その6:時計塔には魔物が棲む(1/3)
そうそう、こういう話を求めていたんです!
星愛女学院高等部には、ひときわ目立つ建物があります。敷地の真ん中にそびえたつ時計塔です。うちの高校のシンボルと言ってもいいでしょう。
その時計塔の内部はというと、生徒会・委員会のための部屋が集まっています。フロアごとに各委員会の本部が置かれていたり、生徒会室や生徒会公開会議室、生徒会長専用の部屋まであります。普通の部活に所属している人にとっては縁遠いところですが、名実ともに星愛女学院の生徒会の中枢なのです。
そういうよその高校にはない場所にある七不思議とか怖い話とか、それっぽくていいですよね。
でも、魔物ですか。なんだか悪夢を思い出してしまいます。
結局、保健室のベッドで目覚めたあたしはメガネの2年ナースさん、鶯谷先輩に言われて、保健室で一夜を明かすことになりました。もう夜も更けていましたし、なんだか体中の疲れがどっと押し寄せていたので、あたしも甘えることにしました。いや、別にうちの寮が怖いとかではないですよ、本当に。
鶯谷先輩はあたしをひとりで残すわけないと言い張って、一緒に保健室に残ってくれました。高校生なのに夜勤です。ありがた半分、申し訳なさ半分でした。それより、うちの高校、保健委員の夜勤を容認とか自由というか異常です。
真夜中に、ガタン、と何かが倒れる音が聞こえた時、さすがにびくっとしてしまいました。
えっと、ここにも怖い話が合ったような……。
図書委員長が封印したとか噂の……やめましょう。こういう環境で図書委員長の話は、できればしたくありません。まあ、全部夢なんですけどね。
おかしいです。結局保健室でも一睡もできませんでした。仕方ありません。気を失ってずいぶんと寝てしまっていたようですから。
朝日が差し込んできて雀の鳴き声が聞こえてきた頃、鶯谷先輩がカーテンを開けてくれました。
「栗山さん、おはようございます。ゆっくりできましたか?」
りんごちゃんを救出してくれた時は鋭い目をしていたので、怖い人かな、と心配していましたが、優しそうな笑顔をしてくれたので杞憂だったと安心しました。夜中じゅうもぞもぞしていたあたしを慮って「よく眠れましたか?」と尋ねないあたり、素晴らしい配慮だと思います。
「ええ、まあ」
あたしは苦笑いを浮かべながらあいまいな返事をしました。
その後、鶯谷先輩に体温や脈を取られました。あたしは心配ないとは言いましたが、鶯谷先輩によると、失神は病気の前兆であることもあるとか、頭を打った時は容体が急変することもあるのでしばらく経過観察したほうが良いとか、正論を突き通されてしまったので素直に従いました。
鶯谷先輩があたしのバイタルや様子を記録している時、コンコンとドアをノックする音が聞こえました。鶯谷先輩の許可を得て入ってきたのは、風呂敷の包みを持った鷹野原先輩でした。
「失礼いたします。おはようございます、鶯谷さん、栗山さん」
鷹野原先輩はぺこりと一礼して、あたしのベッドの隣に来てくれました。寮では私服でいることの多い鷹野原先輩の緑のセーラー服姿はあたしにとってレア度がかなり高いです。しかも朝から鷹野原先輩の春の陽だまりのような笑顔を拝めるなんて、感激です!
