ルイスのはなし3
人のいなくなった訓練場の隅にある石階段に腰かけて、訓練槍と防具を傍らに置いたルイスは、プツリと割られた黄身のように広がって赤くなっていく夕日をぼんやり見ていた。
「おい、ルイス。お前はまたこんなところに居やがる」
ガラガラ声がしたと思ったら、士官学校時代の悪友、騎士団長の息子で出世頭のクラウス・ベイカーの顔が突然、ルイスの視界を覆った。
ルイスは今、騎士団の王家直属部隊に所属している。
数年のブランクがあったので試験を受けなおしたが、無事に入ることができた。
士官学校時代の同期だったクラウスは既に階級が上がっていて、今はルイスの上司だ。
ルイスとクラウスは士官学校で学んでいる間もよく共に行動していた。
趣味も嗜好も全くと言っていいほど合わないが、何故かウマだけは合ったのだ。
あの夜イルゼに口づけされて、口づけしてから、もう次の日にはイルゼはいなくなっていた。
イルゼがいなくなってから、もう一年と数か月が経った。
イルゼの死体はどこからも見つからず、埋葬も葬式もしていない。
彼女の家族の墓の隣に、彼女の名の刻まれた墓があるだけだ。
誰も、イルゼのような落ちぶれた男爵家の娘のことなど気にしなかった。
「ほら、猫は自分の死期を悟ると姿を隠すっていうし。誰も後始末をしてくれる人間がいないんだ、死体なんて家に置いておきたくなかったんだろ」
コーストサイドの人間はみな口々にそう言った。
目ざといハイエナのような商人がどこからともなく表れて、空き家を漁ってイルゼの絵を高い値段で海外に売り飛ばしたと聞いたときは腸が煮えくり返ったので、残った絵はルイスがすべて保護して、商人を半殺しにした。
そんなことがあって一時は話題になったイルゼの死だったが、ルイス以外はイルゼのことなど忘れていった。
「ああ……また絵描きの子のことか?もう1年くらいになるのか?そろそろ忘れたらどうだ。その絵描きの子も2年で死んだ家族のこと吹っ切ってたんだろう?男だろ、女々しいのもそれくらいにしとけ」
「……女々しいとか言うな」
「まあさ、分かるよ。その絵描きの子も罪だよなあ。お前にキスしてからいなくなったんだろ?そんなんされたら、ねちっこいお前のことだ、余計引き摺るよな?」
「は?!俺お前にそんな話一言もしたことないよな?!」
ニマニマ笑うクラウスの一言に、ルイスは飛び起きるように反応した。
「この前、お前が酔いつぶれた時に言ってたよ」
「くそっ、ニヤニヤ笑うのやめろ、気持ち悪い」
「最後の夜、その子ともっとイチャイチャしておけばよかったって後悔もしてるんだよなあ?」
「俺はそんなことも言ってたのか?」
「言ってたぜぇ」
「くそ……お前、下種野郎、絶対明日までに忘れておけ」
全くそんなことは覚えていないのだが、楽しそうなクラウスの表情を見て頭が痛くなってきたルイスだった。
「はいはい。でもな、ルイス。その子のことは、もうそろそろ吹っ切った方がいいぜ。死んだ人間は、死んだ人間なんだ。生きている人間は、死んだ人間に引っ張られちゃいけねえよ。
俺らは一歩間違えば自分が死ぬような任務を請け負うこともあるだろ?守り損ねたら対象が死んじまうような任務もあるだろ?仲間が死ぬことだって、あるかもしれないだろ?だから俺らは特に、死んだ人間のことばかり考えてたらいけねえんだよ。生きてる人間、救えなくなるぞ」
「それでも……時々、あいつがまだ生きてるんじゃないかとも思う。あいつは最後の日も元気だった、ように見えた」
「死体は見つからなかったんだったか?だが、珍しい病気にかかってたその子が、死後も解剖されて死体を辱められるのを恐れて、まだ動けるうちに人目につかない死に場所探して姿消したんだろうなんて、誰でも普通に分かるだろ。だから、死んでるよ。十中八九な」
「……あいつ、孤独死は寂しいから、俺に家に訪ねてこいとまで言ってた」
「でもさ。痣、綺麗なもんじゃなかったんだろ?やっぱり人に見せたくないって思ったんじゃないのか?」
「……」
何も言い返せないルイスが黙り込むと、クラウスがパンと大きく膝を打って話を変えた。
「それはそうと。ハイトン公爵とこの令嬢が、ルイスに引き合わせてほしいって俺に頼んできたんだけど、どうだ?あんだけ想われてるんだ、1回くらい会ってやったら」
「面倒くさい」
「ハアアア。お前はちょっとは女の子と遊んで気を紛らわせたっていいんだぞー?女の子に付けられた傷を癒してくれるのは新しい女の子しかいないぞー?
そうでなくとも俺らは女の子たち選り取り見取りの華の精鋭部隊に所属してる騎士なんだから、今羽目外しとかなくていつ外すよ?」
ルイスの肩に腕を載せ、クラウスが大げさな素振りで目の前の見えない女性の手を取った。
クラウスは女の敵ともいえる調子のいい男だが、口が上手くて顔が良く、騎士団内でも実力があるのでので女性に人気がある。
「俺は時々、お前が本当にあの堅物の騎士団長の息子かと疑う時があるな」
「そんなこと言ってお前、何のために騎士団入ったんだよ?まさかほんとに王族守るために騎士団は入ったのか?女の子にモテる為でなく?お前、それでも男か?俺の爪の垢でも煎じて飲ませてやりてえよ」
「お前の爪の垢なんていらん。汚い」
赤く滲む夕日を見ながら、ルイスは立ち上がってパンパンと服を払った。
隣に腰かけていたクラウスも同じように立ち上がる。
「なあルイス、飯でも食いにいこーか」
赤い夕陽に染められた友の横顔を見たクラウスは何かを思い、ルイスにそう声を掛けた。
良いお年をお迎えください!




