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決戦のはなし



折角の春の訪れを前にして、イルゼには乗り越えねばならない試練がある。

それが今日。

今日がその、決戦の日だ。





「イルゼ、私の花。愛しい花、貴方の蝶が来たよ。この扉を開けておくれ」


コンコンと鳴らされた扉の音と共に、鳥肌が立つだけでは済まないような気色の悪い声が聞こえてきた。


花などと呼ばれる筋合いなどないので、返事はせずに居留守を使ってやろうかと思ったイルゼだったが、今日で片を付ける決意をして大きく息を吸い、思い切って玄関扉を開けた。

玄関扉の向こうにクラクトン公爵と、公爵が連れてきた医者、その医者が連れてきた数人の助手が立っている。



「あ……」

誰かの口から声にならない声が漏れ出たのを聞いた。

皆、イルゼの顔を見て驚愕の表情と共に固まっていた。


イルゼは逃げ出したいのを我慢してボソボソと申し訳程度の挨拶をし、固まる訪問者たちを恐る恐る家の中に招き入れた。



「あ、あ……なんだこれは……あの、あの顔は顔は……」

訪問者たちを客間に案内をしながらイルゼがふと公爵に目をやると、公爵は青い顔で何かをブツブツ呪文のように呟いている。


何処か狂気じみて恐ろしい横顔に身をすくめたイルゼは、頑張ってそれに気づかないフリをして訪問者たちに椅子を勧めた。


客間の中央で、公爵が連れてきた医者がイルゼの前に腰かける。


「では……一応、診ていきましょうか……」


医者が二重にはめた手袋を確認するように引っ張った。

その前に座るイルゼは、診察の始まり、運命の分岐点の始まりに自然と身を固くする。

医者の後ろにある、この部屋で一番大きな椅子に座る公爵は、岩のような動かぬ表情でイルゼを見ていた。

公爵がなにを考えているか、怖くて推察しようにもしたくない。







医者は助手の助けを借りて、淡々とイルゼの心音を聞き、熱を測り、イルゼの体を観察し始める。

静かな部屋の中で、カチャカチャと医療器具が擦れる音と、バクバクいう己の心臓の音だけが聞こえる。


(バレませんように、バレませんように、バレませんように)


緊張に奥歯を噛み締めるしかないイルゼは、内心だらだらと冷や汗をかいていた。



「どうだね」


「これは……私も初めて患者を診ましたが、間違いないでしょう」


聴診器を耳から外した医者は背後に座る公爵に向き直り、静かに首を横に振った。


「私の見立てでは、彼女の病の名はイダコボレリアノグ病。俗称、古代竜の呪いと呼ばれる、誠に珍しい病気です。この特徴的な痣が何よりの証拠。そしてこの病気、残念ながら特効薬は見つかっていません」


「ということは、その娘の顔はもう治らないのかね?」


お通夜のように静かになった部屋で、公爵の座る椅子だけがギシギシと耳障りな音を立て始めた。

公爵の両足が小刻みに揺れている。


「特効薬はおろか、症状を抑える治療法も分かっていません。痣を消すことは難しいかと思われます。それに、ここまで痣が広がっているとなると、もってあと3ヶ月と言ったところでしょう」


医者は患者のイルゼを前にしてもあくまで淡々と、包み隠すことなく診断結果を告げた。


「数か月前にこの娘と会った時は、こんな風に顔に痣はなかったが、これはそんなにすぐに広がるものなのかね?」


「発症者は本当に少なく、謎が多い病気ですので何とも言えませんが、3ヶ月かけて広がることもあれば、3日で広がってしまうということもあるのでしょう」


「なるほど……。もう治る見込みはないのだな」


公爵の言葉に、医者が静かに、しかしはっきりと頷く。

医者の肯定を確認した公爵の目は、一瞬で酷く無慈悲なものに変わった。


「ならばとんだ無駄足だったわ!檻に入れて鎖に繋いで、わしが直々に躾けて可愛がってやろうと思っておったのに、こんな顔では興ざめもいいところだ。精々豚の餌にしかならんような顔の女の為に、わしが自らこんな辺鄙なところまで出向いてしまったと思うだけで虫唾が走る!」





公爵が被っていた上っ面を爆発させたように声を上げた。


周りにいた医者たちがビクリと体を震わせる。勿論イルゼの体も堪らずビクリと震えた。

しかし、その大きな声に驚いて震えた体とは裏腹に、イルゼは内心狂喜乱舞していた。


(やった!やった!成功だ!このままいける!)


