作戦のはなし2
「万が一のために、その、死んだふりとか、できるようにしておきませんか?絵の具で、流血しているように見せるんですけれども……」
「なるほど……」
「気休めにしかならないですけど……死体に見せかけておいて、いきなり動いたりとかすれば、隙は付ける、かなって、思ったんですけど……」
「ええ、やれることはやってみましょう」
こんな子供騙し、とイルゼ本人も笑ってしまうような思い付きだが、恐怖を前にして何にでも縋りつきたくなってしまったことは、誰にも責められない。
それにこんな思い付きでも、もしも何かの拍子に良い方に作用する可能性があるなら、イルゼは最後まで足掻いて見せるべきだ。
「えっと、この色とこの色とこの色を混ぜて血の色を作ります」
懐から取り出した瓶を吟味しながら床に置いていく。
3色の色が入った瓶を中心に置き、残りは脇によけた。
「赤一色ではいけないのですか?」
「赤一色だと、すぐに血じゃないってバレちゃうかもです……」
「こんなに薄暗いのに、混ぜた色がどうなってるか分かるんですか?」
「あ、はい。どれくらい混ぜるとどんな色になるかは覚えているというか……」
濃い黒か薄い黒かしか判別できないような暗がりの中、イルゼは選んだ瓶の中に入っていた絵の具を適量残して捨て、他の2色を混ぜた。
イルゼの目だけでなく、手もそれくらいの事なら覚えている。
物心ついた時から色の事ばかり考えてきたイルゼは、あっという間に血色の絵の具を完成させた。
「それでこれを、こう塗ります……」
イルゼは、着ていたローブに容赦なく絵の具を滲ませた。
腹の部分にジワリと赤いしみができ、周りを濡らしながら広がっていく。
「……刺されたみたいになりましたね」
「ロイさんにもやってあげます。服、汚れちゃいますけど、いいですか?」
「はい」
戸惑うことなく頷いたロイの白い神官服も、瞬く間に赤で染まった。
「……僕も、刺されたみたいになりましたね」
「あとは、もうちょっと青を混ぜた色で、頭から流れる血を作ります」
言うが早いか、イルゼは元々の絵の具に青い色を混ぜたものを作り、その勢いでもっと鮮血に近い鮮やかな色も作った。
「こっちの鮮やかな方は、あの人たちが来るって時に口に含んで、顎に伝わらせるように吐き出して……これで、吐血したように見えます」
「凄いですね……イルゼさんって見かけによらず、悪知恵が働くんですね」
「見かけによらないですか?」
「だってイルゼさん、そんなに可愛らしいのに……って、いやいやいや。その、今のは忘れてくださいね」
「あ、はい」
一瞬動きを止めたイルゼだったが、コクリと頷いた。
何事もなかったかのように、ミルクティー色の美しい髪と頭皮に躊躇いなく青黒い血色の絵の具を滴らせ、ロイの頭にも同じようにテキパキと流血を施し始める。
「あ……はい」
ロイの方はといえば少しだけ物足りなそうな顔をしていて、鼻の頭を掻いていた。
*
そのまま時間が経った。
暗がりの中、時間の感覚などとうにないが、きっともうかなりの時間が経っている筈だ。
いや、全然時間は経っていないかもしれない。さっきから神経がジリジリジリジリすり減って、平衡感覚も無くなりつつあるのだ。時間の感覚がもうとっくの昔に失われていたとしても不思議ではない。
しかし、このまま何事もないまま誰かが悪漢どもに気付いて、一件落着でもするのではないかと願わずにはいられなかった。
(あのボンボンとは午後に一緒に教会に来る約束してたから、私が家にいないことに気づいたら、多分、ここまで来てくれる……)
「そうしたら、いいのに……」
イルゼが暗がりに溶けるように目を閉じ、来てくれ、来てくれるなら早く来てくれとルイスに願った瞬間。
「お頭、これッ!隠し部屋でもあるんじゃないッすかね!?」
足元、屋根裏の小さな扉の下で嬉々とした声がはっきりと聞こえた。
イルゼの背筋がゾクリと凍る。
ああ、こんなものただの悪あがきだ。
何の意味もない。絶対逃げ切れない。
そう直感したがイルゼは血色の絵の具が入った瓶を口につけ、絵の具を口に頬張って、口から垂らした。
手が震える。
胃が底から震えた。
屋根裏部屋は寒くなんてないのに、寒い。
ロイも可能性のあることはすべてしようと思ったのか、震えるイルゼから受け取った絵の具を口に含み、口元を真っ赤にした。
そして素早く移動し、天井裏の屋根をいつでも蹴破れるように構えた。
イルゼは音を立てないように、ロイから返された絵の具の瓶を懐にしまう。
もう中身は空だが、投げつけるくらいには使えると思ったのだ。
しかし思考に反して手は全く冷静ではないようで、ガチガチガチと震えて瓶を取り落としてしまいそうになった。
それでも何とか瓶は懐に収めた。
音を立てず、ロイからロープが渡された。
イルゼはそれを両の手で握りこむ。
力を全力で入れている筈なのに感覚がなくて上手くできているのか分からない。
今自分がなにをしているのか、縄は本当にそこに存在するのか、それも分からなくなりそうだった。
身を固くし、張りつめた空気の中息を殺す。
息を潜め、身を低くし、存在を極限まで消す。
イルゼとロイの目は、先ほど自分たちが昇ってきた隠し扉に注がれ、両耳はその下から聞こえる乱雑な音に注がれる。
「梯子かなんか持って来いッ!さっきの斧も持って来いッ!」
「ここでアタリっすかね、お頭」
「ああ、匂うぜェ。外には逃げれる訳ねェんだ……なら、教会内のどこかだろォ?」
「もし俺当たってたら、大手柄じゃないッすかァ?じゃあ、お頭の次にまわしてもらっていいっすかァ?」
バリリリ!バリリリ!バリリリ!
木の隠し扉に風穴が幾つもあけられ、太い刃物が叩き付けるように隠し扉を蹂躙していく。
イルゼは慄いた。
今、斧で細切れにされているのは扉だが、なら、次は誰だ。
あの斧の刃を振り下ろされてすり潰されるのは誰だ。
血が飛び散るのは誰の体からだ。
イルゼはロイを振り返った。
ロイは狭い空間で小さく飛び、着地の瞬間に天井に手をついて体を押し出した。
片方の足が床を打ち抜いたので、すかさずロイはその周りの床をボロボロと蹴落として穴を広げた。
薄暗かった屋根裏部屋が一気に明るくなる。
誤字報告ありがとうございました!今地下で秘密裏に書いている話の女の子がハイデだったので……名前を間違えて書いていました(; ・`д・´)うおお




