絵のはなし
「あ………………絵、見ませんか!」
殴られてすっきりしたのか、やっぱりまだ牢に入れられることを望んでいるがルイスは取り合ってくれないと判断したのか、罰だの牢だの言っていたロイが静かになったので、イルゼは提案した。
ロイは是非見たいと言ってくれた。
実は、うずうずしていたのだ。
見せたくて、見てもらいたくてうずうずしていた。
正直に言えば、牢とか罪とか罰とかにこだわっていた依頼者に見てもらえなかったらどうしようかと心配していた。
(なんかいろいろあったけど、絵を気に入ってもらえたらそれだけで満足だな)
絵の横に立ったイルゼは、絵に掛けてあった布を引いた。
しゅるり。
白い布は、リボンを解いた洋服のように絵の足元に落ちる。
大きなキャンバスに描かれた絵が、その全身を現した。
そこに広がるのは、深く広がる月の宮殿と星、翼、葡萄、祈り、静寂、羽衣に雨。
そして美しい月の神ミスティリオン。
儚く、強く。
散るように、咲くように。
光るように、翳るように。
その絵は壮大で、同時に悲しくて、同時に幸せなものであった。
「………………」
「………………」
「………………」
ささやかに舞う埃に光が反射する小さな音すら聞こえてきそうなほど、3人は静かだった。
静寂が果てしなく、堪らずイルゼが「どうですか?」と口を開いてロイの顔を窺えば、やっと呟きが返ってきた。
「なんと、言えばいいか……」
息を吐いたロイは瞬きと共に、一粒だけ涙をこぼした。
いつも彼の顔に張り付いていた微笑は取り払われ、その顔には心からの感情の灯がちらついたように見えた。
何を言ってくれるのだろうと言葉を待ったが、ロイはまた暫く黙ってしまった。
「……」
でも、イルゼは満足していた。
ロイの顔がとても幸せそうに見えたからだ。
(喜んでもらえたかも……私の絵!)
「ありがとうございます」
ようやく呟いたロイがゆっくり笑ったので、イルゼも釣られて微笑んだ。
「あっ、いえいえ、こちらこそあの、ありがとうございます」
少しにやけてしまったイルゼは慌てて、ロイと同じようにペコリと頭を下げた。
「そんな、頭を上げてください。お礼を言うのはこちらの方です。お礼で足りないのは分かっていますが……何よりも嬉しいです……本当にありがとうございます、イルゼさん」
イルゼの頭を上げさせて、今度はロイが頭を下げていた。
ペコペコお礼を言いあっている二人のことを、ルイスは足を組んで困ったように眺めていた。
イルゼはずっと、絵なんて描いてどうするんだと周りに言われてきた。
両親はイルゼの絵を上手だなんて言ってくれなかったし、貴族たちはみんなイルゼを変人扱いしてきた。
それでもいいと思っていた。
誰かに認められなくても、自分が好きなのだから続ければいいと思っていた。
でも誰かに褒めてもらえて喜んでもらえて、あわよくば感動してもらえたら、やっぱり、やっぱり嬉しい。
これで良かったんだって思える。
……
ロイはイルゼの描いたミスティリオンの壮大な絵画を大事そうに背負い、小さな荷物だけ持って山を越えた向こうの街を目指して消えていった。
これから山の向こうの街に着いたロイがどういう決断をするのかは分からない。
恩師のいる教会でまた神に祈るのか、それとも罰を受けることを望むのか。
イルゼは、できれば教会に留まってまたミスティリオンに祈りを捧げてほしい、と思った。
そしてイルゼが描いた絵もそこに飾ってほしいとちゃっかり思っていた。
「絵……」
「え?」
「あれを完成させるまでは待ったんだ。次は俺に絵、描け」
「……」
「描けるだろ?あいつに描いて俺には描けないとか言うなよ」
「う、えっと……」
「なんだ」
「うん……」
(もう、時間なんだけどな……)
夕日の沈む方に進みながら、黒い小さな陰になって消えていったロイが辿った道を見ながらイルゼは思った。
もう、時間だ。
あの絵を完成させたのだから計画通り、イルゼもああやってこの土地に背を向けて小さな影になって去らなければならない。
描いてあげたいけど、ルイスに贈るための絵を新しく描いている時間はない。
だってもう、やり残したことは終えたのだ。
この地でやりたかったことは、終えたのだ。
計画通りに、イルゼは消える時間なのだ。
返事をしなかったイルゼを見つめるルイスは何も言わず、ただ静かに口を結んだだけだった。
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