってあげますわ」
「ありがとうございます!」
「って私の話を聞けっ!」
またまたあたしと副部長の理知的なガールズトークに邪魔が入ってきました。部長の虫の居所が非常に悪そうです。
「もういい! あずき、お前は鈴木と図書室に行ってこい!」
「あの、あたし秋月ですけど」
「ええーっ! あたし、秋月先輩に恨みはないですけど、副部長と一緒に行きたいです! もっとビーガンスイーツについて教えてほしいです!」
「まあ! 興味を持ってくれてうれしいですわ!」
「大丈夫! 代わりにあたしが大自然と共に生きる生活を教えてあげるから!」
「先輩は大自然というか全裸なだけです」
「ええい! お前らうるさい!」
部長の逆鱗がついに最高潮になりました。
このままヒートアップされても困るので、粛々と図書室に行くメンバーを選出することにしました。じゃんけんで。