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始まりのはなし2




「どうしようかなあ」


ベッドの上で足を組んで安座に座りなおしたイルゼは顔を上げ、キナリの布がかかった大きなキャンバスに目をやる。


「これだけは完成させたいしなあ……」


これは、イルゼが現在取り組んでいる絵だ。


イルゼはこれを完成させる約束をした。

ひょんな事から出会った、この街のはずれにある小さな教会の神官と約束をしたのだ。

貧乏な教会なのに盗賊に入られて目ぼしい装飾品を全て取られた哀れな教会に仕える彼は、イルゼの絵を教会に飾りたいと言ってくれた。


どんなにボロボロで小さな教会でも、教会に絵を飾ってもらえるなんて、絵描きとしては夢のようだ。

多くの人の目に映り、人がその絵を通して神に祈る。きっと、たくさんの人の心に残るはずだ。

イルゼは自分の絵を教会に飾りたい。

それだけでなく、イルゼの絵を望んでくれた人の為にも絵を描き上げたかった。


(だけど、完成にはまだまだ時間が掛かるんだよね)

急いで納得いかない出来にしたくないし、3ヶ月くらいは余裕で掛かるのではないかとイルゼは見積もっている。





イルゼは考えた。


結婚はしない。断る。

でも相手はあのクラクトン公爵だから、上手く断らねばいけない。

権力にモノを言わせて、想像を絶する手段をとってくる可能性。

もう相手がいるとでも言ってみるか。

誰だと聞かれたらどうする?そんな相手などいない。

誰か適当に雇って、婚約者のふりをしてもらうか。だめだ、その人に危険が及ぶかもしれない。

女の子しか愛せないとでも言ってみるか。

いや。そもそも公爵はイルゼの気持ちなんて気にしてない。

公爵が気にしているのは、イルゼの顔だけだ。

ならば、顔を変えるか。死んだふりをするか。行方をくらませるか。

そうだ。死んだ人間や、いない人間とは結婚できない。

幸いイルゼは家族もいないし、引き籠りで友人もいない。

安否を心配する人もいないし家に未練もないから、イルゼはどこへだって行ける。

この街から逃げ出して、誰もイルゼを知らない場所で絵を描こう。


「そして問題は、教会に贈る絵を仕上げる時間が欲しいことだなあ」


あと3ヶ月、結婚しないでこの地に留まる時間が欲しい。

使い慣れたアトリエで、教会に飾る絵を完成させる時間が欲しい。


「うーん」


公爵の熱烈な執着心を鎮火させつつ、3ヶ月結婚せずにこの屋敷に留まってもおかしくない言い訳とは。


(私が死んだふりをするか、顔を変えるかすれば公爵と結婚しなくてもいいけど、死んだふりするなら直ぐに屋敷を出て隠れたほうがいいよね。でも私にはここで絵を描き上げる時間が要るし。時間が稼げて、結婚しなくていい方法とは?)


(………………ん?ということは、すぐに死ななかったらいいのでは……?)







「よし。あと3ヶ月で死ぬ病気にかかったってことにしよう」


甘いミルクティー色の豊かな髪をふわりとさせて、イルゼは手をパンと打った。


ということで、仮病だ。

とんでもないプロセスを経て、イルゼはとんでもない答えに辿り着いたのである。


とんでもないが、イルゼはこの計画を成功させる筋道を発見した。

本棚をびっしり埋める本の背表紙を眺め、数冊を引き抜く。分厚い医学書だ。

そして、パラパラとページを流し、目当ての物を見つけた。


「うん、悪くない」


呟いたイルゼは早速文机に向かい、公爵に断りの手紙を書いた。


『実は私は不治の病にかかっています。あと3ヶ月ほどで死んでしまうようなので結婚はできません。別の人を見つけてください』


封をしてその手紙を出せば、公爵からの返事は2日と経たず、すぐに送られて来た。


バサバサバサと音を立ててポストに放り込まれた手紙は5,6通はあった。

一応全て開封して読んでみれば、不治の病など愛の力の前では無力だ、貴方は美しい、女神のようだ、など恥じらいもない口説き文句が飽きもせず書き連ねてあった。


げんなりしながら、イルゼは最後の手紙の封を開ける。


『なんという病気ですか?どのような症状があるのですか?以前お会いした時の貴方は少しやせていましたが健康そのもの、とても美しく見えました。本当に病ですか?

でも、美しい貴方を死者の国の王も欲しがったのかもしれませんね。そんな理不尽な運命は私がこの手で変えて見せますよ。最高の医者を手配して全力を尽くします』



「まあ……疑うよね」


絵を描いていて平気で3食食べるのを忘れてしまうイルゼなので痩せ型ではあるが、死にそうなほどの不健康さはない。

大病を患っていると言って、疑われることもイルゼは一応は予想していた。


そう、ここからが正念場だ。ここからがイルゼの戦いの始まりだ。

イルゼが唯一公爵と互角に戦うことのできる、イルゼの土俵で勝負させてもらう。




『お気遣いは不要です。私は残りの人生を一人で過ごしたいですし何より、顔も体も途轍もなく見苦しい姿になってしまったので、お医者様にさえ会いたくありません』


手紙を書いて送れば、公爵からの返事はやはりすぐ届いた。


『顔にも症状が出てきたのですか?どれくらい酷いのですか?本当に元に戻らないのですか?一度だけでもいい。医者に診せましょう。世界を敵に回そうとも私は貴方を見捨てませんよ。一週間後、懇意にしている腕の良い医者と伺います。なに、きっと大丈夫。私があなたを救います』


予想はしていたので心構えはできていたが、何とも頑なで気持ちの悪い手紙だった。

こんな手紙が来たからなのか、その夜は特に心地よくない夢を見たイルゼであった。




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