ルイスのはなし2
彼女の屋敷からの帰り道、馬車に揺られながらルイスは思った。
彼女は生き生きとしていた。
彼女は多分、この先どう生きるかもう既に決めているのだ。
代々続く栄光を守り、それに縋って家の歴史を次に繋ぐだけの自分の存在のなんと味気ない事か。
好きなものを好きでいられて、好きなものの為にひたむきでいられる自由な彼女の瞳のなんと眩しい事か。
思い出は誇張されて思い出されるものだというし、ルイスの中でひたすら鮮やかに残ったことでも、彼女の中ではただの何気ない会話だったかもしれない。
だが、この頃からだろうか。
ルイスはお膳立てされるばかりの貴族の跡取りとしての人生に疑いを持った。
自分にとって正しいとされる道が、他人によって決められていることに疑問を持った。
小さな問いかけを繰り返しながら、ルイスが彼女との交流を絶やすことはなかった。
彼女のことを可愛いという友人の令息に、彼女は根暗のオタクだと吹き込んで、遠ざけるようにもした。
パーティで会えば彼女の悪口を言って、彼女に近づこうとする男子を牽制したこともある。
それから彼女にはこちらを見てほしくて、毎回突っかかっていた。そんなことしかできなかった。
心臓が変な音を立て始めるので、「可愛い」なんていつも絶対に言えなかった。
好きなものを語る姿が「かっこいいと思う」なんて、絶対に癪で言えなかった。
彼女とルイスが初めて会った時から何年もの時間が経って、ルイスはせめてもの反抗に、代々領地を治めることだけの為に存在したフロスト伯爵家から出て、王都の士官学校に入学した。
運動神経は良かったので、ぼんやりと考えていた騎士の道を選んだのだ。
来る日も来る日も領地の税を勘定したり、受け継がれてきた古びた規則を領民に守らせたり、そんなことばかりしている保守的なルイスの両親には猛反対されたが、ルイスはそれを押し切った。
入学した士官学校での訓練は厳しかった。
代々騎士として国に仕えてきた騎士貴族の令息ばかりの中で、武力の面では王都から派遣された騎士団に頼るばかりの軟弱なフロスト伯爵家の令息というのは異質だった。
幼い頃から騎士としてのなんたるかを叩きこまれ、剣を抜き槍を振るって戦う親の姿を見て育ってきた同期の生徒とルイスは、スタートラインからして違っていた。
それでも、ルイスに元々武芸の才能はあったらしく、訓練を積めば積むほど強くなれた。
最終的に、ルイスは何も持たない状態から、大槍をまるで自分の体の一部のように扱える優秀な騎士に成長した。
騎士団長を父に持つ悪友だった男にも、武闘大会で競り勝ったこともある。
今でも、自分は本当によくやったものだとルイスは思う。
よくやった。
だがそれもきっと、あの眩しいミルクティー色の背中を必死に追っていたからだ。
自分よりも大きなキャンバスに向かい、何もないところに景色を作り出していくその白い手。
何時間も何日も、輝きを失うことなく一心不乱に絵と向き合う情熱的な姿勢。
研究と練習を怠らず、一歩づつ着実に成長していく、その溢れる力。
圧倒的な才能と、それすら凌駕する努力と熱意の前に、ルイスは目を細めずにはいられなかった。
一つだけでも、誰にも負けないことがある彼女が眩しかった。
誰よりも得意で、誰よりも好きなことがある彼女が誇らしかった。
両親に反対されようと、周りに冷ややかな視線を送られようと、彼女はいつも自信を持ってキャンバスに向かっていた。
ルイスとは土俵も何もかも違うが、素晴らしい絵を描く彼女に憧れた。
誰にも描けないような絵を描く彼女のことが好きだった。
だから多分、ルイスは彼女に釣り合うようになりたかったのだと思う。
士官学校を卒業してからすぐに、ルイスは騎士団の、しかもエリート揃いである王家直属部隊の一員に抜擢された吉報を持って、彼女に会いに行った。
このまま彼女を、王都にだって連れ去ることができるのではないかと思ったルイスだったが、いざ彼女と対面すれば、彼女の瞳には絵しか映っていないことを、改めて嫌というほど知らされた。
好きな物にすべてを懸ける彼女に惚れたのに、その時ばかりは絵にしか興味のない彼女を恨めしく思った。
なかなか彼女に結婚を申し込むことができないまま一か月が経とうとした頃、彼女の家族が死んだ。
彼女も死んだようになった。
ルイスは何度も彼女の家に押しかけて、食べ物だけは無理矢理食べさせることを繰り返していた。
彼女は今にも消えてしまうのではないかと思うくらい打ちひしがれていたが、紙と鉛筆を手に持って、悲しみの中で辛うじて息だけはしていた。
カーテンが閉め切られて昼でも暗い部屋で紙の中に蹲る彼女をそのままにしておけなくて、ルイスは気が付いたら騎士団の入団式を逃していた。
そして、彼女の家もあるコーストサイド地方の、フロスト伯爵家にそのまま留まってしまった。
彼女だったらこんな風に何か別のことに振り回されたりはしないのだろうと思うものの、ルイスはコーストサイドに留まってよかったとも思うようになった。
時間が経って、踏ん張った彼女はまた力強くキャンバスに向かう姿を見せてくれるようになったからだ。
彼女はいつも甘美で壮大な、ルイスが想像したことも無いような世界の景色をキャンバスの上に描いて見せてくれた。
彼女の絵が大勢の人に認められる日は遠からず来るのだろうと、ルイスは漠然と信じていた。
その時は、彼女がルイス以外の人間と会う所は見たことがなかったし、彼女は相変わらず絵のことばかりで、ルイスの気持ちを急かすものはなかった。
そう。彼女が病気になるまでは。
『病気で酷い顔になってしまっていたから騙されて結婚する前に医者に診せてよかった』とのたまうクラクトン公爵の言葉を、暇つぶしにと訪れたパーティで耳にして、ルイスは焦った。
公爵に言い寄られていたことも知らなかったし、何より、病気。
聞けば、余命はもう3ヶ月しかないとのことだった。
急いで家を訪ねれば、彼女の顔は何故か相変わらず綺麗だったが、彼女の体は得体のしれない痣に蝕まれていた。
やはり彼女は病気だった。
ルイスは悔しかった。この世界の神様は、時々理不尽な難題を人間に押し付けてくる。
意味もなく奇跡を起こすのに、いたずらに不幸を降らせる。
彼女の最後の3ヶ月だけでは、彼女に自分の思いの丈全ては伝えられなかった。
とてもじゃないが、足りなかった。
後悔した。もっと早く何もかも伝えていれば。
(だが……)
ルイスは思い出す。
彼女、イルゼ・ベルフォードが死ぬ前に、ルイスに口づけをしてくれたこと。
淡い、儚い、溶けてなくなりそうなキスだった。
それでも。もしかしたら彼女は最後に、ルイスの気持ちだけは認めてくれたのかもしれなかった。
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