その3:音楽室のピアノが勝手に動く(2/2)
「音楽室にあるグランドピアノは創立当初からずっとあった年季の入ったピアノなのですけど、何十年ものあいだ調律と修理を繰り返して今でも元気で活躍していますよね?
長く愛用されたものには命が宿る、と言いますけど、ある時期からそのピアノには命が宿っているという噂が急に立ち始めたのです。
ちょうどその頃、とあるピアノ好きな生徒さんがいて、放課後になると毎日のように音楽室に通ってはそのグランドピアノを弾いていたそうです。
ピアノを弾いている間は日常の嫌なことが頭から消えて、とても楽しい気持ちになったそうです。
ただ、1つ問題があって、その生徒さんはピアノは好きでしたけど、実はお世辞にも上手とは言えない腕前だったみたいです。
ある日、その生徒さんがいつものようにピアノを弾こうと思って鍵盤のふたを開けて椅子に座ったのです。
そしたら、風もないのに急にバタンと鍵盤のふたが閉じたそうです。いくら開けようと手に力を込めてもびくとも動かないのです。
けれど、椅子から立ち上がると、何事もなかったかのように鍵盤のふたを簡単に開けることができるのです。そして、また椅子に座れば同じように急にふたが閉じるのです。
その生徒さんにとってはピアノを弾くことがストレス発散になっていたのでしょうけど、毎日のように下手な旋律を聞かされるグランドピアノにとってはたまらなかったのでしょうね。彼女に弾かせまいと、椅子に座るたびに鍵盤のふたを勝手に閉めるのです。
その日を境に、その生徒さんは立ってピアノを弾くようになったそうです」
鷹野原先輩はそこで話を切って、すっかり冷めてしまった、彼女にとって適温になったラーメンを食べ始めました。
静まり返った食堂に、ずずずっ、というラーメンをすする音が響きます。それでも、鷹野原先輩はとても上品にラーメンを食べています。
「……もしかして、終わりですか?」
沈黙に耐えかねたあたしは、聞いてしまいました。
「ええ、おしまいです」
笑顔を見せた鷹野原先輩は上品かつおいしそうにラーメンを食べます。
再び静寂の中、鷹野原先輩の上品なずずずっ音があたりを満たしていきます。
この空気、ヤバいです!
何だかものすごく悪いことをしてしまった気分になります。1年D組食べ物3人娘はこういう沈黙に弱いのです。
そもそも、ひとりでに動くピアノといったら、夜中に月光やエリーゼのためにを引いたりするのではないでしょうか? それを何度も聞くと呪われる、とかじゃないんでしょうか?
「でも、後日談とかないんですか?」
あたしは苦笑いを浮かべながら無理やり話をつづけました。
鷹野原先輩は記憶の底から思い出すような表情を見せて言いました。
「そうですね、それ以来その生徒さんはピアノがうまくなったそうですよ。立った方が上手に演奏できることに気づいた彼女は今ではガールズバンドでキーボードを務めているそうです」
ピアノの後日談ではなく、その生徒の後日談でした。ホラーがドキュメンタリーに変わりました。
「お話ありがとうございます。あと、ごちそうさまでした」
「いいえ、お粗末様でした。器は私が下げますのでそのままにしておいてください」
あたしの脱力した言葉に対し、鷹野原先輩はいつものように春の陽だまりのような笑顔を返してくれました。
「いつもありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
あたしが一礼して食堂を出ようとした時、鷹野原先輩は何か思い出したような顔をしました。
「ああ、そういえばですね、学校の七不思議ではないんですけど、この寮にも言い伝えがあるのです。お聞きになりますか?」
「はあ、お願いします」
どうせ、またしょうもないオチでもあるんだろうな、という軽い気持ちだったあたしは何気なく答えました。
鷹野原先輩の漆塗りのような黒い瞳があたしを真正面から見つめます。
「怖い話、というほどではないのですけど、もともとこの寮が古い木造なのは武家屋敷の名残なのですけど、戦国時代にはそれはもう凄惨な殺し合いがあって、処理しきれなかった死体が中庭にたくさん埋まっているそうですよ。あ、でもそれだけですし、幽霊が出るという話も聞きませんし。改修工事の時は古い血塗れの鎧兜や遺骨がたくさん出てきて処理費用がかさんで大変だったみたいですけど」
うっすらとはにかんだ鷹野原先輩の表情に、ぞくぞくっと背中に悪寒が走りました。今日一番の恐怖です。
その時、キシキシ、と天上の方から音がしました。心臓がどくんと飛び跳ねて、冷たい血液が体中を回るようでした。
「今のって、もしかして……」
「ああ、家鳴りですね。このあたりは夜はとても静かですし、木造なのでよく聞こえますよ。木材は温度や湿度で伸び縮みしやすいですからね。今まで気づきませんでした?」
それではおやすみなさい、と残して鷹野原先輩はどんぶりをお盆にのせ、簡易キッチンの方に戻って洗い物を始めてしまいました。
あたしはそのまま自室に帰りました。ミシミシ、という家鳴りの音は天井からだけでなく、板張りの廊下からも聞こえてきて、妙に耳に残ります。自分の足音ですら不気味に聞こえてしまいます。
寝支度をしている間も、布団に入ってからも、ずっと家鳴りの音が頭から離れませんでした。
その日、一睡もできない夜を過ごしたのは言うまでもありません。