イルゼは、クラクトン公爵のそのゴミを見るような目が欲しかった。

忌み疎ましがる、嫌悪だけを湛えたその目が見たかった。


公爵は医者の一言で希望さえないことを理解し、イルゼにはもう全く価値がないと判断してくれたのだ。

公爵にすっかり興味を失った目をさせることができたことが確認できれば、この作戦は成功したも同然だった。




湧き上がってきそうになる笑顔を堪え、悲しそうな顔を作ったイルゼは医者に話しかけた。

駄目押しの演技である。


「何か、少しでも進行を抑える薬とか、ご存じありませんか……?」


「先ほども言ったように、謎に包まれた病気です。残念ですが……」


「例えば、こんなものを食べたら症状が和らぐとか、塗ったら痣が薄くなるとか……」


「それも、なんとも……」


「あの、ではこの病気を専門に研究されている方など知りませんか……?」




「それくらいにせんか!」


ピシャリ。

医者が何も分からないと首を振る前に、公爵が荒々しく椅子から立ち上がった。


「そんなに延命したいならば自分の金で医者へ行くがいい。お前のようなそんな醜い顔で生き永らえたいなどと思う方が図々しいとわしは思うがな。今後金輪際、そのような顔でわしに嫁いで来たいなどとぬかすでないぞ!」


大股で客間を横切り部屋の扉の取っ手に手をかけた公爵は、ガチャリと大きな音を立てて扉を開ける。

まるで、壁から扉を引きはがすような乱暴な動作だった。


醜くなったイルゼとは同じ空気も吸いたくないと言わんばかりの公爵は、慌てる医者たちを背後に置き去りにして居なくなった。



(いやいや私、嫁ぎたいなんて口が裂けても言ってないじゃん……)

乱暴されて無残に半開きになっている扉を見つめるイルゼは、投げつけられた言葉を頭から被りながら内心冷ややかに毒づいていた。



白い真珠の肌のイルゼには腐った甘い言葉を吐いてきた公爵だったが、顔を覆う醜い痣を持ったイルゼにはこの鞭のような態度だ。

噂通りの男だ。公爵は貧乏で不細工な女性に対し、このような対応をとる男なのだ。


公爵がいっそ清々しいほどに腐敗した人物だったことにイルゼは感謝した。

仮病にあっさり騙されるような下種だったことが、もはや有難い。

この分ならば、公爵は二度とイルゼに会いたいなどとは思うまい。

あとはこの仮病の秘密を死守して、絵が完成したらさっさと逃亡だ。




公爵と医者らが屋敷から猛然と出ていくのを礼儀として見送って、イルゼは呟いた。


「塩撒いておこう」


嵐のようだった訪問者たちが去った後、玄関に塩を撒きながらイルゼは心底ほっとしていた。

黄色い歯で笑う悍ましい公爵に、屈することがなくて良かった。

あんな恐ろしい公爵と、恐ろしい契約をさせられなくてよかった。



(私、よくやった)


イルゼは静かに自らの頬に手を添えた。

これが今回の立役者だ。

そこには何とも薄気味悪い爛れた痣が、イルゼの顔を覆うように広がっている。




公爵の訪問が決まってからの一週間、イルゼはアトリエに籠ってある物を描く練習をしていた。


青く、そしてどす黒く、気味の悪い痣を描く練習だ。

その禍々しい痣は医学書の末端のページに載っていた、イダコボレリアノグ病、通称古代竜の呪いと呼ばれる珍しい病気に罹ると現れる痣だ。

この病気、痣は特徴的だが、その他に目立った症状が出ない。出ても精々、おなかが痛いなどだ。


イルゼはこの病気を、公爵を欺くのに丁度いい病として選んだ。

公爵がイルゼの容姿に執着しているのは何となく感じ取れたので、外見を損なう痣の出る病は都合が良かった。

加えて、平熱で心拍に異常がなくても医者が病気だと判断してくれる病であったことも、果てしなく好都合だった。


その痣が肌の下から湧き出ているように描くのに少し難儀したが、コツをつかんでしまえば何のことは無かった。

公爵が医者を連れてイルゼを訪ねてくる日の前日から、イルゼは時間をかけて丁寧に、自らの全身に気味の悪い青黒い色の痣を描いた。

流石に手の届かない背中の部分は諦めたが、それでも会心の出来だった。


そしてその、それはそれは見事に劣悪な痣で、イルゼはクラクトン公爵とその医者を騙し抜いたのだった。


ちなみに、痣はなかなか取れない特殊油性絵の具で描いたので、水で洗われても雨に降られても、イルゼの全身はしばらく気持ちの悪い痣でおおわれていることになる。

洗っても落ちないので、痣が完全にイルゼから消えるのに時間はかかりそうだ。



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