「栗山さん、朝ごはんは召し上がりましたか?」
「いいえ、まだです」
「それはよかったです。昨日送っていただいたメッセージの件を伝えて、軍曹さんに朝ごはんを作ってもらいましたので、それを届けに来ました」
サイドテーブルに風呂敷包みを置いて、口を解き始めます。
軍曹と言えば、あたしの寮の料理当番長です。めちゃくちゃ怖いけど、めちゃくちゃ料理のうまい3年生です。
「軍曹?」
ボールペンを顎に当てながら、鶯谷先輩が鷹野原先輩に尋ねます。
「料理部の部長の一ノ瀬さんです。あの、いつも左目に眼帯を付けた――」
「ああ、分かります。あの背が低くて、声の大きい」
「そうです。赤銅寮でいつも食事の準備を手伝っていただいているのです」
「そうなんですね。保健委員もお世話になったことがあります。以前、保健委員の会合で、栄養価の高い、それでいて飽きにくい療養食の作り方をご指導いただいたことがあります」
先輩たちが軍曹の話で盛り上がっています。どうもやっぱり、軍曹はすごい人というか、記憶に残りやすい人みたいです。昨日出会ったロリ巨乳の三浦先輩もそうですけど、身体的特徴のある人は記憶に残りやすいですよね。
鷹野原先輩が解いた風呂敷の中には、小さなお弁当箱と太さの異なる2本の保温ボトルが入っていました。
「メニューはミックスポテトサラダに小松菜とマッシュルームのバルサミコソテー、そら豆とチアシードのスープ、スイートパンプキン、豆乳バナナオレです。私も寮でいただきましたけど、豪華でとてもおいしくいただきました。動物性油脂と上白糖不使用の軍曹さん拘りのビーガンメニューだそうです」
「うわー! とてもおいしそうです! いただきます!」
お弁当のふたを開けると、思わず感嘆の声を上げてしまいました。副部長にビーガンについて教えてもらった時はサラダばっかりとか精進料理とかを思い浮かべてしまったのであまり期待はしていませんでしたが、軍曹の作ってくれたお弁当はいい意味で期待を裏切ってくれました。
彩りもよく、1口食べたら病みつきになりそうなバランスの良い味付けです。食べ合わせもよく、腹持ちもしっかりしていそうです。
「まあ! 本当においしそうですね! 私も一ノ瀬さんに教えてもらいたいです! 栗山さんは菜食主義なのですか?」
鶯谷先輩があたしのお弁当をのぞき込んで、うらやましそうに尋ねました。
「そういうわけじゃないんですけど、そういう料理があるって聞いて、一度食べてみたいと思ったんです」
豆乳バナナオレ片手にあたしは応対します。べ、別に胸が大きくなりたいとかじゃありませんから!
「いいですね。健康的で美容にもよさそうだし、私もビーガンデビューしようかしら?」
鶯谷さんが悩ましげな表情を浮かべています。そこに、鷹野原さんはスマホを見ながら答えました。
「あ、でもビーガンはコラーゲンやビタミンB12を摂ることができないので注意が必要みたいですよ」
「えっ!? それじゃあ肌のお手入れ大変じゃない!」
「コラーゲンはタンパク質を摂れば何とかなるそうですけど、やっぱりタンパク質が不足しがちになるそうですし、ビタミンB12は必須ビタミンなのに現代のスーパーの野菜からの摂取は望めないので、ビーガンサプリを飲む人が多いそうです。あとはオメガスリーやビタミンDの他にも鉄分やカルシウム、亜鉛などのミネラルも意識して摂らないといけないそうですよ」
「まあ、意外と大変なのね」
「菜食主義って聞くと緑黄色野菜をイメージしがちですけど、豆類やシード類、ナッツ類を意識して食べると結構バランスよく栄養を摂れるそうです。他にも豆腐や納豆などの大豆加工食品、きのこ類、穀物類、海藻類も大丈夫なので、野菜ばかりではなくバランスが大事だそうです」
「菜食主義でも偏食はよくない、ってことですね」
鷹野原先輩の説明に、鶯谷先輩は納得したようにうんうんとうなずきました。
頭がよくなりそうな会話に鷹野原先輩は実はビーガンマイスターではないかと疑いましたが、どうやら軍曹からのメッセージを読み上げているみたいです。さすが料理長かつ料理部部長です。
「軍曹、すごく詳しいですね」
すっかり軍曹からのお弁当を平らげたあたしは、豆乳バナナオレの最後の一滴を飲み干して食事を終えました。
「朝食のお手伝いをしたときに伺ったのですけど、栄養学に関しては園芸部部長の三浦さんから教わったそうです」
「納得です。料理部と園芸部、結構蜜月関係ですからね。あ、栗山さん、汗拭き用の濡れタオルと、制服と下着の替えです。保健委員の備品なので、サイズが合わなかったら取り替えますので言ってください」
「ありがとうございます」
鷹野原先輩の裏話に、鶯谷先輩は合点のいった顔で首肯しながら、ビニール袋に入った着替え一式と、濡れタオルを渡してくれました。
「それでは、私は行きますね。お弁当箱は私が軍曹さんに返しておきます」
空になったお弁当箱を風呂敷で包み直した鷹野原先輩が立ち上がりました。
「ありがとうございます。軍曹にビーガンの朝食、とてもおいしかったと伝えてください」
「それは栗山さんが直接行ってあげてください」
鷹野原先輩がいたずらっぽく笑いました。いつも清楚な雰囲気の鷹野原先輩がこんな表情を見せるなんて、レア度が高すぎてきゅんときてしまいました。
レア度の高い鷹野原先輩をたくさん見れるのであれば、保健室で寝泊まりするのも悪くないですね。
不謹慎な気持ちを抱えつつも、心のキャンバスに鷹野原先輩の素敵な一面をそっと焼き付けました。