その6:時計塔には魔物が棲む(4/3)
って、ちょっと待ってください!
このままじゃタイトル詐欺じゃないですか! 時計塔のとの字も出てきていません。「保健室には魔物がいる」の間違いじゃないですか。
それに変更しても「その2。保健室の人体模型が勝手に動く」とモロかぶりです。
授業の終わりを告げるチャイムに目を覚ましたら、やっぱり6時間目が終わっていました。もうこれも七不思議に付け加えたいぐらいです。
あたしとほぼ同時、寄り添って眠っていた図書委員長の沼津先輩も目を覚まします。
沼津先輩は制服のしわを直し、ベッドの縁に足を投げ出します。しわを直しても、襟は直さないみたいです。相変わらず立ったままです。
「気分はどうだ?」
沼津先輩があたしに背を向けたまま尋ねます。
「はい、おかげさまで、ずっとよくなりました!」
あたしは見えないのは分かっていつつも、とびっきりの笑顔を向けました。本当に憑き物が落ちたみたいにすっきりとした気分です。
「でも、結局あの人体模型は何だったんですか?」
人体模型に目をやると、何の変哲もなく立っていました。保健委員の誰かが元に戻してくれたみたいです。まあ、よく倒れることがあったそうなので、倒れているのを見つけても何の疑問もなく直してくれたのでしょう。
あたしに背を向けたまま沼津先輩は続けました。
「アレは異形なる者だ」
答えのようで答えになっていません。深く突っ込むことは諦めました。
「それはそうと、あたし呪われる筋合いはないんですけど」
「誰でも良かったのであろう。女学院に巣くう者を見せ、その恐怖を糧にしようとした。それがアレの目的だ」
なるほど、赤銅寮や花壇での体験は、あの人体模型が見せた幻ということだったわけです。ただ、沼津先輩の言い方はただの幻ではないということを意味している気がします。何を今さら感はありますけど。
「女学院に巣くう者って、まさか――
「察しの通りだ。負の感情の在る所、アレが集まる。ここは戦前から続く由緒ある学校だ。居ない方が不思議だ」
「まあ、それは百歩譲って認めます。でも、あの人体模型はずいぶん前に封印したと聞きましたけど、実際のところ、復活を企んでいたってことですよね?」
「そうなる」
「でも、沼津先輩の、その、魔法っていうんですか? あの力があればもっと早く何とかなったんじゃないですか?」
「――我の力不足だ。詫びる言葉も無い」
消え入るような声で言葉を詰まらせながらつぶやきました。表情は見えませんが、察するに余りあります。
超人的な術式を使い、誰の目にも映らない敵と戦い続ける。そうやって女学院の秩序を世界の裏側から守り続けているのに、誰にも評価されず、誰にも褒められず、誰にも認められない。それでも、自分に定められた宿命として、戦い続ける。
それは、自分で望んで手に入れたものか、自分の意志とは関係なく与えられたものなのか、あたしには分かりません。
たとえどちらであっても、そんな孤独は、高校生には重すぎると感じました。
あたしは掛け布団から外に出て、沼津先輩の隣に腰かけ、彼女の空いている左手を握りました。いつも杖を握っている右手とは違って戦いのたびに危険にさらされる左手は、思ったよりもずっとやわらかく温かい手をしていました。
一瞬、びくっと肩を震わせ、うつむいた顔であたしを一瞥しましたが、あたしの握る手を拒絶しませんでした。
「先輩、そんな顔しないでください。先輩はあたしの呪いを解いてくれたじゃないですか。ありがとうございます!」
あたしは心からの満面の笑みを向けました。
沼津先輩は少し驚いた表情を見せたかと思うと、うっすらと頬を好調させました。
「と、当然の事をした迄だ」
ほんのわずかだけ、あたしの手を握り返してくれました。
なんだか、とても遠い存在と思えた図書委員長の沼津先輩と、少しだけ絆が深まった思いでした。
ただ、ちょっと気になっていたことがあるので、あたしは尋ねました。
「そういえば、七不思議の1つに、時計塔に棲む魔物の話をを聞いたことあるんですけど、それも、例のアレ、ですか?」
あたしの問いかけに、沼津先輩は珍しくきょとんとした顔をしました。
「否、知らぬ。大方、強権的な生徒会を揶揄した噂であろう」
