救出のはなし
「行って!」
「ロ、ロイさんも、早く!」
(ロイさん、死んじゃう!あの斧振り下ろされたら死んじゃう!)
「大丈夫です。あいつら僕のことも欲しいんです。殺されは、しないはず。
それよりイルゼさんはあんな糞に絶対巻き込まれてほしくない。僕に構わず、必ず逃げ切ってください、お願いします」
ぎゅっと縄を握るイルゼの両手を確認したロイは、イルゼの背を押した。
覚悟を決める間なんてものはなく、イルゼは穴から落とされた。
小さくて威厳のない教会なので、天井がすこぶる高い訳でもなかった。
イルゼは無我夢中で縄に掴まり、手の皮が悲鳴を上げるのも無視して、滑るように縄を伝って教会の床に降りた。
跳ね回る心臓を押さえつけて、何とか膝に力を入れる。
2本の足で辛うじて立っているイルゼの目の前には、主扉の前で目を丸くしている男が3人。
(ど、ど、ど、どうしようどうしようどうしようどうしよう……!)
力ずくでの主扉突破は、どうしたって困難に思えた。
大きくて獰猛そうな男たちが3人も扉の前にいる。
扉が果てしなく遠い。
扉の先の外の世界に行くには、この3人の男をどうにかしてやり過ごさなくてはならないのに、そんな方法はどこにも無いような気がした。
この世のどこにもそんな奇跡はない。
イルゼのどこにも、そんな力などない。
普段、重くてキャンバスくらいしか持ち上げないイルゼの腕力では、どうやったって何もできない。
震えるイルゼは息も絶え絶えで、しかし少しでも延命しようと藻掻いた。
血色の絵の具で濡らしたローブの腹の部分を押え、フラフラと男たちから距離を取る。
イルゼを凝視する男のうちの一人と目があったので、ゴフッと言いながら口に残っていた赤い絵の具を吐いてやった。
きっと、混乱する彼らの目には、イルゼが吐血したように見えただろう。
フラフラ腹を庇う演技を続けながら、イルゼは男たちから距離を取り続ける。
3人の男たちは、頭の大男が執拗に探していたイルゼがいきなり血まみれになっていることに驚いているのだろう。
どうしようどうしようと顔に描いてある。
イルゼはじわじわと男たちから距離を取った。
だが、これも時間の問題。逃げ道に宛などない。
横をちらりと見れば、先ほど通った廊下へ続く扉は斧で惨殺されていた。
再び廊下に出ても、窓の外には男の仲間がいて出られないし、別の部屋に立て籠っても、また斧で突破されるのだろう。
どこに逃げても行き止まり。
もう、終わり。
(酷い事されて、でも、また、絵、描けるようになるかな……?手と目だけは……残してくれるといいけど……)
イルゼは、向こうに転がっている自分の描いた絵の方に視線を投げた。
(あの絵は、無事みたい……そのまま、無事でいてね)
ほんの少しだけ、ホッとした。
しかしホッとしたのも束の間、3人の男が手当の為か捕獲の為か、イルゼに向かって突進してきた。
(ひいいい!怖い!!怖い!!怖い!!)
体が反射的に小さく丸まってしまった。丸まって動かない。
動いて走れと命令しても、もう足はイルゼの言う事を聞かない。
目ももう開けていられない。
イルゼはぎゅっと目をつぶって、成す術がなくて、怖くて動けなくて、そのまま息絶えたふりをするしかない、と息を止めた。
バアン!
男たちが血まみれのイルゼを捕まえ、生死を確認しようとした瞬間、主扉が凄い音を立てて開いた。
「くそ、あの神官の野郎……!」
切り込んできたのは、ルイスだった。
必死に目を閉じていて周りの状況は見えなかったが、紛れもないルイスの声を聞いたイルゼは、不思議と確信した。
(あああああ、なんか、もう大丈夫な気がする……)
扉を開けて入ってきた人物に注目した男たちはイルゼから手を放し、雑に床に転がす。
3人の男たちが離れていった気配もあり、イルゼは目を閉じたまま、そのままぐったりと床の上で力を抜いた。
「誰だ、てめェはァ?」
「そのナリ、貴族の坊ちゃんかァ?」
「今取り込み中でなァ。お祈りなら余所でやってくんねェかなァ?」
「いや、こいつ逃がしちゃ駄目だろォ。なんか金目のモン持ってそうだし。ナァ、その時計でも差し出してくれれば、チビる前にトイレくらい行かせてやるよ?ギャハハ」
街からわざわざはずれにある教会に祈りに来た、稀有な貴族の青年が一人いると信じている男たちがその汚い口で、下品な言葉をルイスに浴びせかける。
「汚い礼拝者だな」
氷のように冷たく、吹雪のように静かに荒れたルイスの眼は、そんな野良犬のように吠える男たちを撫でるように見ただけだった。
そして男たちが口々に「ハァ?」と声を上げる。
その貴族の青年の飄々とした態度が気に食わなかったのか、口を歪ませた男のうちの一人が先陣を切ってルイスに飛び掛かった。
途端、何かが折れる音と男の呻き声、宙に浮いた何かが地面を擦りながら動きを止める音が聞こえた。
続いて吠えるような別の男の声がしたと思ったが、それもすぐに呻き声に変わった。
「お、お頭ァ!」
一人立っている男は情けなくそう叫び、ルイスから距離を取る。
ルイスは何の興味もなさそうな顔で男に一歩近づいた。
汚い野犬のような顔をした男は一歩後ずさる。
人を犬としか見ていないような冷たい目のルイスはもう一歩進んだ。
肩を震わせた男は2,3歩慌てて後ずさった。
その時、後ずさる男とまっすぐ歩くルイスとの間に、バラバラバラと音を立てて何かが降ってきた。
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