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腐れ縁のはなし2



イルゼのアトリエと呼べるものは、ただの物置だった部屋である。

元々は両親が買った骨とう品なんかが保管されていた部屋だったが、それらの品はもう売られてしまったので、がらんどうだった部屋にイルゼが絵の具やらキャンバスやらを持ち込んで作業場にした。


床にも木の机にも絵の具が飛び散り、そのあたりにバケツやパレットが重なって、資料となる本も山のように積み上げられて、キャンバスも幾つも並べられて何とも乱雑な部屋ではあるが、イルゼは気に入っている。


食べ終わってすたこらさっさとアトリエに帰ってきたイルゼは、早速作業机の上にゴチャゴチャと置いてある絵の具のチューブや筆をどかして、バスンと分厚い本を置いた。

既に左手にパレット、右手に筆が装備されている。


さあ描くぞと腕を伸ばして、イルゼはハタとその動きを止める。

手の中にある乾いた筆は空を切った。


「水忘れた。……ね、汲んできてって君に頼んだらどうなる?」


「は?俺にそんな雑用頼んだこと後悔させてやるけど」


イルゼが後ろを振り向けば、当たり前のようにふてぶてしいルイスがいた。

ゴチャゴチャしたアトリエの一角で、木製の肘掛椅子に足を組んだルイスが座っている。

膝の上に、昔ルイス自身がイルゼの家に置いていった画集を広げていた。


いつからだったか、うんと幼い頃だったか最近だったか、ルイスに絵を見せたのがきっかけだったか、ルイスが画材を運んでくれたのがきっかけだったか、イルゼがルイスをアトリエに案内してから何となく、イルゼのアトリエは出入り自由の風潮が作られてしまった。

不本意ではなかったが、ルイスが絵を侮辱することがなかったのでわざわざ出入り禁止することもないだろうと思い、放っておいた。


悪口は相変わらず息をするように言われるが、イルゼが絵を描き始めればルイスは大人しくなるので、今更追い出すこともしない。

画集を見ていたり、分厚い書類に目を通していたり、本を被って寝ていたり自由ではあったが、邪魔をしてくることは無い。イルゼはルイスの動向など特に気にせず、自分の作業を進めるのが常だった。


「じゃ、自分で行こう」


何個かあるバケツのうちの一つをひっつかんだイルゼは、さっと扉を開けて水を汲みに走った。


「お前はどんくさいから走ると転ぶぞ。気をつけろ、引き籠り」


部屋から駆け足で出ていくイルゼの背中にルイスの声が飛んできたが、イルゼは普通に無視することにした。




バケツに水を汲んでイルゼがアトリエに戻ってくると。

頬杖をついて眺めている本から顔を上げないまま、ルイスがイルゼに話しかけた。


「この間、良さそうな葡萄畑紹介してもらったぞ」


「ん、何で?今度はワインでもつくるの?」


「あのな、お前忘れたのか?お前が絵の参考にしたいから、人がいなさそうな葡萄畑知ってたら教えてって言ったんだろうが」


「あ!ああ、私に教えてくれるの?勿論聞いたことは覚えてるけど、君が私にわざわざ教えてくれるとは……」


教会へ贈る絵に葡萄の木を描きたいのだが手元にある資料だけでは不足だったので、葡萄畑を知っているなら、と期待せずにルイスに聞いたことがあったのだった。


「そう思うくらいなら最初から聞くなよ」


「ごめんごめん、でもありがとう。その葡萄畑、どこにあるの?」


「ニューリンの街の郊外」


「えっ。遠い……でもそれもそうか、この辺には葡萄畑無いもんね」


「俺に予定合わせるなら、俺が馬車とか手配してやってもいいけど。ま、オタクはどうせ毎日暇だから合わせられるだろ?」


「いや……君の予定に合わせたら、一か月後とかになったりしない?」


一週間後には公爵との問題がひと段落し、教会へ贈る絵に本腰を入れて取り組めるのはそのあとだ。

今から一週間は葡萄畑に行く余裕はないが、それを過ぎればなるべく早く行って葡萄の木をスケッチしたい、とイルゼは考えていた。

切羽詰まったこの3ヶ月は自分の都合だけで動きたいので、ルイスに下手に世話になるのは得策ではない、とイルゼは首を横に振りかけた。


「俺はお前と違って多忙な身だが、再来週ならなんとか時間取れるな」


「再来週……。うん、それは丁度いいかも」


イルゼは横に振りかけた首を止めて、縦に振ることにした。


これで街まで出て馬車を探さなくても済む。

できるだけのんびりしてそうな馬はいないだろうかとか、できるだけ優しそうな顔の御者はいないだろうかとか悩まなくても済む。


「じゃあ、再来週お願いするよ。あ、運送料というか、お礼は払うからね。少ないかもだけど」


元々御者には支払うつもりだったのだからとイルゼが謝礼について言及すると、ルイスは何故か途端に不機嫌そうな顔になった。


「……運送料?お前馬鹿か。俺は、お前みたいな貧乏人に施ししてやるのなんて何とも思わないくらい裕福だからな?お前のしみったれた金なんて要らないし、お前みたいな貧乏人のはした金で俺にお礼とかできるわけないだろうが。思い上がるな」


「思い上が……!?」


「いいか、人の親切くらい素直に受け取れ。それで礼とか言い出すくらいなら、ちょっとは照れるか喜ぶかくらいして見せろ、コミュ障女」


「たっ、確かに君からしたら無いような金額だけど、それでも君の時間を私の我儘に使ってもらうんだから、お礼はするべきだと思っただけなのに。それでお礼がお金なら、欲しいものを買う足しにもできるし」


「あのな。俺は金で買えるものなら、欲しい物もう全部持ってる」


少しだけ呆れたような、悲しんでいるような目で睨んでくるルイスの口から洩れた言葉に、イルゼは口をつぐんだ。


ルイスの家は格式高い侯爵家で、広い領地を持っている。ルイスがお金に困ったことがないというのは、言われなくても分かるようなことだった。




「うぐぐ……これだからボンボンは……」

バシャバシャと乱暴に、バケツの水の中で固まってしまった筆をほぐす。


(なけなしの貯蓄からでも、こういう時くらいはちゃんとお礼しなきゃって折角思ったのに、金は腐るほどあるってか!貧乏人からのお礼なんて何の意味もないってか!ほんと、ボンボンは嫌味だ)



鼻息荒く筆を洗うイルゼをしり目に、静かなイルゼのアトリエには小さな水音が響き、開け放たれた窓の外では春が近づいてくる風の音がする。

部屋に入ってくる空気は、暖かい日のにおいを運んでくる。


もうすぐこんな街にも、うららかな春が来るのだ。




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