なんてことはありません。根も葉もない噂でした。沼津先輩が言うのだから、間違いないでしょう。
これだけタイトル引っ張っておいて、噂オチとかひどすぎです! わざわざ終わりかけた話を無理やり戻したのに、これでは戻し損です。
あたしがため息をつきそうになった直後、勢いよく保健室の扉が開いて怒号が飛んできました。
「ゴルアァァァッ! コォーサァーメェー!」
すごく興奮した、いや、憤怒した叫び声が保健室にいた全員の視線を集めました。図書委員長の沼津先輩を呼び捨てとは、とてつもない鉄の肝と心臓の持ち主です。
その人は、沼津先輩と同じく、黄色いセーラー服の長身の女性でした。まくり上げた袖からのぞく腕や少し短くしたプリーツスカートの下から延びる足には、力が籠って筋肉と血管が浮き出ています。ポニーテールが激しく揺れ、額には青筋が走っています。
一言でいうと、すごく怖いです。七不思議の比ではありません。
鬼の形相をした彼女の瞳があたしと沼津先輩をロックオンします。沼津先輩は引きつった表情で体全体を硬直させています。
「た、珠子……!」
「へぇー、昼休みの生徒会の会議を無断ですっぽかして、あたしの牙城で後輩と乳繰り合うなんて意外といい度胸してるのね。その曲がった根性、あたしがまっすぐにしてやるよ!」
大きく足を踏み鳴らし、あたしたちの方へ来ます。これほど命を脅かされる感覚は、魔物と対峙した経験に匹敵します。
「委員長、落ち着いてください!」
保健室にいた保健委員全員が青ざめた顔をして一気に彼女を押さえにいきます。「ええい、邪魔よ!」と叫びながら腕を振りほどくだけで、いとも簡単に次々と保健委員を突き飛ばしていきます。
沼津先輩はあわてて立ち上がり、樫の木の杖を握る手に力を入れました。えっ、魔物相手に奮っていた魔法を、あの人に使うんですか?
魔法陣を出現させるために杖の先が床を小突く直前、保健委員長の左手が樫の木の杖をとらえました。杖は空中でピタリと止まり、沼津先輩が必死に両手で何度も勢いをつけて動かそうとしますが、まるで魔法のように樫の木の杖はピクリとも動きません。
「コォーサァーメェー! あたしに魔法なんざ、百年早い!」
保健委員長が筋肉の盛り上がった左手をそのまま上げると、そのまま沼津先輩が樫の杖ごと宙に浮かびました。運動部顔負けの腕力です。
沼津先輩をにらみつけていた瞳があたしの方へ向くと、怒りの表情がすっと消えて笑顔になりました。
「栗山さん、ですよね? 鶯谷から話は聞いてるわ。体調はどう?」
先ほどの怒声とは打って変わって、快活で明朗な声で保健委員長が尋ねます。宙づりになった沼津先輩の杖をつかんでいる左手さえなければ、とても好感の持てる先輩です。
「は、はい、おかげさまで……」
あまりの出来事とギャップに茫然自失としたあたしは、力なく答えることしかできませんでした。
保健委員長の左手が空中でぽんと樫の木の杖から、沼津先輩の立てたセーラー服の襟に持ち替えました。お手玉感覚です。沼津先輩はまるで首根っこをつかまれた子猫です。
「それはよかったわ! 欠席申請があったって聞いて心配していたのよ。頭は打ちどころが悪いと大変なことになるから、今度から頭上には気を付けてね!」
「は、はい……ありがとうございます……」
病気の時に看病されたら、とても元気をもらえそうな素敵な笑顔を見せて、保健委員長は踵を返しました。すごく優しい声音ですけど、「背後には気を付けてね」とだけは絶対言われたくありません。
「た、珠子、済まない、下ろしてくれ」
「ザケんな! きっちりオトシマエつけてもらうからな!」
「い、いやあれには訳が――」
「黙れゴルアァ! テメェ、病院送りにすっぞ!」
保健委員長は流れる所作で事務机の上にあるクリアファイルを広げ、ぺらぺらとめくって1枚のカルテを取り出すと、一読した後にボールペンでさらさらとサインしました。どうやら、利き手は右手みたいです。途中のセリフさえなければ、デキる女医さんを連想しました。
「それじゃあ、お大事に!」
部屋を出る直前、保健委員長はあたしに笑顔で手を振ってくれました。
それ以来、あたしは今まで以上に健康に気を遣おうと決心しました。