会いに行くはなし
王都の城下町を歩き、目的の料理屋へ向かう。
頭上を見上げれば濃い群青色の夜空と、灯り始めた橙色のランプが見える。
音楽を奏でて道行く人にコインを投げてもらう音楽家も、大道芸人もささやかに街を賑わせる。
ルイスとクラウスは、足早に家に帰る人や、男女仲良く手を組む人とすれ違いながら進む。
途中、ルイスとクラウスは少し余所行きの服を着た2人組の女性とすれ違った。
女性たちはアッと頬を赤らめてルイスとクラウスに熱い目線を送り、振り返りながら通り過ぎて行った。
「夏はいいねぇ。皆開放的だ」
女性たちの視線に気が付いたクラウスは女性たちに向けて少しだけ微笑み、ルイスの肩に腕を載せて満足そうに笑った。
「そーいえばさ、あそこの隅のカフェのリリアンちゃんともこの間遊んできたぜ。あの子、お前の事ばっか見てたのに、案外ちょろかったわ。これで、この通りのカフェの目ぼしい子はこれで全制覇だな」
「お前な、いつか刺される……ぞ」
ちゃらんぽらんな友人の腕を払いのけながら、ルイスは溜息をつこうとした。
しかし、その溜息が吐き出されることは無く、逆に飲み込まれた。
動きを止めたルイスを訝しんだクラウスが、ルイスを覗き込んだ。
「どうしたよ?いきなり立ち止まって」
立ち止まったルイスが凝視しているのは、小さな画廊のショーケースに飾られた絵だった。
ルイスたちの国では見ない、異国の街並みの絵だった。
いや、きっと架空の世界の、この世にはない土地の街並みなのだろう。魔法のように不思議な描写が随所にちりばめられていた。
行ったことなど無い、知らぬ世界が描かれているのに、ルイスはなぜか懐かしさを覚えた。
懐かしい、一度足を踏み入れたことのある迷路に迷ったような感覚。
こんな風景を見に、昔何度も連れて行ってもらったことがある気がする。
ルイスの手を引いて、これに似た綺麗な世界に何度も何度も連れて行ってくれた。
あの絵の具まみれの、あの恋しい人の手が作り出した世界のことは誰よりも近くで見てきた。
最後にルイスが見た絵よりも更に上手くなっているが、この筆遣いは、あの恋焦がれた白い手の癖に似ている気がする。
「クラウス、一週間休暇を申請しておいてくれ」
ルイスは言うが早いか、クラウスをその場に置き去りにして駆け出していた。
絵の端にあった署名にはカルミアと書いてあったが、ルイスは止まれなかった。
「お、おい、ルイスどうした?飯は?!待てよ!」
後ろでクラウスが叫んでいるが、やはり止まれなかった。
画廊に飛び込んだルイスは、カルミアという画家の情報をできる限り聞き出した。
画廊のオーナーは、カルミアのアトリエのある国と地区まで知っていた。
ルイスは騎士団の宿舎まで駆け戻り、愛馬に鞍と手綱を括りつけ、馬番が慌てるのを無視して駆け出した。
夏の風が、走るルイスの馬によって切られていく。
街の外まで出れば、イルゼが好きだった夏草のにおいや林の影のにおいが濃くなった。
夕日は沈み、空にはインクを垂らしたように夜が広がっていく。
虫の音の中を突っ切って、ルイスは目的の国に向かって一直線に走った。
走って、
走って、
走って。
興奮のままに限界まで走り、少し頭が冷えたので、ルイスは途中で目についた宿で部屋をとった。
ボフン、と。
眠れる気はしないルイスであったが、とりあえずベッドに横たわった。
今になってああ、と腕で顔を覆う。
(くそ、つい衝動で出てきてしまった)
(カルミアという画家が、あいつな訳ないのに。あいつはカルミアなんて名前ではないのに。あいつは死んだのに)
(でも、絵が似てた)
(似てると思っただけだろ。俺は鑑定士でも何でもない。絵について分かるかと言われれば分からない)
それでも朝になり、愛馬にまたがったルイスは駆けた。
止まらない。止めない。
可能性に賭けた。
何日も走り国境を無事に通過し、画廊の主人に教えられた地区まで来た。
街はこじんまりとしているが、洒落ていて平和そうだった。
そこで馬を引きながら道行く人にカルミアという画家、と居所を聞けば、ある程度は有名なのか「あっちだよ」と簡単に教えてもらえた。
ルイスは心の準備をする暇もなく、あっという間にカルミアと名乗る画家のアトリエに着いていた。
ここまで共に旅をしてくれた馬の横顔を撫で、手綱を柵に掛ける。
そして、誰でも歓迎しているような無防備な門をくぐり、ルイスは一歩づつカルミアのアトリエに近づいていく。
アトリエはこじんまりとした、優しい雰囲気の白壁の建物だった。
その周りにはところどころペンキが飛んでいたり、面白そうなオブジェが転がっていたりするのが見える。
ルイスは浅くなる呼吸を無理やり整えて進んだ。
色々な思いが巡っているような、何も考えられないような、そんな真っ白な感覚だった。
アトリエの壁に手をつき。
そして。
開け放たれて、陽の光をいっぱいに吸い込んでいるアトリエの中を覗き込んだ。
その中に、人はいなかった。
しかし、つい先ほどまで作業をしていたような跡がある。
大きなイーゼルの上の絵はまだ描きかけで、絵の具のチューブも、たくさんのパレットも、所狭しと並ぶ筆も、たくさんのスケッチも、何となく見覚えがある気がした。
(画家のアトリエっていうのはみんなこう乱雑なものなのか?それともあいつだけか?)
(もしこの画家があいつで、あいつが生きてて、それで、どうする。
あいつは生きてるのに別に俺に連絡を取らなかったということは、俺のことなんてどうでもいいってことだろう。それなのに会ってどうする。俺の顔も覚えてないかもしれないぞ。何せあいつは、絵描き馬鹿だったからな)
(他の奴と新しい生活送ってるとかだったらどうするんだ。そんなの、あいつが死んだって信じてる方がまだましじゃないか?)
(こんなところまで追いかけてきて、気持ち悪いとか思われたらどうする)
(折角死んでお別れできたと思ったのに、なんで会いに来たんだとか、会いたくなかったとか、言われたらどうする)
(君誰?とか言われたらどうする)
(俺昔、『治った後にお前が俺といたくないっていうならそれで、身は引くから』とか、かっこつけて言ってたな……くそ、かっこ悪……)
ルイスはカルミアのアトリエを見て、ズシリと重いものが己の心臓に圧をかけ始めたことを感じていた。




