その1:美術室のヴィーナス像が勝手に動く(1/1)
これは、どこの学校にもありそうな話ですが、あたしが七不思議と関わるきっかけになったエピソードでもあるので紹介します。
あれは、窓からいい感じに夕日が差し込んできた午後6時頃、美術部の部室である美術室でデッサンの練習をしている時でした。
「おい、鈴木、もっとあごを引け」
「部長、あたし鈴木じゃなくて秋月ですけど」
先輩が体に大きな布を巻き付けてポージングを取りながらツッコミを入れます。ヴィーナス像のコスプレです。ものすごくギリシアです。
今日の美術部の活動は、ヴィーナス像に扮した秋月先輩のデッサンを、あたしともう1人の1年生、沙梨衣ちゃんがデッサンをするというものでした。その様子を、美術室特有の木製の机に座った部長が腕と足を組んで見つめています。
ぶっちゃけ、先輩のヌードデッサンは描き飽きたのですが、布1枚でこうも印象が変わるのが驚きでした。先輩のヌードデッサンを描き飽きた理由は、また今度話そうと思います。
「部長、もういいですか? 恥ずかしいんで、早く脱ぎたいんですけど」
先輩の発言は意味が分かりません。いや、先輩が普通のひとであれば何の違和感もないセリフですけど、先輩にとって「脱ぐ=着替える」ではなく、「脱ぐ=服を脱いで全裸でいる」ということなので、全裸の方が恥ずかしくないということになります。あたしには意味不明どころか、大自然のユニバースを感じます。
「我慢しろ、鈴木」
「だからあたし、秋月ですけど」
部長は相変わらずです。眉間には『人』とサインペンで書いてあり、青い襟のセーラー服には矢が刺さって大量出血しているハートマークと、パステルポップな『レバー』の文字のアップリケ、青のプリーツスカートには大きな白いオタマジャクシが施されています。
あ、言っておきますけど、これがいたって普通の部長の姿です。
ちなみに、先輩の名前を間違えているのもいつものことで、先輩の名前、秋月芒稀の名字と名前が混じってしまったからだと思います。
「鈴木、そんな渋い顔をするな。ヴィーナスらしくもっと芸術的な顔をしろ」
「だからあたし、秋月ですけど。誰のせいだと思ってるんですか?」
部長と先輩のやり取りを眺めていると、何だか同情的な感情が湧き出てきます。
その時、コンコンと美術室のドアをノックする音が聞こえました。
「はい、いま行きます」
普段から外部応対を押し付けられているあたしは流れるような動作でスケッチブックを机の上に置き、美術室の入口へ向かいました。このあたり、パシリの思考が染みついてしまっているので、改めないといけないですね。
扉を開けると、黒髪で左側をサイドテールにした1年生がシャーペンとメモ帳を構えて立っていました。
「はじめまして! 放送委員の佐伯です。――ってあれ、あずきちゃん?」
「なんだ、りんごちゃんじゃない。どうしたの?」
よく見れば、クラスメイトの佐伯りんごちゃんでした。いつも明るくて、噂話に目がない女の子です。1年D組の食べ物3人娘としてよく集まって過ごしている仲良しです。
まあ、見た目も性格もどこにでもいる感じの子なので、あまり目立つ子ではありません。だいたい、サイドテールにするだけで個性が出れば苦労しません。
それでも、りんごちゃんとは性格が似ているおかげか、一緒にいて楽しいことが多いので仲良しなのです。
りんごちゃんは訪問の理由を教えてくれました。
「実はね、私、いま放送委員の新聞製作に関わっているんだけどね、今度、校内新聞の企画で学校の七不思議の特集をすることになったの」
「七不思議って、怖い話の?」
「そうそう! で、夜中に美術室のヴィーナス像が動き出すっていううわさを聞いてね、取材に来たの」
りんごちゃんの話を聞いて、背筋にぞわっと悪寒が走りました。恐怖ではありません。嫌な予感です。
「あのさ、ヴィーナス像って、あれのことかな?」
あたしは美術室の中心に立っている秋月先輩を指さしました。
その動作に誘われるようにりんごちゃんは視線を秋月先輩に向けると、この世ならざる物を見たような驚愕した表情を浮かべました。
「えっ!? マジっ!? めっちゃリアルなんだけど! ヴィーナス像っていうからてっきり石膏でできていると思ってたけど、さすが美術部! これがリアリズムってやつね!」
次の瞬間には、これは特ダネだ! と言わんばかりにメモ帳に書き殴っています。絶対何か勘違いしています。
「あの、あれはあたしの先輩で――」
「なるほど、自分より先に部に入ったものは物であれ何であれ先輩なのね! 美術部には作品に命が宿るというアニミズム信仰が息づいているのね!」
興奮気味のりんごちゃんは次々と妄想をメモしていきます。噂話に尾ひれを付ける罪があれば現行犯で逮捕できる瞬間です。
ここまできたりんごちゃんを落ち着かせるのは至難の業です。
百聞は一見にしかず、秋月先輩には元に戻ってもらおうと思います。
「すいません先輩、ポージング解いてくれませんか?」
あたしがお願いすると、秋月先輩はポージングを解いて、やれやれ、といった表情をしてため息をつきました。
その時、「ひっ」とりんごちゃんの小さな悲鳴が耳に届きました。
「ヴィ、ヴィーナス像が、動いたっ!? 噂は本当だったのねっ!」
本気でビビっています。ここまでくるともはや才能です。
このまま放っておくのもかわいそうなので、仕方なく説明することにしました。
「あのね、りんごちゃん、美術室にはヴィーナス像なんてどこにもないの。だからデッサンの練習は、当番制でモデルをやってて、たまたま今日は先輩がヴィーナス像をやってくれただけなの」
状況を読めずへっぴり腰で震えるりんごちゃんは目を白黒させるばかりです。
「いやー、やっぱり肩凝るわ。あと腰が痛い」
「おい鈴木、誰が脱いでいいと言った?」
「だからあたし、秋月ですけど」
不穏な会話に振り向くと、物理法則顔負けの速度で全裸になった先輩が自分の肩を揉むしぐさが視界に入りました。
うちの美術部では見慣れた光景ですが、りんごちゃんには刺激が強すぎたようです。ばたっと崩れる音に目を向けると、オーバーヒートしたりんごちゃんが廊下に大の字になっていました。
きっとりんごちゃんは身をもって七不思議の1つを体験したことに恐怖したのでしょう。
けれど、あたしにとっては、ヴィーナス像が動くとか、ないはずのヴィーナス像の噂が立つとか、いきなり脱ぎだす先輩とかよりも、よく知っているはずの自分の友人の感性の方が恐ろしいなと思いました。
美術室のみんなについて興味のある人は、
『栗山あずきの独り言~うちの美術部がエログロでヤバいです~』を
ぜひ見てみてください!
秋月先輩のヌードデッサンを描き飽きた理由は、
同作『その3:先輩が意味もなく全裸』
で語られていますので、そちらもどうぞ!