ロイのはなし
後日。
病院から帰ってきたロイに会うために、イルゼはルイスと共にボロボロになった教会を訪ねていた。
穏やかな昼下がり、あの日と同じように閉ざされていた扉を押して教会の中に入ると、純白の神官服を纏ったロイが一人立っていた。
ささやかなガラス窓を通して入ってきた粒子によって、教会の中はキラキラ光っている。
その光を、ロイは名残惜しそうに見つめていた。
「で、俺はお前を牢にぶち込んだ方がいいのか?」
開口一番、ルイスが物騒な言葉をロイに投げかけた。
「やっぱりルイスさんは気づいてたんですね」
決して親近感を与えない冷たい態度のルイスに向けて、ロイは柔らかい顔で笑う。
突飛もない言葉に驚いて、イルゼはじっとしていた。
物を観察する力には優れているが、人の根底にあるものや表情の機微を感じ取る能力には疎いのだ。
だから、気づいた気づいてない、などと具体的ではないことを言われれば、分からないから静かにせざるを得ない。
「僕、昔は悪い奴で、もっと言うとあいつらの仲間だったんですよ」
ロイの穏やかな顔が、説明を求めているイルゼに向けられた。
「生まれをね、理由にするわけではないですけど。僕は強いか狡賢い奴だけが生き残る街で生まれました。山の向こうの街の貧民街です。ご存じの通り僕は強くなかったので、狡賢くて生き残った奴らの方です。誰かに守ってもらって狡賢く生きていました」
「あの人たちですか」
「ええ。僕はね、弱かったけど、どんな鍵でも開けられたんです。それこそ、今あいつらがぶち込まれてる領主さんとこの牢屋の鍵だって開けられますよ。だからね、あいつらは便利な僕を仲間にしてくれました」
静かな微笑の面をかぶったまま淡々と話すロイの話に驚いたが、イルゼは顔を背けることなどしなかった。
横やりを入れることもしない。
ただ、静かに黙って聞くことにした。
「奴らも最初はね、盗みだけでした。生きるために盗んだりするのは僕らにとって当たり前だったんですよ。僕も、盗んで生きられるなら、盗んだ方がいいんだって思いました。生きられるのに人に迷惑を掛けずに死ぬことを選んだ方より、人に罵られても頑張って生きてた方を、神様は救ってくれるって思ったんですよ」
「でもあいつら、ある時から女の人とか小さい子を攫っては売り飛ばすようになりました。そっちの方が安全で金になるんだって。それで時々、人も殺すようになりました。それで人を殺した仲間の牢の鍵開けを僕がやったりするんですよ。死罪になるようなことをした奴も、僕が助けたりしてたんですよ。
……食べ物とかお金はね、盗まれた人にとって、ちょっとは替わりが利くものじゃないですか。でも攫われて売られていった女の人や子供の体とか心とか、殺された人の体とか遺族とか、替えが利かないから、流石にそれは奪っちゃダメでしょうって思ったんですよ。そんなことしてたら地獄に落ちちゃいそうだなって。
それで最後のダメ押しにね、僕のこと好きって言ってくれた女の子まで売られちゃったんですよ。それで我慢できなくて、抜けました」
ロイは自らの左目を覆う黒い眼帯を、無意識のうちに、微かに左手で触っていた。
そこがまだ痛むかのように、顔をしかめる。
「それで、逃げて逃げて、ここではない教会の神官さんに拾われました。そこでずっと奉仕させてもらってて、ある時この教会の神官さんがいなくなっちゃったから後継いでみたらどうかって言われたんです。
来てみたらボロボロで人も全然来なくて驚いちゃいました。でも仕方がないですよね。この地域にはここより立派な教会と神様が3つもあるんですもん。月の神様はやっぱり裏方なのかなって思ってました。
でもね、恩師には帰ってきてもいいって言ってもらえましたが、僕はミスティリオン様が結構好きで、なんだかんだここでずっとお仕えしてたんですよ」
「それで、僕もやっと昔仕出かした悪いことを忘れられるかなって思ってたんですけど。やっぱり過去からは逃げられないですね。ここから物を盗んでいった盗賊から洩れたのか、はたまたそういうものは、どこからともなく惹かれ合うものなのか、あいつらに見つかってしまいまして、それで先日の大立ち回りです。最終的にイルゼさんにもルイスさんにも迷惑をかけて、ミスティリオン様も侮辱するようなことになっちゃいましたね。本当にごめんなさい」
深々と頭を下げ、頭を上げたロイの顔は普段と変わらず穏やかな笑顔だった。
普段と変わらない、どこか悲しそうな、何か後悔をしているような穏やかな笑顔。
「この教会は取り潰しですよね、フロスト卿」
「ああ」
元より逃げる意思はないとばかりに家名で呼びかけたロイに対し、ルイスは静かに頷いた。
ロイは、ルイスが領主の息子だということを知っていたらしい。
「こんなことがあっては、悪い奴らの根城になってしまうだけですもんね」
つう、とロイの指が愛しそうに教会のベンチの背を撫でる。
悲しそうに唇の端を上げたそんな神官の後ろに、大男の巨体でへし潰れたベンチや、斧でずたずたに割かれた扉が見えた。
「僕のことは、どうかあいつらとは別の牢にぶち込んでください。あいつらの顔は、見るだけで反吐が出るんです」
にっこりと笑ったロイは、神に祈るように言った。
その口は微笑んではいたが、ロイの残された一つの瞳は抉るように鋭く、光が届かないほど黒く染まって見えた。




